巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第九回

 お蓮は様々に思い試みたが、花房夫人が死んだ事は、何時までも隠し通すべきでは無い。今親切な有浦に、此の事を打ち明けたからと言って、其の殺された様子さえ話さなければ、誓いを破る事には成らない。好し好し、彼の曲者等の事は推し包んで、唯縦覧所に曝(さら)してある婦人の死骸が、花房夫人である事をのみ告げて、然る可(べ)く有浦の力を借りようと、漸(ようや)く心が定まったので、恐々(こわごわ)ながら口を開き、

 「有浦さん、貴方は昨日今日の新聞を読みましたか。」
 (有)汽車の中で一寸と見たが、詳しくは読まなかった。
 (蓮)若し其の中に、名前の知れない婦人が、頓死(とんし)したと云う雑報が、有りは致しませんでしたか。
 有浦は思い出した様に、
 「アア有った、有った、全(まる)で其の事ばかり書いて有った。何でも其の死骸を、縦覧所に曝して有るって。」

 お連は此の返事に力を得て、
 「サア、其の死骸が今云う花房夫人ですよ。此の遺言を書いた花房夫人の死骸ですよ。」
 有浦は驚いて、
 「ナ、ナ、何だって、花房夫人の死骸が、曝されて居ると云うのか。」
 (蓮)ハイ、私しは先刻用事が有って、外へ出た帰りに、縦覧所の前を通り、余り人が混むから、何心なく入って見ましたら、思い掛けも無く、花房夫人の死骸で有りました。

 (有)夫(それ)なら訳も無い事だ。書記局へ行って、其の事を言い立てれば好い。
 (蓮)夫(それ)がサ、私は恐ろしい余り、愕然(びっくり)して恐ろしくなりましたから、其の儘(まま)帰って参りました。
 (有)夫なら今から私が行って、言い立てて遣(や)ろう。
 (蓮)イエ、夫が了(いけ)ませんのです。今から思えば、言い立てないのが、却(かえ)って幸いで有りました。

 (有)トハ又何(ど)う言う訳で。
 (蓮)イエ、私が帰って暫(しばら)くすると、見も知らない人が来て、一通の手紙と此の写真挿(ばさ)みを、投げ込んで行きました。
 有浦は怪しそうに、
 「夫れは奇妙だ。シテ其の手紙は何所に在る。ドレ見せろ。」
 (蓮)手紙は焼いて仕舞ましたが、其の文句は斯(こ)うでした。

 「拝啓、此の写真は、御身の娘の姿に候(そうろう)故、送り届け申候、御身若し娘子(むすめ)の命を大事と思はば、彼の婦人の本名を、何人にも知らさぬ様なさる可(べ)く候、彼の婦人が、斯(か)かる恥ずかしき死に様を為せし事が分かり候ては、一家親類の面目に拘(かか)はり候故、飽くまでも知らぬ顔にて見過ごされ度(た)く。若し一言にても、口走り候はば、屹度(きっと)御身の娘児(むすめ)を、殺す可(べく)申候(もうしそうろう)。」

 「此様な恐ろしい手紙でした。だから私はその筋へ言い立てる日には、娘が何(ど)のような目に逢ふかも知れません。」
と当たり障(さわ)りの無い嘘を話すと、有浦は猶(な)お怪しみ、
 「シテ其の手紙は誰から来た。心当たりは無いのか。」
 (蓮)少しも有りません。

 有浦は暫し考えて、
 「何、それしきの事を恐れるには及ば無い。其方(そなた)が恐ろしければ、私(わし)が言い立てて遣る。其方に少しも迷惑の掛ら無い様に。爾(そう)だ。是から何気ない様子で縦覧所へ行き、其の死骸を見て驚いた風をして、早速書記局へ駆け込もう。私から言い立てる日には、誰も其方を恨む筈は有るまい。」

 (蓮)若し書記局で、何(ど)うして此の婦人を知って居ると問われたら、何と答えます。
 (有)夫(それ)は何とでも返事が出来る。若し書記局で私の返事を不十分と思えば、念の為に直ぐ電報を以って花房家の親類へ問い合わせるから、猶(な)お結構だ。何、心配には及ばない。私に任せて置きなさい。うまく遣って見せるから。

 此の言葉は、お蓮が私(ひそか)に心の中で願う所なので、今は辞(いな)む可(べ)き時では無いと、早速承諾すると、有浦は打ち喜び、
 「それでは直ぐに出かけよう。」
と言って立ち上がったが、又もお蓮を振り向いて、
 「二時間も立つ中には帰って来るから、其の上で一緒に夕飯でも食べに行って、緩々(ゆるゆる)話す事に仕よう。又両三日の中に、其方の愛女(むすめ)お仙嬢とやらにも、引き合わせて貰わなければ。」
と言い捨てて出て行った。

 之より三日経て後の事であるが、お蓮は愛女(むすめ)お仙の事が、只管(ひたすら)気に掛り、若しや曲者の仇を受け、禍(わざわ)いを蒙(こう)むる事は無いかと、気も安まらないので、自ら其の様子を見究めて来ようと、午後三時頃に家を出たが、

 そもそもお仙を預けてある場所と云うのは、巴里の町外れに在り、伊太利(イタリア)村と呼ぶ所だ。東京で言えば、先ず根岸とも云う可き辺で、広い公園地に傍(そ)った、非常に物静かな所である。此所に村山鶴と云う、独り暮らしの老女があり、その昔お蓮を育てた乳母なので、お蓮は之に万事を打ち明け、月々相当の仕送りを為して、娘お仙を預けてある。

 西洋にあっては、乳母と云うのは、乳を呑ませる乳母では無く、読み書き音楽裁縫から、礼儀作法に至るまで、何くれと無く教え育てる事を、引き受ける者で、其の業(なりわい)は賎(いや)しいものではない。身分ある婦人であっても、都合があって、此の傳母(うば)と為る例は儘(まま)有ると言う。

 鶴女も矢張り其の一人なので、女一通りの芸事は残り無く心得て、我が預かっているお仙をば、子の様に育てて居るのだ。夫(それ)はさて置き、お蓮は頓(やが)て公園地を通って程無く、鶴女の家の門に至ろうとする折しも、お仙は早くも其の姿を認めたに違いなく、小躍(こおど)りしつつ馳せて来て、お蓮の首に両手を巻き、
 「阿母(おっか)さん、能く入(いら)っしゃいました。」
と云いながら、母の唇頭(くちびる)を血の出るほどに吸い込んだ。

 先ずお仙の其の容貌を記(しる)すと、眉清くして眼涼しく、頬から口許(くちもと)に掛けては、溢(こぼ)れるばかりの愛嬌がある。其の上、年の頃十八ばかりなので、母ながらも見惚(みほれ)るほどの美人である。

 お蓮は容(かたち)を正して、
 「もう此の年に成って、独りで出歩く者では有りません。鶴女は何うしました。」
 お仙は恨(うら)む様に母の顔を見上げて、
 「だって阿母(おっか)さんが悪いのですワ。一週間も二週間も顔を見せずに、今日偶々(たまたま)入(いら)っしゃるのです者、静かに待っては居られません。」
 (蓮)イエサ、鶴は何うしました。
 (仙)鶴ですか。鶴は彼の木の陰で、編み物をして居ますよ。
と云う。

 口振を察するに、年は十八であるが、未だ至って児気(おぼこぎ)であって、心に濁りの無いことは、清(すめ)る水のようである。
 (蓮)では鶴の所へ行きましょう。
と言って、手を引き連れて樹の蔭に至ると、一台の長い腰掛があった。之に打ち寄って、編み物に余念も無い四十七、八になる非常に真面目な老女こそ、是れお仙を預かっている鶴女である。鶴女は足音に驚いて顔を上げ、

 「オヤ、先ア、嬢様のお早い事。何時の間にか阿母(おっか)さんをお見附成(なさ)って。」
と云いながら、お蓮に向かい、
 「能(よ)く入らっしゃいました。もう御出での時分と思い、日曜日から、今日か今日かとお待ち申しました。今度は色々変な事が有りましたので、早くお目に掛って、お話し申したいと存じまして。」
と半ば云い掛け、非常に心配そうな目で、お蓮を見上げると、お蓮も心に掛る事があるため、

 「私も実は大変な心配事が出来て。だがネ、茲(ここ)では話も出来無い、先ず家へ行きましょう。」
と言って三人一緒に鶴女の家に入って行った。

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