巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

aamujyou12

噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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    噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史  訳

       十二 華子

  女学生でさえ堕落する。況(いわん)や女工に於いてをやだ。嘆かわしい次第では有るけれど、若い男女の身に過ちや悪事の有るのは、孰(いず)れの国、孰れの時にも、仕方の無い事と見える。とは言え、一つは社会の仕組みも悪いのだ。可哀想に、貧と言う奴が若い身空の者を駆って、堕落せざるを得ない様な境遇に立たせるのだ。イヤ沈ませるのだ。

 戎・瓦戎(ぢゃん・ばるぢゃん)が、僧正の家の戸口に合掌して祈って居た時から、早や二年の後である。巴里の懶惰(のらくら)学生四人が恐ろしい悪戯(いたづら)を遣(や)らかした。遣った方は冗談だとか、腕が好いと言うだろうが、遣られた方では生涯を誤るのだ。残酷とも言うべきである。

 一々名前は挙げないけれど、地方から遊学に来て居る奴等で、四人とも銘々に情婦が有った。情婦と言うのは孰(いず)れ女工の果てなんだろう。針を持つより学生に仕送られるのが楽だから、それに又年頃でも有り、旨(うま)い学生の口前に騙されて、女工でも無く、処女(むすめ)でも無い一種の遊惰者(なまけもの)に成ってしまった者と見える。

 或時四人と四人と八人が、一群れと為って町はずれの野原へ遊山(ゆさん)《遊び》に出た。是れは学生の方で、驚かせる事が有るからと言って誘い、女の方では、何の様に驚かされる事かと、楽しんで附いて行ったのだ。勿論若い同志だから、傍(そば)から見れば馬鹿げても居るだろうが、当人達は此の上も無く面白く一日を暮らし、そうして遊び草臥(くたびれ)て田舎の茶屋で夕飯を食べた。

 けれど驚かせると言った約束が、何の様な事柄なのか、少しも「驚く」と言う様な波瀾(はらん)が無かったので、女達は、「サア驚かせて下さい。」「何の様に驚かせて呉れるのです。」などと折に触れて迫って居た。スルと学生等は一人去り、二人去って、全員が席を外した。

 サア愈々驚かせて呉れる事と女どもは目を見合わせて窃(ひそか)に笑って居ると、三十分経っても一時間経っても音沙汰が無い。少し怪しんで不安心に思う所へ、その家の給仕が一通の手紙を持って来た。
 「キッと是ですよ。」
と言って、四人額を突き合わせて封を開いて見ると、四人の連名で此の四人へ宛てたもので、中の文句は手切れ状である。

 我々四人は孰れも国に両親が有り、もう学問もして居られないから、只今発足して故国へ帰るのだ。今までの事は互いに夢を見たと断念(あきら)めて呉れ。茶屋の勘定は済ませて有ると言う意味を籠めて有る。

 是が驚かずに居られようか。多分は嬉しく驚ろかされる事だと思ったのに、そうでは無くて、恨めしく驚かされたのだ、余りの事で、四人は本当の事だとは思う事が出来なかった。けれど全くの事実であった。直ぐに外へ出て、問い合わせたり、聞糺(ただ)したりして見ると、四人とも、巴里の方から来た馬車に乗り、地方の方へ向けもう一時間も前に立ち去ったとの事である。

 悔やんでも仕方が無い。冗談と見せて冗談で無かった。此の後、幾日(いくか)幾月経っても、イヤ幾年経っても、彼等学生は再び巴里へ来なかった。彼等の或者は田舎の代言人(だいげんにん)《弁護士》とも成り、或る者は村会議員とも成り、或る者は地主様とも成って、先ず田舎紳士と言う資格で、相変わらず銘々の土地の空気を腐らせつつ、面白可笑しく生涯を送っただろう。

 振り捨てられた女の方は、四人の中が三人まで単に平気で有った。ナアに有りがちの事なんだよと、殆んど気にも留めなかったのは、自分等が幾等かでも、学生の財布を吸い取ったのを、手柄と心得て居るのだろう。そうして直ぐに後釜をでも捜したに違い無い。

 けれどもだ、四人の中に、唯一人本当に泣き悲しんだ女がある。その名を華子と言い、四人の中で年も若く、そうして一番の美人で、一番世間知らずで有った。年はその時が十八歳、生まれは此の国の北海岸にある、モントリウルと言う小都会の貧家で、幼い頃、両親に死なれ、父の顔をも母の顔をも覚えず、その土地で育ちはしたけれど、女工と為って巴里へ来たのだが、全く頼り無き身の上だけに、親切にして呉れる彼の学生を生涯の所天(おっと)であると思い、騙されるとは知らずして騙されて居た。

 それ丈ならまだしもだけれど、捨てられた時、実はその学生の胤(たね)を宿して居た。
 身重の身体(からだ)で、最早や骨の折れる真面目な仕事とては出来ず、読み書きは唯自分の名前だけで、それ以上は分からないゆえ、人に頼んで三度まで手紙を認(したた)めて貰い、その学生の許へ送ったけれど、何の返事も無い。遂に泣き泣き断念(あきら)めたが、間も無く美しい女の児を産み落とした。

 世に初めての女の児ほど、母に取って可愛い者が有るだらうか。その愛に引かされて、悲しさをも辛さを乗り越えたけれど、乗り越えられないのは、暮らし向きである。若し此の上に堕落して真の醜業婦にでも成れば、本来の器量好し、随分贅沢にも世が送れただろうけれど、その様な気質では無い。

 その児が数え年、三歳に成った時、是では末の見込みが無いと熟々(つくづく)思い込んだので、自分の生まれた田舎へ帰る気に成った。故郷ならばまだ知った人も有り、工場へ雇われて、何うにか生活して行けるだろう。

 併し故郷へは、児を連れて行っては駄目だ。都と違って、堅い田舎の人が、私生児など連れて帰れば、唯だ此の身の堕落を賎しむのみで、誰が世話などして呉れる者か。帰る途中で何所かへ預ける事にしようと、辛い思案では有るけれど、血を吐く様な思いで、心を定め、先ず自分の着物の中で、絹の物は総て児の着物に仕立て直し、家財道具を売り払って、二百法(フラン)(現在の約百万円)の金を得た。

 その中で溜まって居る借金などを払い、更に多少の支度をもして、残る八十法(フラン)を懐にし、重い鞄(カバン)一個を携へ、児を背に負い、田舎を指して巴里を出た。今まで貧しいとは言っても、身には綺麗な着物をまとい、日々化粧などもしていたが、打って変わって元の粗末な女工の姿に返ったのは、この様な女としては、中々の勇気である。この時この華子の歳は二十二であった。



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