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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面73

鉄仮面  

ボアゴベ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.7.29

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            第六十四回

 バンダことヘイエー夫人が住んでいる家は、元々王侯貴人を迎えようと思って建てた家では無かったので、立派とは言えないが、二階に一つの客間があった。前に住んでいた人が物好きで、飾り付けさえ小ぎれいにすれば、宮廷のけばけばしさに慣れたルーボアの目には、目先が変わってかえって居心地が良いのだろうか。

 彼は今まで何度となく訪問してもその度に断わられていたが、今日は丁寧に迎えられ、医師トルミドーと一緒にこの部屋に通された。やがて入ってきたヘイエー夫人は成るほど病気の後かと思われるほど、顔の色が青かったが生まれつきの美しさはこのためにも少しも損なわれず、露に悩める花とでも言えるようで、かえって風情があった。

 医師トルミドーは心の中で「この様にすばらしい美人が、どうして今まで世に知られずにいたのだろう。」と怪しむように、ひたすらヘイエー夫人を眺めるので、ルーボアは日頃の傲慢さにも似ず、何と言って口を開こうかと、ほとんど極り悪げにモジモジしていた。

 彼の四十年来の政治上のかけひきは、美人と応接するかけひきを彼に教えなかったと見える。しかし、彼よりも当惑しているのはバンダの方で、彼の姿を見ると早くも毒蛇にでも近ずくような気になった。このまま、逃げ去りたい気は山々だが、ここが大事と気を取り直し、かねてからバイシンに教えられた事に従い「見る影もないこんな家を度々お尋ね下さり、ご親切ありがとうございます。」と言い、その細い手を延ばすと、ルーボアは熱心にこれを取り

 「いやー、この家を訪問するのではなく、ただ貴方を訪問しているのです。」と言い、言葉の後を付けてくれと言うように、トルミドーの方を見ると、彼も今晩一夜の忠勤は、国王ルイの側に百年仕えているより、なお効き目のある出世の道だと思うらしく、少しも途切れなく「はい、この方のお住まいなら、たとえどの様な所だろうと、大宰相が訪ねて来て、少しも恥じることはありません。」と相槌(あいずち)をうった。

 ルーボアはこの間に次の言葉を考えて「実は、先日来、ご病気の由と聞きましたので、今日は宮廷の侍医を連れて来ました。これなる者はトルミドー医師です。」バンダは「左様でございますか。」と言いながら、トルミドーにも手を与えると、彼も恭しくこれをとり「どうせ宮廷では遊んでおりますから、これからは何時でも伺います。」と言う。

 この時のバンダの身は実に女王にも勝る栄誉を極めたと言っても良かった。長年の間、女に向かって下げたことの無いルーボアの無礼な頭を垂れさせ、宮廷の侍医に「何時でも伺います」と言う言葉を言わせる。世にこれほどのためしがあっただろうか。バンダがもし普通の女だったなら、この栄誉に心酔い、鉄仮面をも、同志をも忘れてしまうところだが、バンダはただどうにかして、この面会を短くしたいと思うばかりだった。

 「いえ、折角のご親切ですが病気はだいたい良くなりました。」「貴方のご病気は同じ年頃のご夫人方によくあります。多分神経的な疲労でしょう。しかし、もうご病気がお直りなら、これからは度々お目に掛かれます。」ルーボアも後について「そうです、パリには沢山見るところがありますし、社交界も広いのでこれからは私が案内しましょう。」

 「いや、もう大宰相の紹介ならパリ中の貴族、王族の門は貴方のために皆開いて待っています。特にこのご器量では三月も経たないうちに、社交界の人気者です。それにしても今まで貴方が世間に現れずにいたのは不思議です。」

 「はい、私はこの後でも余り交際など致しますのは好みません」バンダはすべてバイシンの言いつけより、すべて冷淡に扱ったが、美人の冷淡さは無礼の中には入らず、この様な気性の女ならばなおさら目を掛ける値打ががあると、ルーボアはかえってその熱心さを増すように、これから様々な話をした。

 例えば今少し流行の場所を選び転居したらとか、知っている人に役人になりたいと言う者がいたら、十分に取り立ててやるとか、すべて自分の大宰相の権威を示し、バンダの心を服従させようと勉めたが、バンダは益々その考えが嫌に感ずるばかりだった。

 しかし、この人のご機嫌をとり、この人の口から聞かなければ、鉄仮面の行方はどうしても知ることが出来ないと思うので、いちいちその言葉は拒絶せず、ただ気が向いた返事だけをしていると、およそ一時間位経ったとき、ルーボアは初めての訪問に余り永居をしてもと思ったのか、又来る約束をしてこの夜は分かれたが、これから後は彼は三日目か四日目には必ず訪れ、長い時は二時間も話すことがあった。

 話は色々なことに及んだが鉄仮面の事を聞くような機会は無かったので、バンダは当てが外れた思いをして、バイシンにも愚痴をこぼしたが、バイシンは急ぎすぎて疑われるよりは、気を長く持って自然にその時が来るのを待っているようにと言うばかりだった。それ以外のことは言わなかったが、この様にしている中にもルーボアの熱心さは増すばかりで、この時から二ヶ月が経った頃にはもう、彼と差向いで話をするのは危険にさえ思えてきた。

 バンダは本気になって考え、この上、何時までも同じ面会を重ねるべきではない。この次の時には例え彼の疑いを招くとも、鉄仮面の行方を聞いてみよう。もし聞くことが出来なかったら、これを交際の最後にしてこの土地を去り、国中の牢屋を順に訪ね歩き、十年が二十年掛かろうとも鉄仮面を捜し出そう。何時まで心にもない愛を装い、夫の仇敵に笑顔を見せていられようか。と先ずこの考えを、コフスキーに話すと、コフスキーも同じ考えと見えて、一も二も無く賛成した。

 その上で更に言葉をあらためて「私も初めからこの事は余り好ましいとは思って居りませんでしたが、目的のために止むを得ず、涙を飲んでこらえて来ました。いよいよ彼に交際を断わるなら、ただ断わるだけではいけません。彼を殺してしまいなさい。貴方とて彼を殺し身の潔白を示さなけれぱモーリス様に言い訳がたたないでしょう。

 例え、モーリス様のためとは言え、あの様な者に何度も面会し、人を退けて密談をして、それでもまだ初めの目的が達せず、その上、彼を生かして置いたのでは、他日、モーリス様が聞いて、貴方の振舞いを何と思うでしょう。さあ、そのためにこれを渡して置きましょう。」と言い、一振りの短刀を出して渡すので、バンダはこの異様な言葉の真意を察してかたちまち目に涙を浮かべた。

 そして非常に恨めしそうにコフスキーの顔をながめ「お前はまあ何と言うことを言うのですか。今までの私の振舞いにモーリスへ言い訳の無いような事があったとでも言うのかい。それは余りに私の心を知らなすぎると言うもの。

 ルーボアと一間にこもって密談したとしても、モーリスはさておき、人に聞かれて恥ずかしい様なつまらないことは話していません。」と言って泣き伏したが、コフスキーは更にはっきりと「いや、そうは申しておりません。貴方の潔白は誰も疑っては居りませんが、ただ目的を達しなければ何のために会っていたのか、言い訳が出来ません。

 もし目的さえ達成できるなら身を汚しても構いません。はい、貴方が操を破っても。その代わり、それだけの目的を達すれば貴方は本当の烈女です。操も破らず目的も達しないで、彼を殺さなければどうして言い訳が出来るでしょう。貴方に殺すことが出来なければ私が殺して上げましょう。」

 これはバンダを励ます気で言っているのか、それとも本気で言っているのかは分からないが、バンダは確かにそうだと悟ったように泣くのをやめて、顔を上げて静かにその短剣を受取りながら「そこまでは私には分からなかった。なるほど、彼を殺さなければ言い訳は立ちません。

 この次にもし聞き出せなかったら、彼を殺すか、それさえも出来なかったら、自分で言い訳の立つだけの事はします。」と言いきる心は自殺をしようと言う心か。

 コフスキーは気も付かない様子で「はい、操を破って目的を達するか、操を破らず彼を殺すか、どちらかと言えば目的を達することが大事でしょう。」と口の中で繰り返しながらさっと席を立ったが、この時もし向こうに回って、彼の顔を盗み見たら、彼の顔にはバンダよりも一層多くの涙が流れているのが見えただろう。

つづき第65回はここから

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