巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面103

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳 

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                 第九十三回

    
 早く洗濯物を調べて見ようと言う一心で、バアトルメアはわが家を目指してピネロルの町を走り去って、やがてこの土地の知事としてフランス国政府から派遣されている、ハレピル候の官邸の前迄来ると、町の人々がここに集まっていて、ほとんど通れないほどに混雑していた。

 何のためにこんなに混雑しているのだろうと、不思議に思うまもなく人々の噂しているのを聞くと、当時イタリヤとフランスの間にあって、一方ならない勢力を持っていた、パルマ国の皇族某貴夫人が、漫遊のついでにこの土地に来て、今しも知事の官邸を訪問し、立ち去ろうとしているところだった。なるほど見ると門前に立派な馬車があって、これに乗って手綱を持ったまま控えて待っている御者も、宮廷の服を着けていた。

 バアトルメアがこの群衆を押し分けている折しも、官邸の玄関からその貴夫人が出て来て、しずしずと馬車に乗り込んだ。人々はただその姿を拝もうと、一心に伸び上がって見ていたが、バアトルメアは心ここになかったので、振り向いて貴夫人の姿を見ようともせずに、群衆の間を縫って通り過ぎ、またも一目散に走り去ってようやく町外れの自分の家に着いたが、もちろん自分以外は、猫の子一匹飼っていないので、自分が出るとき戸を閉めたままにして、向かい出る人もいなくて、この方が気安いと思っているから、誰が向いに出ていなくても、恨めしいと思うこともなく、ポケットから鍵を取り出し、今や戸を開けようとしていると、この時誰やら後ろから「もし」と言ってバアトルメアの肩に手を置く人がいた。

 余りに慣れ慣れしかったので、バアトルメアはむっとする目付きで、その人を振り返って見ると、もちろん見たこともない紳士で「貴方は何をなされます。こう見えても私は人の妻、無礼をなさるとそのままでは済みませんよ。」ときっと叱るように言うのは、四方皆敵と思う他人の中で、一人暮らしている長年の用心と思われる。

 紳士は叱られても怒りもせず、かえってうやうやしげに帽子を取り、「私はカスタルバー夫人の従者ですが、夫人の仰せにより貴方をお連れもうしに参りました。」と、バアトルメアの身に取っては少しも納得が行かないことを言うので、

 「えっ、何とおっしゃいました。カスタルバー夫人とは、少しも私は知らない人です。」「いや、貴方はご存じなくても夫人が貴方を知っています。」「それは必ず人違いでしょう。私ではないでしょう。」「いいえ、人違いでは有りません。夫人が貴方を指さし、あの洗濯物を持っている、美しい女を呼んで来なさいと私に命じられたので、すぐに私が後を付けてきたのです。」

 「夫人とはどなたの事ですか。」「カスタルバー夫人です。」「えっ、カスタルバー夫人、お名前を伺っても私には少しも分かりませんが。」「最近、バルマ国王の妻となり、女王となられたカスタルバー夫人です。今しがた知事の官邸を出て馬車にお乗りになろうとした時、群衆を押し分けている貴方の姿を、チラリとご覧になつたのです。」こうまで言われると、なるほど自分に違いないが、最近女王にも立てられたと言う、パルマー国の貴高夫人が、私に目を止めたとは、何のためにだろう。

 ほとんど納得が行かなかったので、バアトルメアはあっ気にとられ、なおも怪しそうに紳士の顔を見ていると、紳士はバアトルメアの耳に口を寄せ、「貴方は魔が淵をお忘れになりましたか。」とささやいた。バアトルメアはこの一言にビクリとして、驚く顔色を隠せず、再び紳士の顔を見たが、紳士はまたも再び小声で「いや、魔が淵とは何の事か、私には少しも分かりませんが、夫人が貴方にそう言えとおっしゃいました。そう言ってもついて来ないなら、全く私の見違いで他人の空似だから、連れて来るに及ばないと言うことでした。」

 バアトルメアはほとんど夢みる人のように、しばらくは呆然として立っていたが、やがて何を思ったのか、「はい、それではご一緒に参りましょう。しばらくお待下さいませ。」と答え、戸を開けて中に入ろうとするのを、紳士はこれを引き留めて「いや、貴方は多分その洗濯物を中に置き、身なりなども改めて行こうとしているのでしょうが、かえってこのままの方が好いのです。このままなら誰が見ても、洗濯女が召されて来たのだと思いますから、宿の者も怪しみません。さあ、すぐにおいでなさい。」

 バアトルメアもなるほどと思ったのか、再び入口の戸に鍵を掛けて、洗濯物を抱えたままで、紳士の後について行くと、この時、日は早くも暮れ、人の顔さえ明り無しには見極められなくなり、誰も怪しむものはいなかった。やがてこの土地の第一の宿屋と言われている某ホテルに着いたので、紳士は裏手に回って行き、くぐり戸の様なところを通り、人のいない廊下から、二階の裏ばしごとも思われる所を上がって行くので、バアトルメアも無言のまま従って登って行くと、紳士はとある部屋の戸を開き、「ここでしばらくお待ちなさい。」とバアトルメアを残して立ち去った。

 バアトルメアはどうなる事かと怪しみながら、部屋の中を見渡すと、立派はもちろん立派だが、全体の建て方がすべて秘密室として作られた物かと思われるので、さては怪しい夫人が何かの相談があるために、貸切りにしているところだろう、などと思っていると、絹服の音が聞こえてきて、入ってきた一貴夫人、バアトルメアの姿を一目見るなり「おお、バンダさん、」と叫んだ。バアトルメアはこの名前を呼ばれて、又顔色を全く変え、身が震えるほど驚いたが、しばらく夫人の顔をながめてから「おや、バイシンさん」と言うよりも早く夫人の体にすがりつくと、夫人もしっかりと抱きしめ一緒に長椅子の上に転がり、しばらくの間は起き上がりもせずに、ただむせびなく声を聞くばかりだった。

つづきはここから

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