巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面76

鉄仮面  

ボアゴベ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.7.30

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               第六十七回

 心にも無い愛を装っていたずらに男をだます。世にこれを妖婦という。妖婦の振舞いは淑女がするのを恥じる事だが、今までバンダが行った事はもちろん妖婦の振舞いではない。心にもない愛を装い男によだれを流させた訳ではなくて、自分は愛しているふりをしないように心がけたせいなのだ。

 たとえ少し妖婦に似たところが有ったにしろ、止むを得ない事情が有ったのだ。死んでいるところを死なずにいてこの様な場面に出くわしたものなので、少しも非難すべきところが無いばかりか、その心を察すれば、実に千年の後までも夫人の鏡と言うべき者で、他に比較できるものがいないほどなのだ。もちろん何もかも考え尽くし、夜一晩を泣き明かして考えをまとめた事なので、バンダはルーボアのこの熱心な様子を見ても、少しも騒がず、「貴方のそうおっしゃる言葉に真心が有るとどうして認められるでしょう。」

 この問いに会い、ルーボアはあたかも燃える火が風に吹かれたように、又一層狂いだし「こんなに言っているのに、真心が無いとは、これ夫人、心にもない偽りを並べて女をだますような男だと思いますか。熱心です。真実です。こう言っても分かりませんか。これ、夫人、どうしたら私の誠が分かりますか。え、どうすれば」

 「はい、その証拠を見せて下されば」「え、証拠、どの様な証拠でも見せましょう。どうするのが証拠ですか? 大宰相の地位を辞職しますか?貴方と供に田舎にでも引き篭りますか、はい、貴方のためには義理も捨てます、世間も捨てます。栄華も名誉も要りません。もう私に取って貴方ほど大切な人は居りませんから貴方のためにはどの様なことでもします。これでもまだ誠を尽くしているとお思いにはなりませんか」

 「誠かも知れませんが、口でそうおっしゃるだけでそれが証拠になるでしょうか。」「よろしい分かりました。口で言うばかりでなくその通りにしてお目にかけます。すぐにこれから大宰相の位を返上し、侯爵ルーボアの位を返上し、ただの一市民ミチェッル・リテイリエの身になって貴方の前にひざまずけば、これを誠意の証拠と見て、愛してくれますか?」と目にただならない決意を現して念を押した。

 彼は生来、一度こうと思い込んだ事柄は、どの様な困難があっても必ずやり遂げずには置けない性質だから、バンダの返事一つで本当にその職を止め兼ねなかった。特に人間の一生の中に一度は必ず、愛のため何事も忘れてしまうことがあり、ただ遅いか早いかの違いだけなのだ。早い場合は、軽く華々しく、ただ若気の過ちとして過ぎ去るが、遅い場合は、十分な考えがあっての事だから、身を滅ぼしても止まらない場合も多い。まして彼は四十を過ぎる今日まで、ただ心を功名、富貴に奪われて、愛がどれほど貴いものかを知らなかった。ただ無慈悲、ただ非道に人を突き倒して進だけで、そのほかの情けを知らないのだ。

 萌出る愛の情を抑え、抑えて今日まできた人間なので、愛は心の中にあって、四十何年の発達を遂げて、機会さえあれば外に出ようとしていた矢先だったので、バンダのような世にも希な相手を見つけたので、今まで愛を抑えていた反動で一層強く心が動きだしたのだ。彼は真実、今はただバンダの一言の返事を得るためには、爵位ばかりか栄華、栄誉もどうでも好いと思っているのだ。

 これを思えば彼の有様は、ほとんどバンダの身にとっても恐ろしいほどなのだが、ここまでしなければ、目的を達することが出来ないので今更驚くには当たらないのだ。バンダは密かに隠し持っている懐剣に振れて見た上で、なおも膝にすがりつく彼の手を払わずに、「貴方が役目を止めたところで、女がそれを有難いと思うでしょうか。」「ではどうすれば好いのです。何を貴方は真実の証拠と言うのです。」「さあ、何を証拠と言いましょうか。そう聞かれても困りますが、何でも貴方の今の言葉がもし嘘と分かったときに、貴方を責めることが出来、嘘で済まさないような事です。」

 「ルーボアはこのひと事にたちまち合点がいったらしく、「なるほど分かりました。つまり偽りと分かったときに、その偽りを責めれるだけの証書ですね。抵当ですね。」バンダはまたも微笑みながら「金の貸借か何かのように証書や抵当が受けられましょうか。」「いや、それはそうですが、その様な証拠や抵当ではなく、私がもしも不実をした場合に、貴方が私を責めるだけの道を付けて置けば好いのですね。」「はい、私はこの様な頑固者ですから、責めるだけでは気が済みません。責めて滅ぼす道で無ければ、貴方が何とおっしゃつても誠とは思いません。」

 ルーボアは望みがいよいよ開いてきたと見たのか、少し安心したように手の平で、額の汗を拭い「ごもっともです。私が嘘をついた時、私を責め滅ぼすだけの道、なるほどこれなら証拠です。よろしい、もちろん偽りを言うはずはありませんから、それは何よりた易いことです。どれほどでも責められるように私の身の責め道具とも言うべき物を全て貴方に渡しましょう。それならば好いのでしょう?」

 「はい、そうさえして頂ければ。。。」「よろしい、幾ら責め道具を渡しても、その責め道具で責められるように心が変わるはずは有りませんから、十分貴方を満足させます。さて、責め道具と言ったところでどうすれば好だろう。」「貴方の身に辛ければ辛いほど好いのです。」「それはそうですとも、私の身に辛くなければ責め道具にはなりません。さあ、そうと極ったところで、私の身に一番辛い職務上の秘密ですが、これは貴方にお話した所で分からないでしょうし、しかし、これを話して置けば私の命も私の名誉も総て貴方の手の中です。」

 バンダの今までの辛抱もただ職務上の秘密を聞こうとすることからきたものだが、このようになっては余りの重大さに微笑もうとしても笑顔にならず「はい、その様なことでしたら、それこそ本当の証拠です。職務上の秘密までお打ち明け下さるのにだまそうとするお気持ちが有ろうとは思われませんから。」「では打ち明けます。と言ったところで色々有りますが」

 「とおっしゃるのはその中の一番軽いのをお話なされるつもりでしょう。そのようなお心なら」と言ってもう聞くには及びません」と言う気持ちを示そうとすると彼は大変と驚いて「いえ、夫人、そんな水臭い男では有りません。本当にその中の一番重要なことを言いましょう。これはもう他人に知られたら大変なことですから、貴方もそのつもりで聞いて下さらなければなりません。」「その代わり貴方の心が嘘だったと分かればいつでも話しますよ。」

 「勿論です。それでこそ責め道具ですから。その時には屋根の上で怒鳴っても好いです。実はですね」と言いかけて彼は声をぐっと低くして「王族コンド公爵と同じくチュウリン公爵に関する事件が私の秘密中の大秘密です。貴方は両公爵の名前を知っていますか。」一人はこれ王室に大関係のある王族で、もう一人は武勲に輝くフランス陸軍の大元帥だった。

 バンダがこの名前を知らないはずが有ろうか。ただ、知っているばかりでなく、夫モーリスが決死隊を組織したのも、この両公爵の内命が有ったからで、モーリスがかって魔が淵に差し掛かったときバンダの耳に口寄せて、連名帳に書いてない大将軍の名前を知っているのはただ私とお前だけだとささやいたその大将軍はすなわちこの両公爵だったので、今ルーボアが言い出そうとしている大秘密はすなわち鉄仮面の秘密なのだ。バンダはただこれだけを聞き、今まで何事にも驚かなかったその胸が轟くほど高鳴るのを感じた。

つづき第68回はここから

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