巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面141

鉄仮面    

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳     

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                 第百三十一回

 長老は話を続けた。フィリップは石段に腰を下ろしたまま、待っても待っても人は来なかった。そのうち眠くなって何時間か寝ては覚め、覚めては叉眠るなど、一日だか二日だか自分で考えても分からないほどの時間が経ちました。そのうち空腹は増すばかりで、もう死ぬんだと諦めていると、ついに外から戸を開く音がしました。

 やっと助けてくれる人が来たかと、よろめく足を踏みしめて待っているうちに、ランプを下げた2人の人がその石段を下りて来ました。嬉しいと思い立ち上がると両人はフィリップの顔を照らして見て驚き、あれ幽霊がと一声叫び、そのまま戸を閉めることも忘れて逃げ出しました。

 フィリップはただ戸が開いたうれしさに、はい上がって外へ出て冷たい風にその顔を吹かれ、生き返ったよう気がして、先ずあたりを見渡すと、まだ日が暮れてから間もない時刻で、数百メートル離れたところに、灯火が見えます。弱った体を引きずりながらそのところまで行ってみると、かなりにぎわっている、宿場のはずれと見える所で、小綺麗な飲食店でした。

 自分のポケットに、金が有るかどうかも考える間もなく、その店に入りますと、中で何人もの客も、給仕もいましたが、皆同じように幽霊が来たと叫び、逃げ去ってしまいました。

 さては、自分が納骨堂から出て来たため、幽霊と間違いられているのだと思い、いや、幽霊ではない、生き返った人間だと言っても聞いてくれる人がなく、仕方が無く立ち去ろうとしたが、そばに食べ物があるのを見ては我慢が出来ず、皿に盛ってある肉などを手当たり次第につかみ食い、ようやく満腹になったのを幸いに、これから宿を探そうと先ずポケットの中を探すと、魔が淵を渡るときに持っていた金もサイフも何も有りません。

 さては自分を葬る費用に土地の役場で使ってしまったのか、それとも川の中へでも落としてしまったのか、どちらにしても明日を待って役場を訪ね、ゆっくり調べ、その上でここに支払いに来ようと思って立ち去りましたが、何しろ体の疲れがひどく歩くのも困難でした。幸い、少し離れたところに宿屋の看板が見えたので、訳を話して明朝まで休ませて貰おうと、またその宿に入りますとここでも同じように幽霊だと人が恐れ、皆逃げ去ってしまいました。

 いくら墓場から出てきたものにしろ、こんなに人が恐れることは納得できない、自分の姿が何か変わったところでも有るからかと、自分の体を見回すと、服はなるほど泥まみれで、見られた物ではないが、それでも死人に着せる服ではなく、ブルセル府から魔が淵まで着てきた服です。もしや、自分の顔に泥でも付いていて、恐ろしくなっているのではと、手のひらで顔をなでてみて、自分自身でも本当に驚きました。鼻も唇も皆無くなって、頬も肉か骨か分からないようになっていたのです。

 それでもまだ十分納得が行かないので、周りを見渡すと帳場の後ろに三十センチ四角のの鏡がありました。これは客が出入りの度に皆姿を見るのに、主人がかけて置いた物だと思われます。彼はそちらに行ってその鏡に向かうと、初めて自分の顔がくずれて居るのに気が付きました。

 なぜこのようになったのか、少しもわけが分かりませんでしたが、深く考えている暇もなく、ただ自分の身の恐ろしさにあっと驚いて、彼も叉その場所から逃げ出しました。逃げて逃げて足も続かず力も尽き、自分が倒れるまで逃げました。

 どこまで逃げどこへ倒れたかは自分でも分かりませんでした。ただ倒れたまま再び元気が戻るまで、その場所にいますと、夜も白々と明け始めました。自分はほとんど夢のような気がして、再び顔をなでますと夢ではなく、全く自分の顔がくずれたに違いはなく、触れれば触れるほど、ますます自分の姿の恐ろしさが分かってきました。顔だけだろうかと手足を見ると、これもところどころくずれてしまい、なかば骸骨のようになっていました。
 
 今まで美男子と人に言われ、自分の姿形を自慢にしていた男だけに失望も深く、どう考えても死ぬ以外に有りません。この顔ではどこに行っても相手にしてくれる人はなく、乞食もできません。だからといって他に身を支える手だてもない。これはきっと何かの報いで、天が自分をなぶり殺しにしているのだと思いました。こうなると、納骨堂で生き返ったのが恨めしく、あの時死んでしまえば、再び死ななくて済んだのにと、声を出して泣きましたが、泣いても仕方がありません。

 どうしても二度とこの世に生き返らないように、叉死に直すだけです。さあ、今度はどのようにして死のう。身を投げる川はなく、首をくくる縄もない。どうしても死ぬにも死ねないので、飢え死にを待つことにしました。彼はそこに身を横たえ、天を睨んで飢え死ぬのを待っていましたが、時間が経つに従って、近くを行き来する人の姿が、見え始めました。 

 見とがめられては、更に生き恥をさらす事になるので、どうしても川のあるところを捜し、身を投げるに限ると思い直し、叉、ふらふらと立ち上がりましたが、自分の顔の恐ろしを考えてみると、人に見られるのが何より辛く、むき出しでは歩けません。

 とにかく顔を包んで隠さなくてはと思い、黒い外套のの袖を裂き取り、それをそのまま頭巾のように袖口の細いところを縛り、逆さにして自分の顔にかぶりました。そうして川のあるところまでと、棒きれを杖にして辿っていきました。

 今からこれを考えてみると、彼の顔がくずれたのは、昔から例の無いことでは有りません。彼は一度死人同様になり、血の循環が止まったため、体がそろそろ腐りかけたのです。腐って半分骸骨になったとき、まだ何処かに生気が残っていたため再び血が循環を始め、半分腐ったままでゆっくり治り始め、大体直ったところで息きを吹き返えしたのです。

 何でも彼が魔が淵で死んでから納骨堂で生き返るまでおよそ三十日ほど経っていたようです。このような例は医学者もまれにあることだと言っていますが、彼はそのまれな一例です。と言って長老は息を継いだ。

つづきはここから

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