巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.7.30

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第四十回

 大尉有浦と伯爵蘭樽が決闘して、一人は死に、一人は人殺しの罪に落ちたと聞き、お蓮は驚いて気絶した。およそ一時間を経て、漸(ようや)く人心地に復(かえ)ったけれど、是から其の翌日に至っても、唯絶え間なく打ち鬱(ふさ)ぐばかり。最愛(いとおし)の、お仙の顔を見る事さえ嫌って、一間の中に閉篭(とじこも)り、独り心に我が身の罪の恐ろしさを打ち嘆(なげ)き、涙の乾く暇さえ無い。之を憂鬱の病と云い、早く傍から其の心を引き立てなければ、終に世を儚(はかな)んで、死のう、死のうと思うに至るとか言う。

 鶴女は之を気遣って、無理にもと其の傍に入って来て、
 「貴方、お加減が悪けりゃ、お医者でも呼びましょう。」
 お蓮は涙声で、
 「イエ、お医者には及ばないから、彼方(あっち)へ行ってお呉れ。」
 (鶴)ダッテ、貴方が其の様に鬱(ふさ)いで入(い)らっしゃると、何だか私は気に成ります。
 (蓮)イエ、彼方(あっち)へ行ってお呉れ。傍に人が居ては、私の病は直りません。
と云って、又も長椅子に身を投げて、後は唯伏俯向く(うつむ)いて、言葉さえ無い。

 鶴女が殆ど持て余して居る所へ、静かに入って来るのはお仙である。是も何事の為であるか、日頃の愛嬌ある顔も、今日は非常に顔色青く、絶えず笑いを含んでいた目許さえ、泣き腫らしたのに似て、紅く腫れていた。母が長椅子に俯伏(うつぶ)して居るのを見て、

 「オヤ、阿母(おっか)さん、何(ど)うなさったノ。」
と心配気に問い掛けた。
 鶴女は若しお仙を茲(ここ)に置いたなら、お蓮の心の引き立つ事も有るだろうと思うので、
  「嬢様、阿母さんは気分が悪いと仰(おっしゃ)るから、貴嬢(あなた)、お傍に居てお上げ遊ばせ。」
と云い置いて、此の座を立った。
 後にお仙は俯伏(うつぶ)している母の肩に手を掛け、

 「阿母さん、何うなさったの。エ、阿母さん、何うか為さったのですか。」
と揺り動かされて、漸(よう)やく重い頭を上げ、
 「仙や、阿母さんは最(も)う貴方に逢わす顔が無い。堪忍してお呉れ。」
 (仙)アレ、先(ま)ア、何を仰います。
 (蓮)其方(そなた)も最(も)う廿歳に近いから、全然(まんざら)の子供でも無いだろう。阿母さんの云う事を能(よ)く聞き分けてお呉れ。其方は最う蘭樽に逢うことは出来ませんよ。

 お仙は非常に驚くかと思いの外、静かに聞いて、問返そうともしない。
 (蓮)エ、お仙、蘭樽は多分最うこの世の人では有りません。是も私が悪いのだから、悪人と思いながらも、此の家へ出入りさせ、其方の婿に約束したのは、阿母さんの考え違い。ホンに其方も私に似て、所天(おっと)には縁が薄い。ナニ是も私の罪だ。是ならと思う綾部伯とは、私の身の上を聞いて破談になるし、蘭樽はアノ通りの大悪人、花房屋お蓮と云う、此の汚らわしい私が附いて居る間は、お前も様々な苦労をする。私さえ無かったなら、綾部も、其方を捨てもしなかっただろう。此の後も、私が有っては、お前が出世出来ません。
と心細げに打ち嘆げくと、お仙は之を慰めようと、

 「イエ阿母さん、蘭樽が決闘した事は、昨日鶴から聞きました。私は何とも思いは仕ません。」
 (蓮)イヤ、其方の心は分かって居る。其方が今まで恋慕う綾部には捨てられて、何とも思って居ない蘭樽に、許婚の約束を承知したと言うのも、元は皆私の罪だ。許してお呉れ。其方に善い婿夫(むこ)を取らせて、心安く世を送らせるまでは、私の罪は消えません。
と云い、又も泣き俯して、お仙の慰めの言葉をさえ聞かなかったが、やや間お置いて、漸(ようや)く心を取り直した様に、今までとは打って変わり、心地好さそうに起き直り、

 「アア私とした事が、一時の驚きに唯何事も悲しくなり、昨日から今が今まで、泣いてばかり居たけれど、是も病気の所為(せい)で有ろう。其方が慰めて呉れた言葉を聞き、もう全然(さっぱり)心が晴れました。」
と云いながら莞爾(ニッ)と笑ったので、お仙は歓(よろこ)んで其の首に取り縋(すが)り、
 「気分が直りましたか。嬉しい事ネエ。」
と言って、頬の辺りを軽く吸った。

 (蓮)アアさっぱり直ったよ。是から阿母さんは一眠り息(やす)みますから、暫(しばら)く此の儘(まま)に置いてお呉れ。
と云うので、お仙も安心して非常に嬉しそうに退いた。
 そもそも、お蓮の昨日今日の様子には、合点の行かない節が多いけれど、個れは今までの我が罪の恐ろしさに耐え兼ねて、わが身が此の世に在る限りは、お仙が人並みに世に出る道は無いだろうと、只管(ひたすら)後悔することに由る為だった。

 一日一夜の後悔で、今は心に思い定める所がある。強いて笑顔を作りながら、お仙を次に間に退けたけれど、後で一眠り休むのでは無かった。静かに立って、入り口の戸に裡(うち)から堅く錠を卸(おろ)し、墨筆を取り出して、非常に長い三通の手紙を認(したた)めた。
 一通は大尉有浦に宛てて、(個れはお蓮の心では、有浦は決闘に勝ち、牢の中に繋(つな)がれて居るに違いないと思う事に由る。)、一通は綾部安道、一通はお仙に宛てた。

 頓(や)がて衣類を改め、お仙に宛てたものは、我が手文庫の中に残して置き、残る二通は我が身に着けた。次には衣服を着替えて鏡に向い、少しばかり我が顔を作り直したのは、如何なる理由に由るのだろうか。是から又鶴女とお仙を呼び、
 「少しの用事がある為、今から丸屋町(お蓮がデミモンドの住居)に行き、今宵は一夜同所に泊まって、朝(あす)の夕方帰るので、それまで留守を頼む。」
と言って、其の儘(まま)馬車に打ち乗って、丸屋町さして此の家を出た。

 頓(やが)て丸屋町の家に着き、召し使える女を呼び、彼の二通の手紙を渡し、
 「今夜の十時前に此の二通を綾部と有浦の宿に届け、若し留守だったなら、帰り次第渡して呉れる様、其の宿へ頼んで来てくれ。」
と言い付けて置き、それから、今迄に行き来のある人々、六、七人に、料理屋への招待の使いを発した。

 其の料理屋と云うのは、お蓮の家から程遠くない、英国茶館と云う非常に高大な割烹店である。日の暮れる頃に至り、招待に応じて英国茶館に入り来る紳士には、山田、猿島等あり。婦人には林屋お民、丸池お瀧等も有った。其の数は都合八人で、何(いづ)れも普段有浦が親しくする人々ばかりである。

 お蓮は金銀珠玉を惜し気もなく縫い込んだ、デミモンドの衣類を装い、十年も若返えって、これ等の人々を出迎えながら、設けの席に請じ入れ、非常に華美(はで)やかな宴会を初めた。

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