巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面101

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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                 第九十一回

   
 牢番セント・マールスは妻の手からハンケチをひったくり自分で読もうとしたが、文字が非常に細かくて彼の目では、はっきり見えずただ点々と赤い血の痕(あと)のようなものが見えるだけだった。彼は慌てて眼鏡はないかと自分のポケットをかき回したが、手に当たるものもなかったので、今は妻に読んで貰うしか方法がなかった。

 「さあ、なんて書いて有る。読んでくれ、早く、早く」と再び妻に言いつけると妻は勝ち誇った顔で「ほら、ご覧なさい。自分で読むことも出来ないのに私の手からひったくってさ、そのまま私に任せて置けば、黙っていても私が読み聞かせて上げましたのに、本当に貴方のようなせっかちな性格では、パリに出て貴夫人などと交際は出来ません。貴方はどうしても兵卒以下に生まれ付いているのです。」

 セント・マールスは気ぜわしく「そんな小言は後にして、早く読んでくれ、これ頼むから、拝(おが)むから、拝むから。」下手に出て席立てるので妻はようやく平静になって細かい文字を次のように読みだした。
  
  私は1673年3月28日から29日の晩にペロームの横手にある魔が淵を渡ろうとして捕らえられた者で名前は・・・・・

というところで妻がまだ本名を読み上げていないのにセント・マールスは「好し、好し、それで好し」と叫んで、あたかも猛虎の勢いで再び妻の手先に飛びかかり、またもハンケチを取り上げ今度は有無を言わさずすぐに部屋の向こう側にあるストーブのところに持って行って火の中に投げ込んで仕舞った。

 妻は怒って「本当に貴方は兵卒にも劣ります。夫人を尊敬することも知らない。全くのならず者です。」と叫んだがセント・マールスは耳も傾けず、ハンケチが燃え尽きるのを見届けて、初めて安心したように我に返り「ああ、これで初めて国家の秘密が安全と言うものだ。こうさえすれば彼の本名は誰も知らない。」

 妻は益々しゃくにさわり「そうでしょうよ。私にさえ読ませないほどだから、国家の秘密は安全でしょうよ。好うございますよ。私を雇人と同じように、少しも信用していないのですね、私も今後はその積もりで・・」と言って更に愚痴を繰り返そうとするのを、セント・マールスは心が勇み立つらしく、その肩をそびやかして、「そうとも、俺は誰も信用しない。秘密は秘密で何処までも守らなければならないものだ。人を信用してたまるか。俺はもし右の手が左手の秘密を知ったなら、右手を切り落として仕舞う。」

 「おやおや、その言葉をお忘れなさるな。二度と再び囚人の事など相談されても私は聞きませんよ。」セント・マールスはなお部屋を右に左に歩きながら、「好いとも、これからは囚人の下着は俺が水に浸(ひた)した上で外に出す。書いた物のある無しに関わらず、いちいち水で振り出さなければ、安心できない。どうだろう、もしこの下着を調べずに、バアトルメイアに渡していたら、危ない、危ない、今思ってもぞっとする。しかし待てよ、待てよ、この様子をルーボア様に上申したらルーボア様も、白鳥の油断がならないことに驚き、俺の注意深さに感心するに違いない。」

 「そうだそうして白鳥めはいよいよ床の下に押し込めて、二度とこの様なことが出来ないようにしなければ。太い奴だ、実に深くたくらみやがった。けれども俺という番人が付いているから、いくら計画しても無駄だぞ。」と自分が思うことばかりを口走り、妻には見向きもしないので、妻は益々腹を立て、「ルーボア様に上申するなら、もっと突き止めなければならないことが有るでしょう。」

 「実に綿密に計画したものだ。この計画を見破ったからには栄転も遠くはないなあ。」
 「おや、綿密に計画したと言っても、何が綿密なのか、貴方は少しも突き止めては、いないでは有りませんか。第一鉄仮面が、誰にこの通信を送ろうとしたのか、その相手さえ分かりますまい。」

 この非難には彼はほとんどぎょっとして、歩いていた足を止めた。馬鹿者の様に口を開いて妻の前に立ち、「ああ、そうだ、誰に送るために書いたのか、それが分からない。はてな、それを見破る何か好い工夫は、無いものだろうか。」とあれこれ考え迷っていると、妻はこの様子を十分見て取り「その工夫が有ったのに貴方は焼き捨てて仕舞ったでは有りませんか。」

 「え、え、何だと」、「今のハンケチにあった文字を、最後まで私に読ませて置けば、訳もなく分かりましたのに。」「え、え、何だと、あの他にまだ何か書いて有ったのか。」「有りましたとも、私が読んだのは初めの四行です。まだ十行ほど細々と書いてありましたから、自分の名前だけでなく、これから牢を破るその打ち合せまで書いて有ったに決まってます。」

 「やや、それは大変なものを焼き捨てて仕舞った。」と言い、セント・マールスは飛んで行ってストーブの戸を開いたが、この辺ではどこでもアルプスの山の影になっていて、夏の中ごろまでストーブを使うのが習慣になっており、一時も火が絶えることが無いので、今まで燃え残っているはずはなかった。

 彼はがっかりして「うう」とうめき、ほとんど泣きだすばかりなのを、妻が快さそうに見て、「これでもう出世の道もふさがりました。それだから私を信用しないと、決して得にはならないのです。」 セント・マールスはグウの音も出ず、しばらくしてから何か思いだしたように「今となっては仕方が無い。なに構わない。これから軍曹とその妻バアトルメアを捕まえて取り調べる。」

 「おやおや、軍曹とバートルメアが怪しいとおっしゃるのですか?」 「そうとも、彼らが誰かに頼まれてやっている仕業に違いない。拷問してでも白状させる。」妻は非常に賢そうに「拷問よりずっと好い方法が有りますが。おお、そうだ、貴方はもう私の言うことを信用しないと言いましたね。」ともったいをつけるとセント・マールスは早くもくじけて、

 「なに、そうは言っていない。教えてくれ、これ、どんな工夫が有るのだ。全く俺が悪かった。謝るから教えてくれ。」と妻の手を取り拝んで頼むので、妻も機嫌を直し「貴方は白鳥に向かっても、バアトルメアに向かっても、まだ何も気が付いていないようにして、二人を今までどおりに扱うのです。そうすれば又通信を始めるでしょうから、その時に見破ればよいでは有りませんか。」

 この知恵にはセント・マールスも感心し「そうだ、そうだ、お前は本当に偉いものだ。よしよし、そうしよう。明朝バアトルメアが来るからやさしい言葉をかけ、何気なくこの布を渡すことにして、そうして油断をさせて置けば、そうだ、又何かを始めやがる。」と喜んで立ち上がり、又何処かに立ち去ろうとしたので、おや、これからどちらに行くのですかと聞くと、

 「白鳥に聖書を差入れに行くのさ。そうすれば彼め、俺が何も知らないと思い、益々気を許すだろう。」と言いながら立ち去った。

つづきはここから

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