巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第三十四回

 有浦と蘭樽が芝居小屋から出て来るのを見て、綾部安道は前から心に計(たくら)んだ通り、何気ない体に見せ掛け、其の側に進み寄ると、有浦は早くも認めて、
 「オヤ、綾部か、何所へ行くのだ。今も蘭樽伯と二人で君の評(うわさ)をして居たのだ。」

 此の言葉はグッと綾部の癪に障(さわ)った。有浦は許(もと)より、意図的に此の言葉を発したものでは無かったが、綾部は唯心の有耶無耶と結ばれる時だったので、二人が我が評(うわさ)をして居たと聞き、我が身がお仙嬢に振り捨てられた事に心を廻し、彼等はきっと我が事を物笑いの種としていたに違いない。

 二人が笑いながら出て来たのも、全く我を評(うわさ)していたからに違いないと、この様に横道に考えたので、腹立たしさの余りに、今まで何気無く試みようと、胸に計(たくら)んで居た事は、全く打ち忘れ、
 「是は怪しからん。君は僕の友達だから好いけれど、縁も所縁(ゆかり)も無い蘭樽伯が、何故漫(みだ)りに僕の評(うわさ)をするのか。」
と荒ら荒らしく言い掛けると、有浦は合点が行かず、

 「ナニ君の事を悪るく言いは仕舞いし、誉めていたから何も悪く思う事は無いよ。」
 (綾)イヤ、誉めたにもせよ、蘭樽伯が漫(みだり)に僕の評(うわさ)をする筈は無い。
と殆ど狂気の様に述べたので、有浦は少し不機嫌になり、
 「コレ綾部、其の言い分は少し失礼だよ。俺(おれ)に向かって。」

 (綾)何も君を咎めるのじゃ無い。僕は蘭樽伯を怪しむのだ。
 売り言葉に買い言葉、蘭樽は此の無礼を聞き兼ねて、烈火の如く怒り来るかと思いの外、相変わらず莞爾(にこやか)な顔、柔(やさし)い目許、愛嬌ある声音で、
 「イヤ、私をお咎めなさるとは何(ど)う言う訳で。」
 (綾)イヤ、君の様な者に返事はしないから、何う言う訳だか、心に問うて見るが好い。

 蘭樽は未だ落ち着いて、
 「イヤ、私はもう貴方に対し、少しも悪い心は有りませんが、多分貴方が有浦君にお話する積りで入らっしゃった所を、私がお傍に居たから、唯お気に障ったので有りましょう。」
  腹立たしく思ふ時、相手が非常に落ち着いて居るのは、猶更らに腹立たしい心地がする者だ。特に綾部は、未だ世間慣れしていない少年なので、我が心を制す事が出来ず、

 「爾(そう)とも、君の様な者が茲(ここ)に居るのが癪に障る。僕は君の行いに不審が有るから、君の居無い所で有浦に問おうと思うのだ。」
 (蘭)イヤ、夫(それ)では僕は是から退きます。
と云いながら、立ち去ろうとするのを、有浦は早くも引き留め、
 「イヤ、蘭樽君、退くには及ばない。僕が承知だから茲に居たまえ。」
と云い置いて綾部に向い、
 「問うことが有るとは何の事だ。サア、茲で聞こう。蘭樽は僕の親友だから、隠す事は無い。サア言い給え。」

 斯(こ)うなっては、其の場合の勢いとして、言は無い訳には行かないので、綾部もヤッキと為り、
 「では問うが、此の前の日曜日に君が出て行こうとする時、門口で家令風の男が君に手紙を渡しただろう。彼(あ)れは誰の使いだ。此の奇妙な問いに、有浦は合点の行か無い様に、
 「君は全体何を言うのだ。」
 (綾)イヤ、何でも好いから有体に返事をしたまえ。

 (有)固より何も恥かしい事で無いから、何包み隠さず返事をする。アレは此の蘭樽伯の家令だ。夫(それ)れが何(ど)うしたのだ。
 (綾)何したドコロか、君は目暗らだぜ。ソレ蘭樽が顔の色を変えるのを見たまえ、君、蘭樽と言う奴は大の悪人だぜ。
と目の前も憚るず言い立てると、有浦は怒る様に訝(いぶか)るように、
 「君は先(ま)ア、気でも違いはしないか。」

 (綾)イヤ、気は違って居ない。怪しく思えば僕が一々詰問するから、蘭樽に返事をさせ給え。第一彼奴(きゃつ)は先日、君の名を騙り、丸池お瀧の許へ、贋手紙を遣り、お瀧を春田町の僕の宿屋へ無理に入り込ませたが、彼(あ)れは何う言う訳だ。返事が出来無いか。
と言うと、蘭樽も今は聞き過ごす事は出来ないと見え、進み寄って、

 「夫(それ)は怪しからん言い掛かりだ、私に於いて更に其様(そん)な覚えは有りません。」
と言うのが終らないうちに、綾部は右の手を振り上げて、蘭樽の頬の辺りを目掛け、破れよと言はない許(ば)かりに、殴り附けようとするので、有浦は早くもその手を取り留めたが、ソレなら此方(こちら)と早くも左の手に力を入れ、吸いさして火の附いた、マニラの葉巻煙草を持ったままで、蘭樽の右の頬を手先の撓(しな)る程に叩いたので、蘭樽は顔一面に黒く煙草の灰が斑(まだら)を為して、腫れ揚がった。

 此所(ここ)は宛も是れ芝居小屋の出口で、散り行く人が群れる場所なので、如何に蘭樽が落ち着いて居ると言っても、貴婦人も有り、紳士も有り、知り人も有り、新聞探訪者も有る其の目の前で、どうして此の辱めを忍ばれるだろう。白き手拭(ハンケチ)で静かに頬の辺りを拭いながら、落ち着いて綾部に向い、

 「君の成され方は、此の儘に見許(ご)す事が出来ません。明朝までに委細介添人に申し含め、君の宿まで遣(つか)わしますから、何うぞ潔く決闘を願います。」
と延べた其の風采は、如何(どう)見ても、充分な紳士と外は思われ無い。決闘と云う短い言葉は、傍に立って聞いて居る人々の耳へは、雷の如く聞こえたので、群集の中で、誰言うと無く、口々に紳士の決闘、決闘と叫び立てた。

 綾部も素より望む所なので、決闘と聞いて、今まで沸騰(にへたっ)ていた心も漸く鎮(しず)まり、非常に満足な顔色で、充分に落ち着いて、
 「求めに応じてお相手を致しましょうが、明朝とは待ち遠い。ナゼ是から直ぐに、其の支度に掛りません。」
と嘲笑って述べた。
 綾部は田舎で育ち、幼い頃から充分に武芸を磨いたので、
 「愈々(いよいよ)決闘に及ぶ上は、唯一思いに此の悪人の息の根を停めて呉れよう。」
と心私(ひそか)に喜んだが、此の蘭樽伯の腕前が、我よりは一層優(まさ)っている事を知らないのは、又仕方が無い次第である。

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