巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳 *

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噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   百四 私と一緒に

 本当に黒姫の居る所が分かったのだろうか。分かったと聞いた守安の喜びは、譬えるに物も無い。今まで彼は、唯黒姫を思うが為のみに生きて居た様な者で有る。彼の命に、黒姫を思わない時間と言っては無かった。彼は自分が思うだけで無く、黒姫の方も自分を思って居ると信じて居る。公園地で見交わした眼と眼とが、唯自分の心底(しんそこ)に徹したのみで無く、確かに黒姫の心底(しんそこ)にも徹した。

 唯だ寸秒の間では有ったとは言え、黒姫の心の奥までも自分に心に見えた様に、自分の心の奥の奥まで、黒姫に見えたに違い無い。互いの心が同じ時に、同じ様に開かなければ、是ほど深い感動が何時までも残って居る筈は無い。残って居る上に一日一日に力が強くなって来るのだ。

 彼は目を閉じても黒姫の顔が見える。本を開けば文字の表に黒姫の姿が有る。筆を取れば黒姫に対する自分の思いを書かずには居られない。彼の手帳は、自分の心の痛みから湧いて出た文句で満ち満ちて居る。
 この様な有様だから、絵穂子(イポニーヌ)の言葉に度を失うほど喜んだのも無理は無い。

 「本当ですか。本当ですか。」
と彼は忙しく念を押した。絵穂子(イポニーヌ)の方は、守安の此の様な熱心が余り嬉しくは無い。
 「余(あんま)り貴方が喜ぶと教えて上げませんよ。」
と言った。

 実を言えば是が絵穂子の心情である。何でも守安に教えると決心して居た訳では無い。成るべくは秘めて置いて、様子に由っては教えようかと唯だ是れくらいに思って居たのだ。けれど不意に守安を見た嬉しさだか驚きだかの余りに、思わず言って了(し)まったのだ。

 「何所ですか。何うか知らせて下さい。何の様なお礼でも仕ますから。」
と守安は畳掛けた。もう駆け引きなどするゆとりが心に無いのだ。
 絵穂子「所番地と言っても、私は番地まで覚えては居ませんが、私と一緒に来れば此の家だと教えて上げます。美人も白髪頭の爺さんも居ますから。」

 守安「行きましょう。一緒に行きましょう。」
 「オヤ、其れほど嬉しいのですか。」
と殆ど恨めしそうに呟(つぶや)いて絵穂子は先に立った。守安はフト思った。若しこの娘が、父や父の仲間らに黒姫の住家を教える様な事が有っては大変だと。

 直ぐに絵穂子の肩に手を当て、厳かに、
 「絵穂子さん、」
 絵穂子は振り向いて嬉しそうである。
 「私を絵穂子さんと呼んで下さる。毎(いつ)も其の様だと好いけれど。」

 守安「絵穂子さん、私に知らせて呉れるのは好いが、決して外の人へは知らせてはいけませんよ。何うか誰にも知らさないと約束して下さい。」
 絵穂子「オヤ、大層な御用心ですねえ。」
 守安「余計な事を言わずに約束なさい。」

 絵穂子「其れには及びませんよ。誰も貴方ほど熱心にーーーー。」
 守安「イエ、及びます。約束して貰わなければ成りません。取分けて貴女の阿父さんなどには知らさないと。」
 絵穂子「父は牢に居ますもの。知らせ度くても。」
 守安「其れでも好いから約束なさい。」
 絵穂子「しつこい事ねえ。約束すれば何うして呉れます。」
 守安「貴方の望む通りに何の様なお礼でも。」
 絵穂子「では約束しますよ。父にも誰にも言いはしません。」

 絵穂子(イポニーヌ)が何(ど)の様に此の約束を守ったかは後に分かる。守安は直ぐに財布を探り、一個しか無い五法(フラン)の金貨を出して絵穂子に与えた。絵穂子の今の境涯では命にも比すべき金額である。けれど、投げ捨てる様に推し返して、

 「此の様な者を、貴方から貰いたくは有りません。」
と言切った。
 此の様に守安が尋ねて居る間に、小雪と戎瓦戎は何処に何の様な事をして居るのだろうか。



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