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美人の獄 (金櫻堂、今古堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ作   黒岩涙香、丸亭素人 共訳  トシ 口語訳

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美人の獄   黒岩涙香、丸亭素人  共訳

 
            第一回

 広く長い廊下の両側に、幾間とも数知れず戸を並べて列なる密房は、これ即ち、その名を聞くのさえも恐ろしい重罪人の牢屋である。一方の端から順を追って番号を付け、第一号の獄、第二号の獄と数によって名を区別している。その中の第二十一号と記してある獄は、その外側の有様は少しも外の獄と変わっていないが、厚い戸を一つ開いてその中を見る時は、唯涙が先立つのを覚える。

 この二十一号に籠込(とじこ)められている罪人は、是こそ「美人の獄」の本人である。英国幾千万の人の心に充(み)ち渡り、人の口に噂され、新聞紙に書き立てられ、代言人、弁護人に深く調査されている、今までに例の無い罪人梅林雪子夫人である。年は二十一歳と聞こえているが、その顔の美しいこと、その態度のあどけないことは、殆ど未だ十七、八と見受けられる。

 透き通るほどの白い色も、今は永く日を見ない為に、青ざめて艶(つや)を失い、溢(こぼ)れるばかりの愛嬌を湛(たた)えていた目許(めもと)も、悲しみに荒れ尽くしてその艶(あでや)かさを失っている。「海棠(かいどう)雨に苦しみ、芙蓉風に悩む。」と言ったら好いだろうか。アア憐れむべき梅林雪子夫人、牢屋の時計は午前十一時を報じていた。

 梅林夫人は、その音を数え終わり、
 「ヤッと未だ十一時、どうすれば早く月日が経ち、この・・・牢屋から出られるだろうか、家に居る時の事を思えば・・・、アア思ってもどうしようも無い事、唯一度広々とした所へ出て、清々とした風を吸い、晴れた日の光を拝み度い。それだけで、もう死んでも好い。

 何時も今頃は唱歌の本を持って庭に出て、アノ樹の蔭に腰を掛けてアノ歌を謡(うた)いながら、小鳥の囀(さえず)るのを聞いて居たのに、二足か三足歩めば直ぐにこの厚い壁。窓にしても背延びしても手が届かない。外は何の様な日が照って居るだろうか。この室(へや)ではとても辛抱が出来ない、と云っても出る事は出来ない。何故(なぜ)この様な・・・辛い目を見るのだろう。この上何の様にされる事か。真実もう・・・・。」
と云い掛けて深い息を発した。

 この時外から静かに戸を開いて、
 「コレ第二十一号の囚人よ、弁護人が面会に来ましたぞ。」
と物柔らかに伝えるのは、この獄に使われる牢女である。雪子は振り向いて、
 「有難う御座います。もう人の顔を見るのが何よりの楽しみで。独りこの牢の中に居ると、四方の壁に睨まれる様な気がします。」
 牢女は私(ひそか)に、
 「それは心が咎めるのだ。」
と呟いたが、口には出さず、又た静かに退くと、入れ替わりに弁護人が入って来た。

 この人、名を服部勤(はっとりつとむ)と云い、未だ年若い売り出し中の代言人《弁護士》で、前から雪子を知っている者である。雪子は悲しみの中にも未だ美人の様を失わず、あどけなく服部の顔を眺めて、
 「貴方は広々とした、日の晴れて居る所を通って来たのでしょうが、何の様な心持が致しましたか。」
 服部は非常に真面目に、
 「イヤ、この様な所に居れば日の光が恋しいのは最もですが、貴女の公判が愈々来る二十四日と定まりましたので、もうグズグズしては居られません。」

 雪子は唇頭(くちびる)までも忽(たちま)ちに色を失い、
 「オヤ、公判が・・・、私は聞くのさえ恐ろしくて、とてもその様な所へ出られません。エ、貴方、私が大勢の人の前へ出て、人殺しの裁判を受けるのですか。」
 服部「ハイ、爾(そう)です。お可愛相ですが、止むを得ません。併(しか)し裁判と云っても必ず罪を受けるとは限らず、随分放免の例も有りますので、今から力を落としては、了(いけ)ません。それですから、今日は弁護の内容を相談に参りましたが。」

 雪「でも貴方、私は罪を犯した覚えが無いのに。」
 服部「イヤ、覚えが無ければ猶更弁護をしなければ成りません。何所までも覚えが無いと云う証拠を立てなければ。」
 雪「この前貴方にお目に掛かったのは、新年宴会の夜会でしたが、アノ時貴方は、私が人などを殺して貴方に弁護を頼む様に成ろうと思いましたか。」
 服部「何(ど)してその様な事を、・・・アノ時の貴女の清い顔は、一座の人々を感嘆させました。実に社交界の女王と云っても恥ずかしく無いと、褒めない者は有りませんでした。」

 雪「その時の雪子も今の雪子も同じ事です。」
 弁護人は付き従って来た書記生から書類の包みを受け取りながら、
 服部「サア、その同じ雪子と云う事を言い開かなければ成らないのです。貴女は何か弁護イヤ言い開きの言葉が有るでしょう。」
 雪「ナニ言い開きが有りますものか。唯私は少しも覚えが無いと云う丈です。」
 服部「併しそれだけでは仕方が有りません。愈々(いよいよ)貴女で無いと云う事を言い開かなければ。」

 雪「でも貴方、全く私の知らない事ですもの。私は、虫一つ殺すのさえ嫌いな質(たち)で、他人と言い争った事も有りません。それが何(どう)して我が夫を殺しましょう。尤(もっと)も斯(こ)う云っても知らない人には、私の心が分からないかも知れませんが、それにしても第一夫を殺す筈が無いじゃ有りませんか。」
 服部「イヤ、世間では、貴方が夫を嫌って居たと申します。」
 雪「ハイ嫌って居た事は誠です。もう世の中に是ほど嫌いな人は無いと思って居ました。」

 服部「それに貴女は秋谷愛蘭氏を愛し、それが原因と為って夫を殺したと世間では言っています。」
 雪「それは全く偽りです。アノ秋谷愛蘭さんは、私の身の上を知り、可哀相だと云って親切にして呉れまして、私も有り難い人だと思い、外の人より取り分けて親しくはしましたが、唯それだけの事です。決してその外の事は有りません。」
と云いながら、美しい顔を上げ、一層の力を込めて、

 「服部さん、私は今年二十一歳に成りますけれど、未だ男を愛した事は有りません。愛の心を誰にも与えては居ません。ハイ全く愛情を知りません。」
と言い切る言葉に、偽りが有るとも思われないので、服部勤も、
 「さてはこの梅林雪子夫人は、秋谷愛蘭と云々。」
など世間に伝わっていることは誤りであるかと、この点だけは雪子の言葉を信じた。



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