巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第二十四回

  爾爾(さて)も伯爵綾部安道は、浄澄潔白の婦人とばかり思って居た山田蔦江女が、其の実花房屋お蓮と言って、非情に汚れた身の上である事を聞き、其の上に我が恋慕うお仙嬢は、法律に言う私生の児、俗に云う父無(ててな)し子の身である事を聞き、其の失望はどれ程だったことか。

 しかしながら之だけならば、まだ我慢して我が妻にしようと思ったが、父無し子である上に、二百万の財産ありと聞いた。汚れた財産ー財産は我が敵である。今若し此の父無し子を妻としたなら、他人は我を何と言うだろう。
 「彼、貴族の身に在りながら、財産に目が暮れて、父無し子を妻にした。卑屈男子よ。意気地無しよ。」
と物笑いの種とするだろう。

 こう思っては、自ら一刻もお蓮の家に在るのを恥、挨拶もせずに、其の儘(まま)立ち去ったが、名誉の心は愛情に勝つことは出来ない。父無し子を作ったのは母の罪である。お仙の罪では無い。母お蓮は汚れているが、お仙には汚れは無い。
 況(ま)してやお仙、綺麗(きりょう)から心栄えまで、又と無い女である。況(まし)てやお仙、世間知らずの清い心を以って、真実に我を愛して居る。

 況(ま)してやお仙、我が身の上をさえ知らずに、只管(ひたすら)我を愛して居るのに、我、其の身の上を調べ問い、人の知ら無い瑕(きず)をまで知り尽くして、之を捨てるのは非情だ。
 捨てる程ならば、知ら無い前にこそ捨てよ。況(ま)してやお仙、今恐ろしい敵に取り囲まれ、我が捨てたならば、便(たよ)る可き方とて無い身であるのに。

 況(ま)してやお仙、況してや、況してや、況してやとお仙を思う心には、名誉の心も鈍ったが、だからと言って、之から又引き返す事も出来ないので、此の上は大尉有浦に逢い、相談する外は無い。幸い有浦は、先程利門町にある蘭樽伯の家から、其の顔を出して居たので、之に行って聞くのが一番だと、漸(ようや)くに思案を定め、足を利門町の方に向けた。

 頓(やが)て蘭樽家の玄関に進み入って、其の取次ぎに向い、
 「私は大尉有浦に用事の有る者ですが、有浦は未だ当家に居りましょうか。」
 (取次ぎ)今方帰りました。
 (綾)何方(どちら)へ行ったか分かりませんか。
 (取)主人に尋ねましょう。シテ貴方のお名前は。
 (綾)綾部安道と申します。

 綾部の名を聞いて、非情に莞爾(にこやか)な一人の紳士が、内から周章(あわて)て出て来た。
 「アア貴方が綾部君で有りますか。唯今も大尉からお噂を聞きました。私は当家の主人で有ります。が先ず此方へお上がりを、サ先ず。」
と非情に親しく待遇(もてな)された。

 綾部は其の様子を見てみて、容貌から言葉使いに至るまで、和(やわらか)な中に、堅く締まった所があり、一つとして申し分の無い紳士だが、何故(なぜ)だか綾部の心には、何と無く不吉な思いが起こった。 是、蘭樽伯は、有浦が心の中で、既にお仙嬢の婿夫(むこ)にしようと決めた人なので、綾部には虫が知らせるとやら言う者に違いない。

 それで綾部は非常にゆったりと、
 「イヤ、私は有浦に用事があって参ったので有りますから、同人の行き先さへ伺えば、他日重ねて伺いましょう。」
 (蘭)行く先は分かりませんが、先ず爾(そう)仰(おっしゃ)らずに。
 (綾)イエ、行く先が分からなければ、今日は急ぎますから。
と言捨て、後をも見ず、其の儘(まま)茲(ここ)を出て、立ち去った。

 そもそも綾部は、伊太利(イタリア)村の後ろに住む人であるが、巴里の春田町(ハルド)と云う所に、何時もの定宿がある。此の頃屡々(しばしば)巴里に用事があって、其の家に宿泊する身なので、茲(ここ)を立ち去ってから、直ちに其の宿に帰って行ったが、給仕の小僧が出て来て、
 「綾部さん、唯今奥様が尋ねて来まして、貴方のお居間でお帰りを待って居ます。」

  綾部は怪しんで、
 「ナニ奥様、何所の奥様が。」
 (小僧)貴方の奥様が。
 (綾)俺は未だ女房は持っていないが。
 (小僧)持っていないか、持っているか、戸籍帳を調べないので、分かりませんが、でも自分で綾部安道の妻だと云う別嬪(べっぴん)が待って居ます。

 綾部は何を言うことやらと、其の言葉を後ろに聞いて、三階にある我が借りている、一室に入って行くと、果たせるかな、室(へや)の中に、人待ち顔で佇(たたず)んでいる、一人の美人があった。綾部の顔を見るより早く、
 「綾部さん、先程からお待ち申して居りました。」
と、半ば涙に埋もれた涙声で馳せ寄るのは、是誰だろう、意中の人である。お仙である。

 (綾)オヤ、お仙さん、何(ど)うして茲(ここ)へ。
 (仙)何うしてとは、お叱りなさるので有りますか。
 (綾)イヤサ、叱るのでは無いが、何うして来た。
 (仙)お目に掛りたくて一人で参りました。下では貴方がお留守だと言って上げませんから、イヤ私は綾部の妻だからと言って、今まで待って居りました。

 (綾)お前、阿母(おっか)さんに断って来たのかエ。
 (仙)イエ、貴方がお帰りになると間も無く、有浦さんが来て、阿母さんと何か話して居ましたから、其の隙に駆け出して、馬車に乗って参りました。阿母さんは、貴方が最(も)う私に愛想を尽かしたと言いますから、私は貴方に直々に聞こうと思って、参りました。エ、綾部さん、私に最う愛想が尽きましたか。

 此の短い問いは、綾部を長く百尋(ひゃくしろ)も押し伸ばす程に思われたので、綾部は嬉しさの満ちた声で、
 「愛想を尽かしてなる者か。」
 (仙)爾(そう)だろうと思いました。
と差し延べる両の手先を、綾部は堅く握り締めると、
 (仙)私の心は変わらないから、貴方のお心も変わりはしないと思いました。
と眼の末に初めて笑みを現した。

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