巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳 *

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噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   百三十 守安の最後

 守安が蛇兵太の既に射殺されたと聞いて身震いした時が、此の堡塁《砦》の滅びる兆しで有った。大浪の様に押し寄せる官兵は、後から又後からと重なって、殆んど人を以て町を埋め、堡塁を越えて其の中に乱入した。打(ぶ)ち合い、叩き合い、捻じり合い、取っ組み合い、殺し合い、全く目も当てられない様で、人と人とが犬と犬との様に噛み合った。哀れ、死を決して居た守安も遂に其の目的を達した。

 彼は何れほど手傷を負って居たか知れない。顔は額も顎も頬も、虎斑(ぶち)の様に血が流れ、身体に縦横に赤い八重襷(たすき)を掛けた様に血に塗(まみ)れ、其れでも猶まだ当たり次第に人を打ち倒して居た。実に彼は本田大佐の息子たるに恥じ無い。何うしてこれ程迄の勇気が人間の身体に備わって居たのか、傷つくだけ強くなり、疲れれば疲れるほど勇み立つ様に見えた。全く勇士の魂が血統で伝わって居るのだろう。

 けれど一人の力が何時まで続く者では無い。終に彼は、最後の傷の為に倒れた。
 彼は倒れる時、気が遠くなった。けれど夢の様に、薄々と感覚があった。アア俺は今死ぬのだと思った。殆ど嬉しい様に笑んだ。是れで此の世の苦痛が終わったのだ。彼は倒れて後も口の中で祈った。何うか小雪の身が此の後幸いを得る様にと、アア彼の心には小雪の事より外は何にも無い。小雪が彼の命なんだ。

 女も是くらいに人に思われれば、真に果報と云わなければ成らぬ。
 祈る言葉の未だ続いて居る中に、誰やら彼の身に手を掛けた者が有る。彼を捕虜(とりこ)にする様に地から掴み上げた。彼は目を開いて其の人の顔を見る力も無い。唯思った。エエ残念だ。俺は死に切れずして敵の捕虜に成ったのだと。若し生き返れば改めて射殺されるのだと。何うか此の儘(まま)死に度いとこう思った儘で、後の事は何にも知らない。
 
 彼れは一体誰の捕虜と為ったのだろう。


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