巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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aamujyou18

噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2017.4.18


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噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   十八 夫が無くて子供が

 禍いは禍いを生み、不幸は不幸の種と為る。一旦堕落を初めた者は、何の様な深い谷底へまで落ち込むか知れない。
 弱い相手と見れば、傷(いたは)っては遣らずに却(かえ)って窘(いた)め附け、躓(つまづ)く人を見れば、扶(たすけ)起こさずに、押し倒す。是が世の中と言うものだ。実に恐ろしい仕組みである。

 それだから、餓えた子供を救う為に、パン切を盗もうとしたのが元で、十九年の間、懲役場に置かれた様な人も出来るのだ。
 華子の如きも或いはその類では有るまいか。元はと言えば、貧と言う不幸の為に、辛い女工の境遇に立ち、そうして旨(うま)い書生の口先に欺(だま)されたのが初めである。

 それが種と為って私生児を産んだ。次ぎには巴里に居られない事と成った。その子と分かれなければ成らない事にも成り、のみならずその子までも散々に窘(いじ)められて、四歳(よっつ)や五歳(いつつ)で荒い波風に揉まれなければ成らない事に成った。

 是れ丈で止まればまだしもだが、一旦不幸に躓(つまづ)いたのだから、此の上にまだ何れほど沈んで行くかも分から無い。社会が沈ませなければ置かないのだ。
 *     *     *     *     *
    *     *     *     *     *
 兎も角も華子は斑井市長の工場に入った。再び女工と言う昔の境遇に帰った。尤も未だ仕事に慣れない為め、充分な賃金は得られないけれど、我子小雪に仕送って幾等かの余りが有る。是れで先ず安心が得られた。

 何も元からの懶怠者(なまけもの)では無く、唯だ境遇の為に身を持ち崩して居たのだから、こうなると仕事の忙しいのが面白く感ぜられ、先ず後々の見込みも略(ほ)ぼ附いたと思った。そこで彼女は小さいながら一家を借り受け、月賦の約束で多少の小綺麗な造作をも施した。

 実は之が少し早過ぎる。けれど巴里で惰弱に暮らした癖が、只だ此の事だけに残って居るのだ。何うも造作の粗末な家に住み度く無い。そうして時々鏡に向かって美しい姿を照らし、長い髪を撫でて見たり、可愛い口許で笑って白い歯の輝くのを眺めたりするのが唯一つの鬱晴(うさはら)しだ。

 なんだか自分に綺量が残って居る間は、まだ宝が残って居る様にも感じて、気強い所が有る。必ずしも見栄だの贅沢だのと言う訳でも無い。
 この様にして居て、月々彼の手鳴田の許へ、手紙と娘小雪の養育料とを贈って遣る。勿論手紙は人に書いて貰うのだ。何しろ是れで順当に行けば、先ず苦労も無く過ごされる所であったが、世の中には順当と言う事が極めて少ない。

 何時の程からか、女工仲間で華子を疑う者が出来た。毎月金と手紙とを代筆する者を捕らえて、問い糺(ただ)しなどする人も出来、終に子供の有る事が分かった。夫が無くて子供が有れば、その子供は私生児だ。私生児の母を此の清い女工場へは置かれないと言うのが仲間うちの世論とは成った。

 若し慈悲深い工場主が知ったなら、何とか穏やかに処置する工夫も有っただろうが、此の工場は一人の老婦人が総て女工の出し入れなどを任されて居て、雇うにも解雇するにも、その人の一存で決するのだ。

 私生児の母と言う事が、その老婦人の耳へは、余ほど恐ろしく聞こえたと見え、直ぐに華子はその人の前へ呼び出され、審問せられ、そうして解雇せられた。但し工場主が前から、人を解雇する場合には、是れ是れと、手当の仕方を定めて有るのだから、その定めに従って、五十フラン(約現在の25万円)の手当を与えられた。

 ヤット安心と思った地位が是れで又消えてしまった。
 頼る人の無い華子の身に、解雇と言う事は大変な事件である。造作主からは直ぐに厳し話が来た。
 「若し月賦金の済ま無いうちに、此の土地を立ち去る様な事でも有れば、盗と見做して其の筋へ訴える。」と。

 家主からも略(ほ)ぼ同様な厳しい話が来た。家賃も多少滞って居るのだ。併し造作主も家主も華子の綺量の美しいのを見込んで居るから、此の土地に置きさえすれば、何とか返済は附く者と信じて居る。漸く華子は五十フランを双方へ振り播(ま)いて、一時の所を凌(しの)いだだが、後の見込みが少しも無い。

 それに丁度此の時である。小雪を預けてある手鳴田から、養育料を七法(フラン)から十二法に上げて呉れとの請求が来た。何とかして此の後の所得の道を附けなければ成ら無い。それには奉公の外は無いと、先ず町中を殆ど軒別に聞いて歩いたが、何処でも雇って遣ろうと言わない。

 見るに見兼ねて或人が勧めた。工場主斑井市長へ一応事情を打ち明けて、雇い継ぎを願って見るが好いだろうと。若し此の勧めに従えば、必ず工場主はその日頃の慈悲心で、何うとも取り計らって呉れたで有ろう。けれど、華子は此の勧めに従わなかった。自分の身に落ち度が有るから、解雇されるのが当然だと諦めた。


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