巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

aamujyou119

噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳 *

since 2017.7.29


下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   百十九  一揆軍 二

 若し空飛ぶ鳥の眼を以て、此の時の巴里の町を真上から見降ろしたたなら、群衆の様子が宛(あたか)も彗星(ほうきぼし)の様に見えただろう。ラマルク将軍の柩(ひつぎ)が彗星の頭と為り、幾千幾萬の人が尾の様に之に従い、長く巴里の町々へ棚引いて居た。

 中には異様な服装した群れも有る。何所の町から加わったか知らないけれど、是等は無論一揆の中の最も突飛な輩の様に誰からも認められ、若しことが発すならば、必ず此の輩から発するだろうと思われた。果然、事は発した。勿論此の輩からである。

 此の様な奴輩(やから)が、行列の進行中に鬨(とき)の声を上げたのは、何度あったか数が分からない。彼等は行列中の何処にでも少しの動揺が有ると直ぐに叫んだ、「共和政治万歳」と。
 実に乱暴の極である。立憲帝政の歴乎(れっき)として立って居る其の膝元に於いて、この様な声を発するとは。けれど群衆は之に和した。彼等が一たび叫ぶ毎に其の声は全市中を震撼するかと疑われた。

 全く革命の気が満ち満ちて、人と言う人を駆って、悉(ことごと)く此の声を発せしむるのだ。無事に治まる筈が無い。行列がオステリッツの橋まで行くと、列中の最も目ぼしい一人ラフエット将軍が、柩に別れを告げて引き返そうとした。此の将軍に何れほど人望が有ったかは云うに及ばない。史を読む者の皆知る所である。

 群衆の中の一隊は、将軍が引き返すと見て、直ぐに其の後に従って引き返した。此の様な場合に引き返せば、後から来る一隊に突き当たるのは無論である。而も後から来る其の一隊は政府の竜騎兵で有った。之と一揆の群れとが衝突した。嗚呼群衆は唯だ此の衝突を待って居たのだ。是にて革命の端緒は開けた。

 前(先)の方に在る柩は無事に進んだけれど、後の方は忽ち修羅の巷と為った。衝突と同時に群衆の中から三発の銃声が聞こえた。一発は竜騎兵の先頭に立つ士官を射落とした。一発は横に反れて、店屋の窓を貫き、其処に居た老婆を倒した。一発は竜騎兵の肩の飾りを打ち飛ばした。何者が発したかは分かる筈が無い。誰も彼も皆武器を隠して居るのだから。

 直ぐに騎兵は是等の者を蹴散らしに掛かった。叫喚の声、鬨の声、叱咤の声、蹄(ひずめ)の音、黒烟(くろけむり)の中に起こって旋風(つむじかぜ)の様に人を巻いた。こうなるとここ一ケ所では無い。到る処が同じ叫喚の巷と為り、何ケ所の旋風が捲起ったか知れない。けれど是は少しの間で有った。群衆の方にも何れほど加勢が有るか知れないけれど、騎兵の方は後から後からと援兵が現れる。何の規律も号令も無い群衆が、此のまま通って居られる筈は無い。

 群衆の目的は、ここで戦うに在るのでは無い。戦いの端緒を開きさえすれば好いのである。彼れ等は目的を達したと見た。直ぐに彼等は逃げ始めた。四方に、八方に、散り去って、追掛ける人の目を眩(くら)ませた。捕らわれた者は、幾等も居ない。
 けれど此の様に八方に散った者等が、町々に号令を伝えた。

 「蹶起せよ、蹶起せよ。」
 「武器を取れ、武器を取れ。」
との言葉が、其れから其れと響き渡り、巴里全市の人々が全く矛取って仆(たお)れる時が来たと思った。そうで無くても、宛(あたか)も弾込めた大砲の唯だ導火一点を待つ様な危急に押し寄せて居た人心だから、響きの声に応ずる様に、此の号令に応じて立った。

 誰が号令するでも無い。総ての人が総ての人に号令するのだ。こうなっては殆ど鎮撫の道が無い。僅かに此の日の暮れるまで七八時間の中に、町の要所要所へ二十七個の堡塁(ほるい)《砦》が出来た。
 誰が之を築いたたか、誰でも無い、最寄りの人が、落合うが否や直ぐに其の所へ、手当たり次第の物を積み上げたのだ。

 何でも敵を遮る用意が無ければ、とても政府の兵隊に敵する事が出来ないとの考えが誰の心にも有る。イヤ幾等何の様な用意をしたとしても、長く政府の兵に敵する事は出来ないだろうけれど、勝敗は此の徒の眼中には無い。負ければ命を捨てる迄だ。死んだ方が今の様な無能政府、悪政府、堕落政府の下に苦しむよりも好い。其れにしても戦える丈は戦うと言うのが一切の人の決心である。

 凡そ日頃自分の地位に不満を抱き、又は不景気に苦しみ、生活に不如意を告げ、或いは政府に対する不平を抱く者は、短銃なり出刃包丁なりを以て皆最寄り最寄りの堡塁に詰め掛けた。堡塁が無ければ自分で作って人を待った。独り此の有様を知らずに居るのは彼の守安のみで有ると言うのも過言では無い。彼の様な失意の地に居て、彼の様に安閑として居る者は、外に無かっただろう。

 八十歳を越えた真部老人さえも加わった。十一二歳の彼の「町の子」三郎と言う小僧さえも加わった。女の身で絵穂子さえも後れなかった。皆それぞれに自分自分の目的が有る為とは言え、実に形勢が察せられる。妖気が天地に満ちたとも言う可(べ)き様である。


次(百二十)へ

a:418 t:2 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花