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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面97

鉄仮面    

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳  &color

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                 第八十八回

 今日は鉄仮面が初めて女の歌声を聞いてから七日目で、即ち洗濯物を送り出す当日になった。彼は既に外への通信を書き終わり、その布を部屋の片隅に置き、再び窓の側に寄っていると、今日もあの歌が聞こえて来た。「ああ、丁度七日が七日の間同じ時間に同じ歌。あれが洗濯する女ででも有ろうか。」

 「私の名前を聞いて来たのもあの女に違いない。さもなければ他人が洗濯物に書き込みなどできるはずが無い。とは言え、洗濯などをする女が俺を救うなどと言うはずはない。それにこの様な大胆な計画はできないだろう。」

 「そうしてみると誰か俺を知っている者が、あの女に賄賂(わいろ)でも使いこの様なことをしているのだろうか。それともあの女がもしやーーー」自分が思う女ではないかと怪しみながら更に耳を澄ますとこの時番兵の容赦無い声で、「これこれ、ここでその様な歌など歌ってはならん。」と叱りつける声が聞こえ、歌の声はたちまち止んでしまった。

 「ああ、無情な番兵が叱ったと見える。あの歌を歌う女が俺の事を心配してくれる、この世にただ一人の友達かも知れないのに、その声もこれ限りで聞くことはできないのか。いやいやこういう中にも牢番が、洗濯物を取りに来る時間だ。怪しまれないようにしなければ、どんな事になるか分からない。」こう言って窓からはなれ、密かに脱いで置いたあの鉄仮面をかぶり、「ああ、なまじっか、仮面を脱ぐことを覚えたため、ときどき脱いだり付けたり、かえって面倒が増えるばかりだ。もうこの牢を脱出するまで決して面を脱がないことにしよう。脱いだところを牢番に見られては、又叱られ怪しまれる元になる。」と独り言を言う言葉が終わらない中に、早くも聞こえてきたのは牢番の足音だった。

 彼は静かに入口の戸を開き中に入って、又閉じながら鉄仮面の方を向く、その顔色を見ると年の頃は既に五十を過ぎ、人生の最も無慈悲な時に当り、しかも眉間に深い八の字を寄せているのは、どんなに意地の悪い人か知れない。ほとんど底の知れないところがあった。彼は会釈もせずに鉄仮面を見て、「これ、たった今、塀の外で誰かが歌を歌っていたが、きっと窓から聞こえてきた事だろう。」鉄仮面は口ごもりながら「どうですか、ここへは少しも聞こえませんでしたが。」「とぼけるな、聞こえないと言うことが有るものか、しかし、二度と歌わないようにと番兵に叱らせたからそれでよい。今日は他の話がある。」

 他の話とはもしや通信の事が分かってしまったかと、鉄仮面はほとんど顔色を変えたが、仮面で顔を隠していたのは幸いだった。「他の事とは、この間出したその方の手紙にルーボア様から俺にまで返事が来た。もっとも俺からその方が神妙にしていることを、書き添えて置いたためでも有ろうが、聖書だけは差入れが許された。それから一年にただ一度、クリスマスの日に、牧師を呼び入れ説教を聞かせてやれとの有難いお言葉だ。」

 一年にただ一度牧師に会って聖書だけ差入れられる、この二つが何で有難いお言葉だろうか。聖書はどの牢にも備えて有って、自由に囚人に見せる様になっているもので、牧師の説教はバスチューユの囚人さえも、毎週一度は聞くものなのにと、鉄仮面が恨めしく思うまもなく、牢番セント・マールスは言葉を継ぎ、「なんとルーボア様を情け深い人だとは思わないか。」「はい、実に情け深い人です。」と答える声も涙にむせび、なかなか喉から出ず、言い出してベッドにどうと倒れ掛かるのは、余りの絶望に自分の体を支えられなくなったからと見える。

 セント・マールスは鉄仮面の苦しみを、面白いと思うようにしばらくこの様子を見ていたが、やがて声高く笑い「あははは、男の癖に泣いているな。これほど有難いお言葉をもらいながら、何がそんなに悲しいか。馬鹿な奴だ。」鉄仮面はしばらくして声を整い「何も悲しくは有りません。ただ八年来、日の光を見たことが有りませんから、少しでもそれを見たいと、手紙の中に書いてやりましたのに」「それはなかなか許されることではない。日の光を見せるには牢から外に出さなければならない。ちょっとでも外に出しては、どんな事になるか分かったものではない。それだから、こればかりは許さない方がよいだろうと、俺が書き添えて上申した。そのためかは知らないが、その事はまだ許されてはいない。」

 「ええー、それはあんまりーーー」「なに、余りなことはない、実際この辺は山の中で、日が照ることはあまりない。俺だってこの守備隊に移されてから、何度も日の光を見ていないほどだ。しかし、まだそんなに失望するするには及ばない。俺もそんなに長くこの守備隊に勤めているわけではない。長く辛抱している中には手柄に寄って、もっとよい土地に移されることもあるだろう。その時にはおまえも引き連れて移るのだから、又日の光を見られることもあるだろう。それまでは辛抱しろ。」

 さてはこの意地の悪い牢番が、他に転勤するときに自分も一緒に連れて行かれ、一生この男の手から逃げ出すことは出来ないのか、と思う心がそぶりに現れたのか、牢番セント・マールはそれを察して、「おお、お前とわしは一生離れることは出来ない。お前には鉄仮面をかぶせているほどだから、お前が一人でも多くの者に知られることはルーボア様が好まぬところ、そのためおれ以外には決してお前を渡しはしない。」

 「おれが転勤する時は、お前を連れたまま転勤するのだ。丁度、お前は俺が飼っている篭の鳥も同じだ。まずお前は一生飼い殺しだ。俺はお前をあだ名で白鳥と呼んでいる。もっともそれはお前ばかりではない。もう一人ルーボア様から、お前と同じ様な囚人を預かっているが、それには黒鳥と名付けている。黒鳥も白鳥も死ぬまでセント・マールスと言う飼い主のお荷物だ。」と言い、自分の例えのうまさを自慢するように、「あははは」と笑っているのは、なんと憎々しい鬼のような奴なのだ。

 鉄仮面は余りの事に言葉を発することも出来ず、黙って控えていると、セント・マールスは辺りを見回し、彼の洗濯物に目を止め「おお、洗濯に出すものを集めているな、これらのシャツもハンケチも、皆政府の費用で当てがわれているのだから、何も恨むことはあるまい。どれ、一つ一つ調べた上で洗濯に持って行ってやろう。」こう言ってセント・マールスは向こうを向き一つ一つ調べ始めたので、鉄仮面はその後ろにいて、もしや通信が見破られないかと、仮面の中で顔の色が青くなったり白くなったりした。

つづきはここから

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