巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

aamujyou58

噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   五十八  隠れ家 一

 戎・瓦戎(ぢゃん・ばるぢゃん)が借り入れた隠れ家は、先ず世を忍ぶに屈強の場所らしく見える。
 町尽(はず)れの土地であって、町と言う名は附いて居ても、ここまで来ると都の繁華は跡を絶ち、四辺(あたり)全体の有様が、昼間は墓場より淋しく見え、夜に入っては深山よりも恐ろしい。随分猛獣毒蛇に比すべき非人漢(ならずもの)の類が出没しないでもない。

 ここならば警察の目も恐らくは届かないだろう。そうして戎(ぢゃん)の借りた家と言うのは、古い屋敷と屋敷との間に挟(はさ)まり、壊(こわ)れかけた二階作りで、入口は矮(いぶせ)き小屋の様に見えるけれど、中は広い。戎は此の家の二階の一仕切りを借りたのだ。他に誰も相客は無く、唯家番として腰の曲がった老婆が一人居るだけだ。

 但し、此の老婆が戎の為に、火を起こしたり、灯を点じたり、拭き掃除をしたり、賄(まかな)いの世話をまで引き受けて呉れるので、別に雇い人を置く必要さえも無い。戎は此の家へ、株式で大きな失敗をした商人だと触れこみ、孫と二人で静かに暮らす積りだと、言聞かせてある。孫とは勿論小雪を指すのだ。
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 眠った小雪と、目を開いた人形とを背に負い、戎は夜に入って後、この家へ着いたが、直ぐに小雪を、前以て用意して置いた寝台の上に横たえた。余ほど疲れて居ると見え、そのまま小雪は、前後も知らず眠ったが、漸くに目を覚ましたのは、翌朝の、窓へ朝日が差した後である。小雪は戸外(おもて)を通る荷車の音に驚かされ、慌てた様に首を上げ、寝ぼけた声で、
 「内儀(おかみ)さん、置きますよ。」
と謝(わび)る様に言うのは、軍曹旅館で毎朝叱られて起こされた癖が、第二の天性と為って居るのだ。

 そうして言葉と共に見廻し、嬉しそうに微笑んでいる戎(ぢゃん)の顔を見、
 「オヤ」
と言い、更に枕元にある人形に目を注いで、
 「矢張り本当だった。」
と言った。その安心の様、喜ぶ様は、殆んど傷々(いたいた)しい程であった。

 けれど、直ぐに寝台を下り、
 「吹き掃除を致しましょう。」
と言って、箒を探す様に見廻し、その様な事を為るには及ばないと、戎から言われて、朝の掃除さえ言い付けずに自分を置いて呉れる所が有るのかと、未だ怪しんで、更に合点の行かない様に見えたが、併し、戎が且傷(いた)わり、且つ聞かせる親切の言葉は間も無く小雪の耳に入って、深く深くそ心の底にまで浸み込んだ。この時の小雪の寛ぎ方は天国に入った人もこんなだろうかと思われた。

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 嗚呼、戎は年五十五歳、小雪は八歳、その間にに四十歳余の違いが有る。此の違いは越すに越されぬ天然の界(さかい)ではあるけれど、何所かに運命の絲が繋がって居ると見え、互いに引き付けられる様な親しみの情が我知らず湧いて出た。

 今まで小雪は人の親切と言う者を知らない。父には生まれぬ先に捨てられ、母には三歳の時に分かれ、その顔を覚えて居ないのみか、母の有った事をさえ知らない。それ以来、仇の様な無慈悲な人の手に育てられ、物言えば叱られ、無言て居れば殴られ、出れば邪魔にせられるし、出なければ引き出されると言う境遇で有った。

 人に馴れ親しむより外は、何事をも知らない年頃で、親しむべき人は無く、人の愛を嬉しがる外は、余念も無い子供なのに、愛して呉れる人が無く、それが為に、萎(いじ)けに萎(いじ)けて、心の伸びる所が無かった。けれど萎けるのが何で人の天性で有ろうぞ、日陰の草が知らず知らずに日光の有る方へ蔓を延ばす様に、愛に喝えたその心が、知らず知らずに、人の親切を求めて居た。

 その所へ戎・瓦戎の親切が投じたのだから、萌え出ようとする芽生えに、春雨の落ちた様な物だ。何と言う事も無しに心が戎の身に纏(まと)わり附いた。唯、世間の子が自分の父を思う様に戎を思った。戎は此の子に自分の事を父と呼ばせた。
  「阿父(おとっ)さん」「阿父(おとっ)さん」
 唯此の一語の中に、小雪の一切の心が籠って居る。その「阿父さん」が何と言う名であるやら、其れさえ知らない。問いもしない。

 顧みて戎の方を見れば、是また何んという身の上だろうか。彼年は五十五歳、曾て愛と言う美しい心を味わった事が無い。社会は彼の五十五年の生涯を駆って、愛の外に追い詰めた。彼は絶えて人の情人と為った事が無い。所天(おっと)と為った事が無い。父と為った事が無い。言わば人間の不具者である。

 生まれながらの捻(ねじ)け者では無いけれど、境遇に捻じ曲げられ、世を憎み人を憎む極度まで達した時にあたって、忽ち恩愛限り無い高僧の徳の光に射られ、所謂「魂を入れ替えた」のだ。魂を入れ替えて以来の彼は、何の様な人で有った。本当に心血を注いで社会を愛し、社会に数え尽くせない程の恩沢を施した。けれど社会は、彼を許さなかった。

 再び彼を牢に入れた、牢も牢、終身の刑と言うので、再び此の世へ顔を出す事さえ出来無い身としてしまった。彼が逃亡したのが無理か。吁(ああ)彼は必ずしも、逃亡したのでは無い。もう自身の命が要らない事となったから、自分の命と人の命とを、取り替える積りで、自分を捨て、人を救った結果が、逃亡と為ったのだ。

 此の世へ出られることに成ったのだ。夫れも何れ程の辛い思いだったか。幾時間の水の底を潜り、無限の闇を潜ってである。世に出たと言うのも名ばかり、隠れに隠れて居ない日には、何時又捕らわれるかも知れないのだ。
 若しも小雪が無かったならば、彼は二度目の牢に入った時、再びねじけてしまう所で有ったかも知れない。

 高僧の盛徳は猶(ま)だ覚えては居るけれど、余り境遇が辛いから、ままよと言う念の起こる時も無いでは無かった。けれど牢を出てモントフアメールの闇の谷で、小雪の持った水桶に手を添えた時、限り無い不憫の心が起きて、そうして小雪の名を聞き、続いてその頭を撫でその手を握り、又その境遇を見るに及んで、不憫は同情と為り、同情は愛と為り、愛はまた善心と為って異様に心の底まで揺らいだ。

 五十幾年の長い間、彼の心の底に、涸れて堅くなって居た愛が、之が為に融(と)き解(ほぐ)された。丁度ダインの高僧が彼に徳を教えた様に、小雪は彼に「愛」を教えた。天は彼の為に、老僧を送り、又少女を送ったので、運命の手が彼を玩弄(おもちゃ)にして居るのだろうか。それとも未だ彼を捨てないのであろうか。天意の秘密は人間の知る所で無い。



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