巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

akutousinsi39

悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.7.29

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

akutousinsi

悪党紳士        涙香小史 訳

               第三十九回

 お蓮は何事も、唯有浦を相談柱としている身なので、三、四日有浦が来ない事に心を痛め、鶴女を連れて馬車を雇い、有浦の宿に行って、取次ぎの者に其の旨を言い入ると、取次ぎは愛想も無く、
 「有浦さんはお留守です。」
 (蓮)行く先は分かりませんか。

 (取次ぎ)分かりません。四日か五日ほど前に、朝の五時頃、周章(あわて)て此の家をお出なさって、夫切(それき)り今に帰りません。若し明日、明後日の中に何の沙汰も無ければ、一週間に成りますから、宿屋の規則に由り逃亡の届けを出します。
と聞いて、お蓮は驚いたが、問い返しても無駄なので、其の儘(まま)此の宿を立ち去って、又も馬車に乗ったが、有浦の事が未だ合点が行かないので、唯伏し俯(うつむ)いて考えるばかり。御者にさえ行く先も告げないので、鶴女は傍から、

 「奥様、之から何方(どちら)へ参ります。」
 お蓮は初めて気が附いた様に、
 「アア、爾(そう)さネ。」
と言って暫(しばら)く考え、
 「伊太利(イタリア)村へ帰りましょう。」
と云った。
 (鶴)デモ貴方、蘭樽様の所に寄り、一寸伺えば分かりましょう。
 (蓮)イエ、夫れには及びません。

 (鶴)アレ貴方。蘭樽様と言うと、又其様(そんな)に愛想の無い事を。別に回り道にもなりませんから、一寸と利門町までお寄り遊ばせ。貴方がお嫌なら私ばかり馬車から降りて、蘭樽様にお目に掛ります。
と云ったが、お蓮は打ち鬱(ふさ)ぐばかりで返事なし。

 御者は此の言葉を聞き微(かす)ったか、御者台から後ろを向き、
 「利門町へ遣るのですか。」
 鶴女は独断で、
 「ハイ、彼所(あすこ)へ寄せてお呉れ」
と命じた。頓(やが)て一走りで蘭樽家の前へ尽いたので、鶴女は先ず降りて、入り口へと進んだが、何事があったのか忽ち驚き、振り向いて、

 「奥様大変ですよ。早く降りて入(い)らっしゃい。」
と云うので、鬱(ふさ)がるお蓮も、何事かと降り立って、其の入り口に行って見ると、其の戸は堅く閉まっていて、其の上を警察署の張り紙で封じてあった。お蓮はそれ程驚きもせず、鶴女向って、
 「這般(そん)な事だと思ったサ。早く帰りましょう。」
 (鶴)でも貴方、未だ何うしたのか分から無いのに。」
 (蓮)イエ、分かって居るよ。家内残らず警察へ拘引されたのだワネ。

 (鶴)だって蘭樽様に限って。その様な筈は。
 (蓮)イヤ蘭樽だからその様な事も有るのだ。帰りましょう。
と云ったが、鶴女は聞き入れず、 
 「イエ、訳も分から無い中に、お帰りなさる事は有りません。、屹度何かの間違いですから、私はよく聞き糺(ただ)して、事に由れば、蘭樽様の証人にもなって上げます。
 (蓮)何をお言いだ。女の癖にその様な。
 (鶴)イエ、夫(それ)でも貴方。爾(そう)です、此の当たりに知った者が有りますから、私は一寸様子を聞いて来ます。貴方は馬車の中でお待ち下さい。

 (蓮)夫では何とでもお前の気に済むようにお仕なさい。だが私は気分が悪いから一人先に帰ります。
 (鶴)夫なら
と言って鶴女は一人いずれかへ立ち去った。
 お蓮は一人馬車に乗り、伊太利村へ帰って行った。

 そもそもお蓮が何故に、この様に蘭樽を嫌うのかと言うと、お蓮は初めて蘭樽に逢った時、その声を聞いて、身の震える程に驚いた。蘭樽が何と無く先頃、お蓮が林屋お民の家で、妹李(まりい)夫人が殺されるのを見た時、背後よりお蓮の目を隠して、お蓮に恐ろしい誓ひを立てさせて、お蓮の口唇(くちびる)を封じた曲者の声に、能(よ)く似る所があったからだ。

 素よりその時の曲者は、勉めて声を変えて居たのに相違ないけれど、変えた裡(うち)にも充分に変わり切ら無い所があり、お蓮の耳の底には歴々(ありあり)と残って居た此の声の為め、既に蘭樽を嫌う心が生じていたのだ。その上、其の小指を見ると、非常に肉厚い指輪を嵌めていた。

 彼の曲者も小指に太い指輪があって、お蓮の首筋手先などを握る度、其の指輪丈がヒヤリヒヤリと感じた事は、お蓮が今なお覚えて居る所である。この様な事から、お蓮は初めて蘭樽に逢った時、云うに云われ無い恐れを感じたけれど、更に能(よ)く見ると、其の人品の賎(いや)し無い事と言い、更には有浦の勧めと云い、又我が娘の恩人と云い、よもや此の人が、入山鐘堂だと言う事は無いだろう。

 個れは必ず我が過ちに違いないと、こう思い直して、持遇寓(もてなし)ていたが、彼が忽(たちま)ち三、四日訪れて来無い事と為ってから、又も其の疑いが立ち返り、今までの事を考えて見ると、彼がお仙を救った時から、曲者が全く影を隠した事と云い、彼れは裕福な貴族だと云うのに、身分に似合わず、お仙を慕うことなど、疑いを以って見る時には、怪しい節ばかり多いので、終には又も彼を嫌い、且つ恐れるの念を起こし、あれこれ思案する中、今又警察署の張り紙を見たので、この上は疑う所は無い。彼は全く入山鐘堂であるのに違いないと、思い定まるに至った。

 しかしながら、この様に思い定めると共に、又一層の苦労と云うのは、我が心が弱い為、彼悪人に口を封じられ、有浦にさえ、告げる可き事を告げる事が出来ずに、友を欺(あざむ)き、我が身を欺くに均しい所業を為し、更には親の身として最愛(いとし)の我が娘を、悪人の手に渡そうとした事など、此れを思い彼を思うと、今更に我が心が嫌でしょうが無い。

 我が身の上の恐ろしさ、娘の上の不敏さ、交(こもごも)心に浮かんで来て、平安な心と言ったら少しも無いので、馬車が我が家に着くと同時に、非常に青い顔色で傍目(わきめ)も振らず我が部屋に歩み入り、其の儘(まま)長椅子に身を投げ掛け、声を忍んで泣いて居た。
 こうしているうちに、傳母(うば)の鶴女が帰って来て、入り口から、

 「奥様、大変な事になりました。」
と声を掛けたので、お蓮は泣き顔を隠すこともせず、
 「イエ、もう其の事なら聞くには及ばない。気分が悪いから彼方へ行ってお呉れ。」
と云ったが、鶴女は余りの驚きに、お蓮の言葉は耳に入らず、其の儘(まま)傍(そば)に進んで来て、

 「イエ、先ず斯(こ)うなんです、蘭樽様ハネ、四、五日前の朝、誰かと屋敷の中で決闘しましたとサ、夫で相手の名も確かに分かりませんが、何でも一人は死んだ相で、死体と共に一同警察へ引かれたと申します。決闘は決闘でも家の中で闘ったのだから、決闘には成りませんとサ。人殺しの罪に落ちますとサ。ですから、若し蘭樽様が負けたのなら、有浦さんは人殺し、又有浦さんが負けたのなら蘭樽様は人殺し。何方(いづれ)にしても御両人とも助から無いと思いますワ。」

 鶴女は近辺の噂を聞いて来てこの様に云う者なので、有浦を蘭樽の相手だと思うのは、無理も無い推量である。此の知らせには、お蓮も驚き、
 「ナニ、有浦が決闘したと。」
 (鶴)ハイ、決闘して一人は殺され、一人は人殺しの罪に落ちたと申します。ですから何うせ有浦さんも蘭樽様も、当分はお目に掛る事はできません。お蓮が私(ひそかに)思には、有浦は軍人なので、よもや蘭樽に殺される事も無いだろうが、人殺しの罪に落ちては、助かることは難かしい。

 力と頼む有浦に、この様な事が有っては、此の後をどのようにしたら好いだろうと、暫しは呆れて言葉さえ無かったが、我知らず声を放ち、
 「もう本当に生きて居る甲斐も無い。」
と言いながら俯伏(うっぷし)た儘(まま)で、気絶した様になったのは、癪(しゃく)とやら言う発病に違い無い。


次(第四十回)へ

a:240 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花