巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

akutousinsi8

悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.6.28

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

akutousinsi

悪党紳士        涙香小史 訳

               第八回

 写真挿(ばさ)みの裏面から出て来た、怪しい書き物を、有浦は取上げて、
 「読んでも好いかえ。」
 何の書付かは知ら無いが、読まれては一大事と、お蓮は震える手を差し延べ、
 「イエ、了(いけ)ません。私が読みますから、サア此方(こっち)へお寄越し下さい。」

 有浦は書付を持った儘(まま)で、お蓮の様子をつくづく眺め、
 「全体其方(そなた)は、何(ど)うしたと云うのだ。此の書付を見て、急に手の震える所から、朱唇(くちびる)まで青くなった所を見れば、きっと深い仔細が有るだろう。コレお蓮、其方は、此の有浦にまで隠すのは間違いだよ。斯々(こうこう)と打ち明けて呉れさえすれば、火の中を潜(くぐ)っても、其方の身を助けて遣る。其様に隠すのは為に成らないよ。」

 此の男らしい親切は、深くお蓮の心の底まで浸み通った。明かされる丈の事は打ち明けて、此の勇ましい士官の助けを乞うのに、勝る事は無いと、早くも心を取り直し、
 (蓮)ハイ、もう貴方に隠す事は有りません。お読みなさって、聞かせて下さい。
 (有浦)フム、爾(そう)打ち明けて呉れさえすれば、其方の敵は私の敵だ。何事か知ら無いが、もう心配には及ばない。ドレ。
と云いつつ読み掛けて、

 (有)オヤ、是は変だ。書置きだ。イヤ、遺言の様な書き方だぞ。
と言って読み下す文に言う。
 「妾(わらわ)は、英国貴族花房家の女主人、妹李(まりい)夫人である。此の一通は妾が遺言である。まだ若くして、身体は健康にして、心も確かではあるが、不意に命を失うのも、計り難いので、心の確かな中に此の遺言を認(したた)めて置く。

 妾は先年、土場の旅宿で怪しい死を遂げた、実兄花房丈次郎の遺志を嗣(つ)ぎ、丈次郎と仏国の山田蔦江女の間に挙(もう)けた一女、山田お仙に、遺物(かたみ)として、妾が身代を譲るものなり。妾が遺物(かたみ)は正金で10万ポンド(六十万円)《現在の日本円で少なくても10億から20億円》、英国の銀行に預けてある。妾死する後は、此の金は総て、お仙の随意にすべし。

 妾は十年以来、蔦江女及び其の一女お仙等と、一切の交わりを絶ち、今は其の何れに住むかを知ら無い。仄(ほの)かに聞けば、蔦江女今は花房屋お蓮と名乗っているとか。妾は今から所用あって仏国に赴く故、幸いにお仙を尋ねよう。若し尋ね当たったなら、仕合せだが、之を尋ねるのは甚(はなは)だ危うい。

 妾とお仙の間を割き、此の身代を奪おうとする者があれば、妾はお仙を尋ね当てずして、兄丈次郎と同じく、非業の死を遂げるかも知れない。若し其の時は、何人であっても、此の遺言書を見出した人、願わくは、直ちに領事庁に差出し、官の手を借りて、妾が身代をお仙に譲る道を運んで欲しい。お仙から相当の謝礼があることは、妾が保証します。

 又万一にも、お仙が既に死し、此の世の人で無いならば、十万ポンドの正金は倫敦(ロンドン)と巴里の慈善病院へ、半々に寄付する事を望むものです。以上正に英国貴族、花房夫人妹李(まりい)の真の遺言である。真実の願いであります。謹言
月日

 読み終わって、有浦は事の様子を半ば悟り、成る程、是は意外だ。山田蔦江女とは其方(そなた)の事だナ。
 お蓮は細い声で、
 「ハイ」
 (有)シテ其方には、娘が有るのだナ。是は知らなかった。アア道理で其方が、折々田舎へ行くと言って、二、三日居無くなる事が有ったテ。併し、まあ、其のお仙とやらの、生きて居るのは仕合せだ。早速官に届けを経て、此の遺言の通りにしなくては。
と聞いて、お蓮は非常に当惑の様子で、

 「イエ、爾(そう)は出来ません。」
 有浦は驚き怪しみ、出来無いとは何故に。仮令(たと)え其方がお仙の親でも、此の譲り受けを、妨げる事は出来ないよ。遺言を取り消す事は、何(ど)う有っても出来無いから。

 (蓮)イエ、それでもこの様な事を、娘お仙の耳へは入れられません。お仙は今まで、私の素性を知らず、相当の婚姻をして出来た正当の子と思って居ます。今此のことを知らせては、私と丈次郎が、婚姻しない前に出来た、私生の子と云う事が分かります。何も知ら無い清き娘に、父母の恥を知らせては成りません。

 (有)その心配も一応は尤(もっと)もだが、生涯隠し遂(おお)せる事は出来ないから、其の様な愚痴は言って居られない。此の遺言書が有るからは、其の筋へ、此の花房夫人とやらの死んだ場所と死んだ月日を、言い立てさえすれば、其の身代は一日も経た無い中に、直ぐお仙の手に入るのだ。それを母親が妨げる筈は無いよ。
と正直一図に推して来る有浦の此の言葉に、お蓮は益々当惑した。

 (蓮)爾(そう)は出来ません。
 (有)ナニ出来無い事は無い。之をするのが親の務めだ。既に此の書が、其方の手に落ちたからは、無論此の花房夫人は死んだに違いない。死んだ者なら、其の場所と月日は、其方が知って居るだろう。知って居る事を其の筋へ言い立てるのに、何の難しい事が有る。
 (蓮)でもそればかりは出来ません。

 有浦は益々怪しみ、
 「ハテ、変な事が有る者だ。夫(それ)でも未だ、外に深い仔細が有ると見えるナ。」
 (蓮)ハイ、仔細は有りますが、何うぞ是ばかりはもう聞かないで下さい。お問いなさっても、打ち明ける事が出来ません。ハイ打ち明ければ、お仙が何の様な目に逢うか知れません。

 (有)夫(それ)は益々不思議だ。お仙が酷い目に逢うとは、ハテな、軍人の身として、か弱き乙女の難儀を、其の儘(まま)聞き捨てにする事は出来ない。好し好し、何の様な事が有ろうとも、お仙は保護して遣る。サア誰がお仙を、其の様な目に逢わすと云うのだ。もう心配する事は無い。サ打ち明けて、打ち明けて。

 (蓮)イエ、爾(そう)仰って下さるのは、有り難う御座いますが、是ばかりは、好し打ち明けても無益です。敵は非常な悪人で、身を隠して居て、私達を苦しめるのですから、致し方有りません。何所に住んで居る事か、何の誰と云う人か、夫(それ)さえ分からず、又其の顔さえ知りませんから。

 (有)何(ど)うも余り不思議過ぎて訳が分からぬ。其方が真逆(まさか)、此の俺を騙すのでも有るまいナ。
 (蓮)何(ど)うして貴方を欺(だま)しましょう。
 (有)爾(そう)サ、見て居ると、其方の顔色が青くなったり赤くなったりするのは、嘘偽りではないだろうテ。夫(それ)に此の遺言を見て、其方が喜び相な者なのに、却(かえ)って当惑の様子が有るとは、尋常(ただごと)だとは思われ無い。

 (蓮)ハイ、実に尋常(ただごと)では有りませんから、打ち明ける事が出来無いのです。
 有浦は、暫(しばら)く手を拱(こまね)えて考えていたが、流石は心広い士官の事だけはあって、早くも思い返した様に、

 「爾(そう)だ。誰でも他人に話され無い秘密は、必ず有る者だ。無理に聞こうとしたのは、私の粗忽(そこつ)だった。併し又、其方が篤(とく)と考へた上で、何(ど)うしても自分の力に合わ無いと、思う事が有るなら、其の時は早速私に言って来るが好い。私も永い友達だから、其方の難儀と有れば、何時でも男の力の及ぶだけは、相談相手に成るだろうから。

 此の実意ある有り難い言葉に、お蓮は思わずも両の目に涙を浮かめ、有浦の手を握って、
 「イエ、もう毎度(いつも)ながらの御親切は忘れません。」
と震える声で、心一杯の礼を述べたが、思い見れば、今若し、彼の縦覧所に曝されてある夫人の死骸を、此の儘(まま)に見過ごして、其の筋に言い立てなければ、夫人は終に宿無しと為って葬られ、其の死去した証拠が、無い事になって仕舞うので、娘お仙に降り来る、此の遺金も、生涯受け取る事は叶わなくなる。

 親の身として、如何して我が愛児(むすめ)の、此の上無い幸いを、妨げる事が出来よう。深く我が愛児(むすめ)を思って、悪人に殺される事も厭(いと)わなかった、花房夫人の厚い情を、如何して空しく捨てられるだろうか。だからと云って、此の事を官に言い立てたなら、彼の曲者等が、如何なる仇を為すかも知れ無い。アア、如何したら好いだろう。如何したら好いだろうと、独り思案に迷い入るお蓮の心は、憐れだ。

次(第九回)へ

a:300 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花