巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第三十七回

 綾部安道は勘次の物語を聞き終わって、良久(しばし)黙然と考えたが、頓(やが)て胸の中に思案を定め、
 「シテ、手前は、今俺に云った丈の事を、大尉有浦の目の前で言い立てては呉れないか。」
 勘次は少し躊躇(ためら)って、
 「有浦さんは私を疑エやすから。」
 (綾)ナニ、疑いはしない。俺が有浦に向って、一々傍から言い開きをして遣るから。

 勘次は俄(にわ)かに喜びの色を現し、
 「ヘイ、旦那が傍に居て、証人に成ってお呉(くん)なさりゃ、誰の前でも言い立てやす。」
 (綾)実はな、俺も明日は蘭樽と決闘する筈にして有るが、何しろ命の遣り取りだから、運が悪けりゃ、彼奴(きゃつ)に殺されて仕舞うのだ。殺されるのは仕方も無いが、今俺が死んだ時は、誰も蘭樽を悪者とは思わない。俺は之ばかりが残念だから、切(せ)めては、彼奴の本性を知らせて置きたい。有浦は全く彼奴を、善人と思って居るのだから、愈々(いよいよ)悪人と言う事を、知らせて置きさえすれば、俺が死んだ後で、真逆(まさか)悪人と知りながら、其の儘(まま)お仙と婚礼をさせもしないだろう。俺も心置きなく勝負が出来る。

 (勘)ですが旦那、決闘はお止しなせエ、彼様(あん)な奴ですから、又何の様な計略(はかりごと)を掛けて、貴方を殺さぬとも限りやせん。夫に彼奴は剣術の達人だと申しやすぜ。ですから決闘は止めて、此の儘(まま)警察へ訴えせえすりゃ、お上の手で彼奴を生かして置く気遣いは有りやせん。

 (綾)イヤナニ仮令(たと)え殺される迄も、此の決闘を止す訳には行かない。兎に角、彼奴が即ち入山鐘堂だと云う事を、有浦に知らせて置けば、俺が殺された後で、有浦が警察へ訴えるなりと裁判所へ引き渡すなりと、都合の好い様にするだろう。爾(そう)すれば、手前の敵(かたき)も、有浦が取って呉れると云う者だ。だから手前は今言った通り、有浦の前で、彼奴の素性を言い立てて呉れ。

 勘次は溜息を発しながら、
 「幾等お留め申しても、貴方が夫を聞き入れず、何うしても決闘すると仰(おっしゃ)りゃあ、致し方有りやせん。宜しい、私しゃア今の事を言い立てやしょう。だが何時有浦さんに逢うのです。」
 (綾)明日の朝六時前に、手前は蘭樽の家の後ろに、隠れて居て呉れ。爾(そう)すれば決闘のの前に、俺が有浦を連れ出して、手前の居る所へ連れて行く。其所で話ををするとしよう。

 (勘)宜しい。夫じゃア間違い無く、アノ塀の後ろに居やすから、ナニ私しゃア今夜から、彼の許へ行って、雨露(うろ)ついて居ると仕やしょう。何うせ家へ帰ると言った所が、安泊ですから、何所で夜を明かすも同じ事です。

 綾部は此の言葉を聞き、重荷を卸(おろ)した様に安心したが、若しも勘次が明朝に至り、約束を違える事が有っては成らないと思ったので、充分其の事を防ぎ置く為め、
 「コレ、勘次、手前が約束通り、塀の後ろに居て呉れれば、己は何よりも有難い。若し手前が有浦に其の事を言い立てた為、若しも手前まで蘭樽の連類に、落とされる様な事が有れば、俺が受け合って逃がして遣る。知らない他国へ身を隠して、当分楽に世を送るだけの資本(もとで)は俺が遣(や)る。」
と言うと、勘次は暫(しば)らく考えて、

 「旦那、夫は了(いけ)やせん。私しゃア三年も牢に居たお蔭で、少しは法律も聞き齧(かじ)って居やすが、今私しが貴方から金でも貰っては、私の言うことが嘘に成りやす。金で買った証人は、証人の資格とやらが無いと言いやすから、金などは戴きやせん。ナニ、私しゃア蘭樽が憎いから、私しの方から貴方に頼むのです。若し彼奴の悪事が破(ば)れて、私しまでも巻き添えになり相なら、私しゃア其の内に逃げっちまいやす。」

 綾部は此の言葉に殆ど感心し、
 「夫では先ず何の約束もしないが、俺も綾部だから、又手前には、夫だけの事を仕て遣る時節も有るだろう。兎に角、明朝の朝の事は間違い無く。」
 (勘)旦那、念を押すにゃア及びやせん。
と言葉を交わせて立ち分かれ、是から綾部は我が宿へ帰ったが、明朝は此の世に亡き人と、為るかも知れないので、親類に宛てた一通の書置きを認(したた)めて置き、十一時過ぎる頃、寝床に就いた。

 一眠りして、夜の明け離れると共に寝床を離れ、衣物(きもの)などを着替えて、是から蘭樽の家に出向かおうとする折りしも、彼の介添え人である町田中尉が、馬車に乗って来たので、言葉少なに挨拶して共に其の馬車に乗り、我が宿を立ち出でた。頓に(やが)て蘭樽の家も間近くなった頃、綾部は町田中尉に向って、

 「中尉、私しは今朝、少し有浦に逢って、内々話て置きたい事が有ります。申し訳有りませんが、貴方、有浦を外へ呼び出しては呉れますまいか。」
と言うと、町田は怪しんで、
 「決闘の前にですか。」
 (綾)左様
 (町)飛んでも無い、其様(そんな)事は出来ません。有浦は敵の介添え人です。若し有浦に話が有れば、私に仰(おっしゃ)れ、私から彼に伝えるのが順当です。
 (綾)内々の話ですから、是非とも直々に、有浦に逢わなければなりません。

 町田は益々驚き、
 「之は何と言うことだ。貴方は決闘の規則を知りませんか。貴方が自分の介添え人を捨て置いて、向うの介添え人と内談をするなどと、夫は規則に背きます。」
 (綾)イヤ、規則に背いても構いません。
 (町)夫は了(いけ)ない。当人同士に能(よ)く規則を守らせるために、介添え人が附いて居ます。介添え人の身として、左様な事は何うあっても承知出来ません。たとえ私が承知しても、有浦が承知しますまい。

 是で、綾部が昨夜勘次と約束した事も、将(まさ)に水の泡に為ろうとする。綾部は蘭樽の正体を、誰にも告げずに、決闘しなければならない事と為った。しかしながら、此の事を誰にも知らさずに殺されたならば、全くの犬死と為る故、今は町田が何と云っても、一応有浦に逢わなければならない。

 (綾)イヤ、夫では私が自分で有浦を呼び出します。貴方は見ぬ振りをして頂きましょう。
と云う中、馬車は早や蘭樽の玄関に着いたので、綾部は先に飛び降りたが、此の時屋敷の塀の隅から、遥かに首を出して覗く者が有った。誰かと見ると、勘次だったので、綾部は彼が約束を守り、早や此所へ来て居るのを喜びながら、其の儘(まま)玄関に進み入って、参上を告げると、中から出て来たのは有浦だったので、此れ幸いと声を掛け、

 「有浦君、僕は決闘の前に、是非とも君に話して置きたい事が有るが。」
 (有)好し好し、聞こうとも、サ内へ入りたまえ。
 (綾)イヤ内では話せない。外へ来て呉れたまえ。
 (有)外へ出る事は出来ないよ。夫では決闘の規則に背くから。
 此の時、有浦の後ろに蘭樽が居た。此の問答を聞いて、からからと打ち笑い、
 「ハハハハハ、有浦君、綾部君は、僕と決闘するのが恐ろしく成ったとでも云うのだろう。その様な臆病者なら、ナニ規則通りにしなくても、一寸と逢って遣りたまえ。僕も臆病者を無理に相手にするのは、好まないから。」

 綾部は臆病者と云われ、何うして我慢ができるだろう。火(か)っと発する怒りと共に、勘次との約束は打ち忘れ、
 「ナニ、俺を臆病者とな。最(も)う堪忍ならぬ。サア来い。」
と言いながら、我を忘れて飛び掛かろうとするのを、後ろから町田は抱き留め、
 「イヤ、茲(ここ)で争うより、早く奥庭で、本当の勝負をするのが好かろう。サア行き給へ、」
と言って、早くも町田は綾部を、有浦は蘭樽を、各々奥庭へ連れて行きながら、双方へ光々と光り輝く抜き身を渡した。

 嗚呼綾部は昨夜から、充分に思案した勘次の約束を打ち忘れ、早や決闘をする事と為った。事に慣れていない少年の客気(はやりぎ)なので、今更何を言っても始まらない。
 又蘭樽の鐘堂は、今まで決闘には、ずば抜けた才を示して居たので、先ず手始めに、計画通り相手を目の暗むほどに立腹させたのだが、此れも又仕方が無いことだった。アアアア

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