巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   五十二  X'節(クリスマス)の夜 六

 唯だ、
 「働け、働け」
とのみ鞭(しもと)《むち》を以て酷使(こきつか)われて居た小雪の様な者が、不意に、
 「遊ぶが好い」
との許可(ゆるし)を得るのは、余りの事で夢のようにも思うだろう。小雪は驚いて眼を開き、老人と内儀 (おかみ)の顔を見上げたが、やがて恐々の声で、
 「遊んでも好いのですか。」
と内儀に問うた。

 内儀は小雪の手仕事が五円(現在の約1.5万円)に成ったのは嬉しいけれど、此様な者を、楽々と遊ばせるのは、忌々(いまいま)しい。と云って拒む訳には行かないから、腹の立つ様な声で、
 「勝手におし」
と言った。言い方は冷酷でも、勝手にせよと言うからは、許可(ゆるし)である。遊んでも構わないのだ。此の許可ほど小雪の身に有難いことは無い。

 小雪は口で、
 「有難う」
と内儀に向かって言ったけれど、心は深く老人の恩を感じた。
 内儀は不興気に亭主の傍に行き、囁き問うた。
 「此の見すぼらしい老人は何者でしょう。」

 亭主は、
 知って居る様に、
 「大金満家と言う者は、わざと貧民の風などして、旅行する事の有る者だよ。」
と答えた。兎も角も、此の老人は尋常者(ただもの)で無いと、亭主は睨んで居るらしい。

 この様な間に小雪は、編み物の箱を片付け、そのままテーブルの下を天地として遊び始めた。遊ぶと言っても、別に遊ぶ方法は無い。後にも先にも、たった一個(ひとつ)の玩具(おもちゃ)である鉛の小刀を取り出したのだ。そうして一方を見ると、此の家の娘絵穂子麻子が、人形を持って遊んで居る。

 凡そ子供の身に、若し必要欠くべからざる者が有るとすれば、それは人形だ。人形ほど大事な、人形ほど欲しくて、羨らやましい者は無い。人形を持たない女の子は、子を失った細君ほど不幸である。可哀想に小雪は小刀を出したけれど、少しも面白く無いと見え、その小刀を人形に見立てて、之に着物を着せ始めた。着物と言うのは古い手拭いなんだ。

 此等の有様を尻目に掛けて、内儀は老人の傍に引き返した。何と無く此の老人を、憎い様には思うけれど、若し亭主の言う通り、姿を窶(やつ)した金満家ででも有るならば、良く持做(もてな)さねば成らないのだから、ズッと言葉を丁寧にして、
 「本当に子供と言う者は世話の焼ける者ですよ。」
と、用も無い雑話を持ち出し、

 「先ア貴方のお慈悲が有ればこそ、此様に遊ばせては遣(や)りますけれど、御覧の通り着物一枚持ちませんから、用を言い付けて、幾等か稼がせて遣るより外は無いのですよ。」
 老人は怪しむ様に、
 「ヘエ、それでは貴女の子では有りませんか。」

 内儀「私の子、私の子にあんな馬鹿は生まれませんよ。言わば私共が、唯慈善の為に拾い上げて遣ったも同様です。身内の人へ手紙を遣っても、もう六ケ月から、一文も送って来ないのです。」
 老人は自ら心を引き立てようとするけれど、引き立たない。多分は小雪の過去から未来を考えて、哀れさに耐えられないのであろう。唯だ、
 「爾(そう)ですか」
と嘆息の様に答えたのみだ。

 内儀「母親が有ることは有りますけれど、無いのも同様です。見捨てたまま、音沙汰が有りませんもの。」
 真事(まこと)と嘘事(そらごと)とを、取り雑(ま)ぜて語って居る。一方では、絵穂子と麻子とが、もう人形に飽きたと見え、それを後ろの方に投げ出し、今度は子猫を捕らえて来て、之を人に見立て、赤い布片(きれ)や青い布片で、その頭や尾を縛り、悶(もが)くのを見て余念も無く面白がって居る。

 そうと見た小雪の方は、絵穂子麻子(イポニーヌ、アゼルマ)の背後(後)ろに在る人形に目を止めて、倩々(つくづく)と眺めて居たが、終に羨ましさに耐える事が出来なくなったと見え、徐々(そろそろ)とテーブルの下を這い出て人形に近づき、懐かしそうに抱き上げた。そうして自分の頬を人形の頬に押し当てたのは、宛(あたか)も愛児を抱きしめた慈母の様である。日頃から何れほど此の人形を慕って居たかも察せられ、殆ど可憐(いじ)らしほどに見えたが、此の時忽ち雷の声の様に、一声の大喝が小雪の頭上に降り下った。

 「コレ、小雪」
 此の声は内儀が小雪の不埒(ふらち)を見付けて、叱り飛ばす声である。
 小雪の様な者が、我が娘絵穂子麻子(イポニーヌ、アゼルマ)の大事な人形に手を着けるのは、殆んど此の家の朝憲を紊乱(びんらん)《乱す事》する様な者である。不敬である。内儀は我を忘れて馳せ寄って、怒鳴ったのだ。此の声に小雪の驚いた様は、言い表す事が出来ない。全く床下へ漏ってでもしまい度い様に小さく成って、平伏(ひれふ)しつ、唯だ、
 「御免、御免」
と泣いた。

 この様な小雪の一挙一動は、勿論先ほどから、彼の老人の目には洩れない。直ぐに老人は立ち上がって、物をも言わずに戸外へ出たが、少しの間に夜店の玩具屋の看板と為って居た、彼の大きな人形を抱いて帰って来た。抑(そ)も此の人形は昼間から、此の町中の評判と為って居たので、子供と言う子供が、誰一人羨まない者は無いけれど、三十円(現在の約9万円)と言う豪(えら)い定価に、誰も父母に強求(ねだ)ることが出来ずに居た品である。此の品を老人が買って来たとは、果たして姿を窶(やつ)した太金満家に違い無い。

 穢(むさ)苦しい軍曹旅館の店の中に、此の人形が輝き渡る様に見えた。今しも小雪を鞭打とうとして居た内儀も、呆れて振り上げた鞭を下ろした。平伏して居た小雪も驚いて顔を上げた。絵穂子麻子(イポニーヌ、アゼルマ)も、猫が自分達の手を離れて逃げ出すのを知らなかった。内儀は咄嗟(とっさ)の間にも思った。きっと此の人形は、我が娘へ呉れるのだと。爾(そう)して娘の古い人形を、小雪に遣れと言うのだろうと。

 所がそうでは無い。直ぐに老人は小雪の前にその人形を投げ出し、
 「サア之はお前に遣る。お前に遣るから、もう人様の人形へ手を着けるのでは無いよ。」
 此の言葉を聞いた内儀の顔は、烈火の如しだ。併し如何とも仕方が無い。怒る訳にも遮る訳にも行かない。



※ 注;明治30年代の1円の価値を現在の貨幣価値に直した値。比較するものによって異なる値が得られる。
  
 ・物価で比較した場合、1円は現在の3000円位に相当
 ・俸給で比較すると明治30年代の1円は12000円から15000円に相当

 ・30円の人形の現在の値段
  。物価で比較した30円・・・30×3000=9万円 
  。俸給で比較した30円・・・30×15000=45万円
    


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