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鉄仮面93

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳 

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2009.8.7

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                 第八十四回

 話は替わってバイシン女はあの第四回の水責めにあって、全く死人のようになり、前後も分からないようになって審問廷から担ぎ出され、再びビンセンの牢獄に入れられたが、体はどこか丈夫なところがあったらしく、翌日には早くも元に戻り、いつも隠し持っている色々な薬を飲んで、三日と経たない中に全く元の体に戻っていた。

 これを聞いて宰相ルーボアは、まだバイシンが決死隊の残党の名前などを知っているのではないかと疑い、それを白状させようと、今度は水責めの荒々しさに引き換え、もし白状したらただ死刑を見合わすだけでなく、無罪にして放免しようとまで申し出たが、バイシンはこれにも応じず、既に硫黄火焼き殺しの宣告を受け、死ぬと覚悟を決めた事なので、今更哀れみをこう気持ちはないと言って、なおもルーボアを罵(ののしる)っているので、警察もあきれていよいよ死刑を執行することになった。

 死刑は宣告の日から丁度十日めで、その間バイシンは牢の中にいて、当時政府を憎む者らが作った風刺の歌を、声高く歌い、あるいは牢番をののしるなど、ほとんど手のほどこしようの無い状態で、少しも死刑の恐ろしさを気にしていない様なので、牢番達もかえって驚き恐れ、この女こそ悪魔の化身で、その毒薬の秘伝などもすべて、悪魔から授かったものに違いないと言い合っていた。

 このようにしていよいよ十日目となり、午後の三時に牢から引き出され、最後の説教を受けるため、有名なノートル・ダムの説教室に連れて行かれ、当時の儀式に従って、バイシンは太いろうそくを手にもたされ、一時間ほど説教を聞かされ、更に最後の懺悔(ざんげ)に、心に掛かることを残らず我に聞かせなさいと長老にさとされたが、長老の涙にも少しも心を動かすこともなく、私は悪魔の化身なので、死にぎわになっても何も悔いを残すことは有りません。

 死んだ後は魔道に入り、再びルーボアを苦しめてやるだけだと言い、少しも儀式の尊さを知らない様子なので、このために時間は少し伸びたが、この事が終わるとまた台に乗せられて、数人の騎兵に護衛されて、死刑人の服を着せられ、「ラ・クレーブ」の刑場に連れて行かれた。

 すべてこの頃の規則として、死刑に処せられる者は白い布で顔を包まれ、人に見られる事が無いようにして、連れて行かれる決まりになっていた。既にプリンビラ侯爵夫人の時も、その例に従っていたのは皆が知っていた事だったが、バイシンは群集の中に顔をさらし、その上、もしやわが身を救いだそうとする者はいないかを、見回したい気が有ったので、なんと言ってもその顔を包ませなかった。素顔をあらわにして台に乗り、片ほおに微笑を浮かべ、群がる群衆に会釈をしながら連れられて行く。

 その大胆さには、ほとんど感動をしない者はなかったが、やがてラ・クレーブの広場に着いたので、一層気を付けて四方八方を見回すと、幾万人と言う数知れぬ見物人は、道にまで混み合って、護衛の騎兵もほとんど進めない状態だった。特に群衆の到るところに、異様な出で立ちをした人々が見えたので、バイシンは早くもそれと察し、きっと私の夫アントインを初めとして、コフスキー、アイスネー等が私を救おうとして、何かを計画しているのだと思い、その平気な顔に更に一層喜びの色を現した。

 いざと言う時に、すぐに台から飛び降りれるように身構えて、なおも群衆に笑顔を振りまいていると、バイシン、バイシンと叫ぶ声が群衆から出始めた。中には非常な悪口もあったが、中には又勇気を起こさせるようなものもあった。その騒々しいことは耳をも聾(ろう)《聞こえなくする》するばかりで、護衛の騎兵が何度もむちを上げてこの騒ぎを鎮(しずめる)めようとしたが、熱湯がわきかえるように押し合う、数万の人々を鎮(しず)めることは出来なかった。

 時々はこの辺のゴロツキかと思われる、たくましい顔形の人が台に近ずき、「姉ご、心配することはないですよ。冥土の横町で待っている人がいるよ。」などと意味有りげな言葉を言い、バイシンが「分かったよ。」と言うようにうなずくのを見て、満足したように踊り回り、又群衆を押し立てて人の波を打ち返させた。これらの様子から考えると、何かの合図を待って、私を救い出すことは非常に簡単な事なので、何処かに必ず合図をして、指令を出す人がいるに違いないとバイシンは顔を上げて、四方の小高いところを初めとして、色々なところを見回すと、刑場の正面の居酒屋の二階に、ことさら首を前に突き出している一人の紳士を見つけた。

 バイシンの鋭い目は早くもこの人に目をつけたが、遠くて誰だか見分けることは出来なかった。次第次第に近ずくに従って良く見ると日頃の姿とは異なっているが、確かにあのコフスキーなので、今は何を疑うことがあるだろう。私があの窓の下に行ったなら、必ず仲間に合図して私を救わせることになっているのだと、目に十分心を込めてコフスキーを見やると、コフスキーも「安心せよ。」と言う目配せでバイシンの顔を見る。

 ここにきて目も口ほどに物を言うと言うべきだ。これからは少しでも早くあの窓の下まで進んで欲しいと祈ったが、一歩一歩進に従い、群衆の押し合は益々激しく、護衛の足もなかなかはかどらなかった。およそ三十分ほど経って、ようやくあの窓の下に着いたので、バイシンはいよいよ救われる時がきたと再びあの窓を見上げてみると、これはどうしたことか、前にみたコフスキーの姿は見えず、見も知らない田舎の商人が顔を出して私を見ている。

 どうした事だろうと驚いて顔色を変えていると、商人は目にあざけりの心を込め、「ざまを見ろ」と言わんばかりにその顎を突き出した。それにしてもこの憎い商人め、いったい誰なのだろう。どうしてここにいるのだろう。コフスキーをどうしたのだろうか。なぜ私を馬鹿にするような様子をしているのだろうと、もう一度じっくりと見直して見て、その人が誰なのかバイシンの目には、はっきりと分かった。商人に形は変えていたが、彼は商人ではない。自分の敵だった。しかも、最も恐ろしい敵だった。

 余りの事にバイシンは思もはず声を出し、「ああ、もう駄目だ。ナアローめが」と口走って台の上に沈み込んだ。実際バイシンが絶望するのも無理はなかった。この商人は前にバイシンが毒薬で頓死させ、又生き返り薬を飲ませて、生死がはっきりしていなかった、あのナアローだったのだ。
 
つづきはここから



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