巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面39

鉄仮面  

ボアゴベ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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          第三十回

 
 バンダは何処に行ったのだろうか。守備隊の砦の戸棚から不思議にも消えたまま、陰も形もなかった。この時から数日過ぎた頃、ペローム守備隊の横の土手の陰に身を屈め、堀の水に糸を垂れて熱心に魚を釣る一人の兵士がいた。その服から見ると士官ではなさそうだが、ただの雑兵とも見えず、まずは軍曹ぐらいかもしれない。ここを通りかかった漁師風の色の黒い男が、ちょっと立ち止まって、軍曹の魚を釣る様子を見て「あはははは、いくら兵士と威張っていても釣りにかけては下手なものだ、ここは、普段、禁漁の場所だから、俺に釣らせれば引き上げる暇もないほど釣ってみせるのだが。」とからかって通り過ぎようとした。

 兵士は聞きとがめて頭を上げ「なんだ、百姓、失礼なことを言うとただでは置かないぞ。」漁師はなおもへらず口を聞き「漁師と百姓を見間違えるようでは釣りが下手なのも無理はない。どれ、旦那、私に釣らせてご覧なさいな。」と言い、遠慮もせずに軍曹の側に腰を下ろした。軍曹はしばらく漁師の顔を眺めた後、本当の漁師と見て取ったのか「どれ、その様な大口をたたくなら釣って見せろ。もし釣れなければ、この堀にたたき込むぞ。」

 「堀が恐くて漁師が出来るものか。水の中ときたら魚のように泳いでみせるわ。」と言いながら釣竿を受け取って、まずその餌を確かめ、「ああ、これじゃ釣れないはずだ。もう、水にふやけて匂いも何も無くなってしまっている。」と言い、自分の粗末な服のポケットから食い残しのチーズを取り出し、これを小さい団子に丸めて針の先に突き通した。その手際の早さはよほど慣れていると見え、ほとんど目に見えないほどだった。

 この様にして、その針を堀に投げ込んだが、なるほど大口をたたいただけの事はある。ものの十分間と経たないうちにはや五、六匹も釣り上げて渡したので、軍曹はほとんど感心し「何だ、お前の使ったその餌は。」「これを教えてたまるものか。素人に知られては漁師の飯の食い上げだ。」「なるほど、聖は道に寄って賢しだ、感心、感心(餅は餅屋だ)」「そうですとも、魔が淵で賊を捕まえるのはお前さんにはかなわないが、同じ谷川で魚を取るには私にかなう者はいない。」

 異様な言葉に兵士はぎょっと驚き、漁師の顔を鋭くにらんだが、彼は少しも怯(ひるむ)まずなお平気な調子で「ですが、旦那、魔が淵の取り物はうまくやりましたね。私は少し下手の葦の陰で網をかけていて、すっかり見ていましたが、旦那の手際には驚いたよ。声を立てては叱られると思ったから息を殺して潜んでいたが随分恐ろしい思いをしました。」 軍曹は益々驚き「何だ、お前が見ていたのか。」「見ていたにも、毎夜あの辺で網を下ろすのが私どもの仕事なもので、上手を誰やら大勢で渡るからここは魚が下手へ逃げて来るなと、早速網を張ったところ、かかったにも、かかったにも、網が破れるほどかかった。

 すぐに引き上げて掛け直そうと思っていると、驚いたね。こっちの土手から一時に人が現れて、ばらばらと鉄砲を撃ち始めた。松明(たいまつ)の光でよく見えましたぜ。撃たれて川に落ちる奴もいれば、倒れる奴もいる。だが、旦那、あの中にもしや、女ではないかと思われるような、美しい小柄の若者もいましたが、可愛そうにあの若者まで川に倒れ落ちてしまった。助けてやりたかったなぁ。え、旦那、あれの名は何といいます?」

 軍曹もうっかり話に引き込まれないように注意しながら「そうさ、何でも男の服を着ていた美人もいたと言うことだが、名前までは俺達には分からないよ。」「じゃ、全く女ですか、偉いものですねえ。女の癖にあの通り軍人の中に混じって、魔が淵を渡るなどとは。ですがあの他にも、一人の女のような素敵な美男子がおりましたね。旦那よりもっと役目が上と見え士官の服を着ていましたが、あれは旦那どうしました。

 あいつの死ぬ所は、つい見損なってしまったが」「見損なうはずさ。奴は生け捕られたからな。」「えっ、あの美男子が? ははぁ、なるほど、旦那がソレ、飛びかかってすぐ捕まえたのがあの美男子でしょう。私はあの時の旦那の顔を今でも覚えていますが、本当に勇ましかった。こうして魚を釣っているところは、余り強そうじゃないが、エ、旦那、戦場に出ると貴方の顔は引き立ちますねぇ。貴方でしょう、あれを捕まえたのは。」

 軍曹は益々話に乗せられて「ふむ、俺だ。俺一人と言う訳ではないが寄ってたかって縄を掛けたのだ。」「けれど何でも旦那が一番勇ましかった。貴方が一番先に飛びかかったようだった。ねえ、旦那」「そうよ、俺がいなければ、取り押さえることが出来なかったかも知れない。」「そうすると、旦那の手柄は偉いものだ。今に士官に出世するでしょう。何だって敵の大将を生け捕ったと言うのだから。エ旦那、あれが敵の大将でしょう?」「そうさ、大将の一人さ。」「じゃ、大将が二人いたのですかい?」「そうだ、二人あったが一人は死んでしまった」「じゃ、生け捕られた方が二人のうちの美しい方でしょう?」「随分美しい男だった。軍人には珍しいほどの美男子だ」「その美男子はどうしました。まだ生きているんですか?」

 「生きているとも、近い内、パリへ送って国王か大宰相が直々に取り調べるのだ。あれは国家の秘密を握っているから死なしては大変だ。」「へいー、国家の秘密、すごいものですねぇ。言わば、まだ美少年だが、あれで国家の秘密を握るとは。」「国家の秘密とは何の事だかお前にはわかるか?」「分かりますとも、国のための大事な品物ですか。」「品物じゃない。事柄だよ。」「ああ事柄事柄、その大事な事柄を握った奴がパリへ送られると言うからには、旦那が付いて行くのでしょう。」「なに、俺は付いて行かぬ。」

 「なるほど、旦那のような勇士がこの砦を明けては留守が危ないから、え、そうでしょう。貴方が留守番するのでしょう?」「まあまあそんなところだ。」「そうすると、何時送られます。」「そうさ遅くても、今から一週間だろう。」「はあ、今日が四月の三日だからそうすると十日頃ですね。」
 出発の日をあて推量されて、軍曹の目はたちまち疑いの目付きになり、再び漁師の顔をにらむと、漁師も今度こそは見破られたと思ったのか、すぐに立ち上がり、満身の力を足に込めて軍曹の背中を強く蹴ると、どうしてこらい切れるだろうか、彼は岸の端に屈んでいたので「おのれ」と叫ぶ間もなく真っ逆さまに堀におち、水底の藻に絡まったと見えて、しばらく待ったが浮かび上がってこなかった。

 漁師は安心の様子で釣り道具を堀に投げ込み「こうして置けば、誰が見ても釣りしていて誤って滑り落ちたとしか思わないだろう。」と言い、密かに辺りを見回した。この漁師はそもそもいったい誰なのだろう。
第30回終り

つづき第31回はここから

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