巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面117

鉄仮面    

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳     

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                 第百七回

 夜は既に二時を過ぎ、ピネロル駅近辺の家々は、皆戸を閉ざし草木までも眠ってしまったかと思われるほどだったが、町外れの寂しい家に、燃え残る明りを友としてまだ寝もしないで起きている一人の夫人は、バアトルメアのバンダだった。多くもない道具類をみな片づけて、自分も旅の支度をして、今にも出発するばかりにしているのは、夜の明けない中にここを逃げ去る覚悟と見えた。

 だがまだ待ち合わせている人がいるのか、先ほどから何度か外に出ては耳を澄まし、あるいは気が気でないように闇の中で背伸びをして、誰か来ないかながめるなどしていたが、空しく夜が更けて行くばかりなので、今は気ばかりあせって落ち着かず、中にも入らず外にも出ず足を大地につけたまま、入口の階段に腰を下ろし「ええ、もうこんなに気が落ち着かないことはない。」

 バイシンはもう牢番セント・マールスに疑われた様子なので、一刻も長居は出来ないと言い、後の指図をアリーに言い含めて、夕方の中にこの土地立ち去ったのは好いが、それにしてもアリーはどうしたのだろう。もう帰っていなければならない時間なのに。もしかしてセント・マールスに捕らわれてしまったのかしら。いやいや番兵にまで賄賂をやり、皆味方につけていると言うことだからよもやそんなことはないでしょう。

 これだけの道具があれば、牢の窓を切り破るのに三十分も掛からないと言って、宿屋の主人から受け取った刃物を隠し、勇んで出て行ってから、もう大方四時間も経っている。馬にもまぐさやって待たせて有るので、今帰ればすぐにもここを逃げられるのに、夜が明けてからではどんな事になるか分からない。いっそ砦の近くまで、いやいや見に行ったところで無駄なことだ。それとも鉄仮面のいる窓が余りに硬く出来ていて、切り破るのに手間取っているのだろうか。

 何でもアリーとバイシンの打ち合せでは一番警戒の薄い塔のてっぺんから縄を垂(た)らして、ブリカンベールのいる部屋を破り、先にブリカンベールを下ろして置いて、その次に鉄仮面の窓まで降りて窓の外からモーリスの名を呼び、いよいよ鉄仮面がモーリスと分かったら同じ窓から救い出すし、モーリスでなかったらそのまま降りて帰って来ると言うことだった。

 こう遅いところをみると、鉄仮面がモーリスだからその窓を破っているためかも知れないが、ああ、モーリスなら本当に有難い。そうだ、モーリスだ、モーリスだ。そうでなければブリカンベールを連れてもうとっくに帰っているはずだ。今までもモーリスだと思っていたが、まだ二年や三年で救い出すことになろうとはこの前の週までは思ってもいなかった。これも全くバイシンのおかげと言うものだ。それに又あのブリカンベールまで、あの砦に居ることが分かったのは本当に夢のようだ。ブリカンベールも助かり、モーリスも助かり、アリーと一緒に逃げて来ればもう何も望みはない。

 今までの苦労も苦しさも皆消えてしまう。ええ、それにしても遅いこと。ええ、気がもめて気がもめて、こんな心配なことはない。いっそ砦の側まで、そうだ、様子を見に行ってこよう。」気がかりで居ても立ってもいられず、バンダは思い切って行ってみようとして立とうとしたその時、天から降ったか地から涌いたか、目の前に立ち現れた大男にバンダはほとんど肝をつぶし、思わず後ろに飛び跳ねたが、石段につまづいて家の床へと倒れ込んだのを、大男は一足踏み込み抱き起こそうとするように肩に手を掛けたが、たちまち驚き叫んだ。
 
 「やや、貴方はバンダ様、有難い、有難い、ここに居て下さいましたか。バンダ様」と早くも泣きながらの声は言うまでもなくブリカンベールの言葉で、九年前と少しも違っていなかったので、バンダも又転び起き「おお、そなたはブリカンベールか、ブリカンベールか、好く無事で居てくれた。まあ、顔を見せて、顔を見せて」とすがりついて明りの側に引っ張って行き灯芯を延ばし明るくするのさえもどかしく、しばらくは手を取り合ってじっくりながめ合うばかりだったが、ブリカンベールは「ワッ」と声を上げ首をたれて泣伏した。

 「これ、ブリカンベール、何でそんなに泣くのです。」と言う自分も同じくおろおろ声だった。ブリカンベールは涙の中から「貴方のおやつれなさった姿を見れば、今までの苦労、心配が思いやられておいたわしゅうございます。」と言う、ただ誠実一筋の言葉にバンダも今はこらえきれず、腹の中から迫って来た涙にむせんだ。しばらくしてから思い直し、目をぬぐって首を上げ、「それにしてもブリカンベール、あのアリーはどうしました。」と問いかけるとブリカンベールは意味が分からない顔つきで「え、アリーがどうしましたですと。」

 「そうです。貴方を今夜救いだしたあのアリーです。」こう言われて初めてそれと気が付いたように、「えっ、窓を破って私を救いだしたあの男は、馬別当のアリーだったのですか。」「それを貴方は知らないでいたのですか?」「暗くてどうして彼と分かりましょう。ただ私の窓を破りあたりをはばかる小さな声でさあ出ろと言うだけでしたから。私としても救い出されるのがうれしいばかりであれこれ聞いている暇もなく、そのまま縄はしごに手を掛けますと、二人一緒では切れるかも知れないから、先に降りろと言って、自分から私の部屋に入りました。」

 「遠慮は無駄と私はすぐに窓から出ましたが、その時またも私の耳に口寄せて、町の外れでバンダ様が待っているぞとこれだけ言われました。町の外れと聞いただけで詳しくは分かりませんでしたが、番兵の来ない中に少しでも早くと思い、後は聞かずに縄を降りて一目散に走って来て、当てもなく一時間くらい捜した末、ただ一軒この家に明りが見えたので、もしやと思い入って来て運好くお目にかかれたのです。」

 「あの男がアリーならもう十分帰って来る頃ですが。」「もっともアリーはお前の他にまだ鉄仮面を救い出す積もりですから、それで手間取っているのでしょうけれど。」「鉄仮面とは何の事ですか?」おお、お前はまだ知らないはずです。モーリスだろうと思われる囚人が」と半分言うのを聞くやいなや「え、モーリス様が、あの牢に、そんな事ではないかと思いました。アリーがそれを救っているとは。えー、バンダ様、私がこれから駆けて行って彼と力を合わせてきっと救いだしてきます。」と詳しいことを聞かずに立ち上がったけなげさは、あっぱれ昔のブリカンベールだった。

 その時、表の方ですさまじい音がして「ここだ、ここだ、ここがアリーの妻バートルメアの居るところだ。逃がすな、逃がすな。」と口々に叫んで押し寄せて来たのは、聞くまでもなく砦の追っ手だった。

つづきはここから

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