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鉄仮面96

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳 

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                 第八十七回

 「貴方はどなた? 名を聞かせて下さい。」、この文句で見る限り、自分を救おうとしている者がいることは確かだが、どの様にして自分の名前を知らせようか。この時の用意にと前から作って置いたパンの玉は、空しく堀に沈んで仕舞った。再びパンの玉を作っても、堀の外に投げることは難しいのでどうしようもない。

 だからと言って外の人の指図に従い、洗濯物に自分の名前を書くことはこれも出来そうもないことだ。筆、墨が有ればまだしも、何を墨にし何を筆にして自分の姓名を書こう。牢に入ってから毎年一度づつは、あのルーボアが、私の白状を聞くために私に手紙を書かせ、パリに送らせることにして、そのたびに紙、筆を貸し与えられることはあるが、それだって他の用には使うことはできない。牢番自らが紙、筆、墨を持って来て、その前でその手紙を書かせ、書き終わったらすぐにその道具を持ち帰って仕舞うので、私は他の一字一句も書くことはできない。

 八年もの長い年月、ただ着のみ着のままで、他に何の道具も渡されず、ただハンケチとシャツのほかは何も手に持った事が無いこの身に、何を筆の代わりにし、何を墨の代わりにせよと言うのだ。それにたとえ墨、筆が有ったところで、洗濯物に書き込むことはこの上もなく危険なことだ。そもそも牢番と言うのは、すなわちここの守備隊長セント・マールスと言う人で、この人はかって魔が淵で決死隊が捕まったとき、伏兵の大将として出張したペローム守備隊の隊長だった人だ。

 彼は生け捕るべき決死隊を、生け捕りにせず皆ごろしにしてしまった罪で、ルーボアとナアローの不興を買い、この様な辺ぴな守備隊の隊長に追われた人なので、何とかしてその失敗を償い、再び都に近い土地に移され、徐々に出世したいという気持ちが強いので、囚人の扱いには少しも油断がなく、厳重の上にも厳重を極めていた。

 たとえば囚人の食事に使う皿なども、その裏に何か書いてないかと、その都度目の前で洗わせるほどなのだ。つい最近も蝋燭(ろうそく)の芯に、何か書いたものを巻き込んでいないかと心配し、何本もの蝋燭を粉々に割って調べたこともあると言うことだ。これほどなので、もちろん洗濯物もいちいち調べており、今度の連絡が、彼の目に止まらずに、無事にここまで届いたのは、不思議という以外はない。

 このように厳重な牢番の目をかすめ、外の人に自分の名前を知らせることなど、思いも寄らないことだが、折角自分を救おうとしている者がいるのに、自分の名前を知らせずに終わると言うことは、もったいない。今知らさなかったら、生涯世に出る抜け道を塞ぐに等しく、二度と再び出ることはできなくなる。よしんば失敗して罰せられても、鉄仮面をかぶせられて、死ぬまで日の目も見られない今の状態を、越える罰など有りはしない。

 見破られるなら見破れ。自分は浮世の自由を求めるためには、どんな責め苦も恐れない、としばらく考えて決心したが、なおも考えあぐねるのは、墨と筆だった。どの様にして洗濯物に自分の名前を書こうか。ここからは鉄仮面が考え悩んでいたのは、この事だけだったが、これも間もなく良い工夫が思い付いた。

 毎週一度金曜日には、夕飯に魚類を入れて来るので、魚の骨を取って置いて、これを筆にしよう。墨は自分の体に満ち満ちている生血こそ、天が与えてくれた赤インキだ。長年ルーボアを恨む心に、熱く煮いくり返っているので煮詰まって、他の人の物より濃いことはあっても薄いことはないだろう。これだけはまだルーボアも牢番セント・マールスも私から奪えないで、私の体に預けているものだ。

 よしよし、体の何処かを噛み破ってその血で通信しよう。それも目に触れるところを傷つけては、怪しまれる元になるので、靴を脱いで足の指を切るとしよう。痛みは恐れるところではないが、余りに多くの血を出して、床を染めては隠すのが難しくなる。少しだけ喰い破り、ただ必要な分だけにしようなどと、何から何まで考え金曜日を待っていると、やがて金曜日がやって来た。

 計画通り魚の骨を取って隠し、これからは牢番の来る合間合間に仕事をして、次の洗濯物を出す日までにようやく準備ができた。先ず外から言ってきた通り、シャツの裏には非常に細かに「詳しくはハンケチに書いて有るのを見よ。との数文字を書き、さらにハンケチの隅のほうには、一層細かに自分の名前などを書き、それを隠すため外のハンケチと結び合わせ、結び目を解いて調べて、初めて文字が現れるように工夫した。細かいところまで気を配り、この様に工夫をして、いよいよ牢番が洗濯物を集めに来るその時を待っている彼の心配は、どれほどだったろう。

つづきはここから


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