巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

bijinnogoku12

美人の獄 (金櫻堂、今古堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ作   黒岩涙香、丸亭素人 共訳  トシ 口語訳

since 2015.9.17

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

美人の獄   黒岩涙香、丸亭素人 共訳 

            第十二回

 梅林雪子の裁判は6月26日の公判と定まって、今日は是れ23日である。公判は早や三日の内に迫った。雪子は独り未決檻の中に在り、弁護人服部勤に教えられた様に、神に祈るの外は為す事も無い。我が運を神に任せ、朝起きてから夜に入るまで、一人狭い部屋の片隅に俯(うつむ)いて、祈りの声を絶やさなかったが、祈るうちにも時々その心は迷い、我が身の上を考えて見ると、唯だ恐ろしさに迫られて、生きた心地もせず、泣き腫(は)らした両の瞼(まぶた)は、無量の悲しみを帯びたた上に冠(かぶ)さり、見るのさえ痛はしく、泣いては祈り、祈っては泣き、永い日を唯涙の中に送るばかり。

 今しも何か思い出す事が有ったと見え、蒼ざめた顔を上げて、
 「こう永く人の顔を見ずに居ては、世に捨てられた思いがする。世間ではもう、この雪子を捨てたのか。切めて一人でも慰めて呉れる人が有ればーーー弁護人はアレ切り顔も見せず、我が事を忘れたのでも有るまいけれどーーー。

 アノ親切な牢女でも来れば好いのにーーーー、もう夜食の時までは、来る事も有るまいがーーーー、来たとしても、大抵は忙しいから、親切に話しなどして呉れる時は、数度に一度ーーー。この様になって見ると、我が身に何の罪が有って、この様な苦しみを受けるのだろうか。一層生まれて来ない方が好かったのに。
 十三の歳から辛い思いをし尽くして、その上げ句が人殺しの罪人とは、余りに神さまも、見ていて下さらない仕打ち、アア祈っても届かないか。」

と独り繰言に果ても無い。この様な所へ静かに入口の戸を開いて、非常に陰気な顔を出したのは、是れ牢番の老女である。名前は何と呼ばれるのかは知らないが、多くの女囚に伯母さんとだけ呼ばれている。雪子はその顔を見て、嬉しさに我慢がならない様に、
 「アア好く来て下さった。私はもう一人で泣いてばかり居ましたがーーー。」

 牢女は憐れみの色を帯びて、雪子の傍に寄って来た。雪子は宛(あたか)も我が母を見る様に、その首にすがり附いた。
 女「悲しいのも尤(もっと)もだけれど、お前はもう公判の日取りも近くなるし、何か食べて身体を養って置かなければ了(いけ)ないよ。身体が弱いと、それに連れて心まで弱くなるから、見れば朝晩の弁当にも、手を附けて無い様だが。」

 雪「イエ、伯母さん、私はもう恐ろしくて、何も食べたく有りません。」
 女「イヤ、食べずに居ては、公判を受けるのは猶更(なおさら)辛くなる。欲しい物が有れば買って来て遣るから、遠慮なしに云うが好い。」
 雪「イエ、何も要りませんから、少しの間ここに居て下さい。貴女がここへ来てから、女で死刑に為った者が有りますか。私はそれが聞き度いと思いますワ。」

 女「そうだねエ、女で死刑と云うのは少ないが、でも十年の間に二人有りましたエ。」
 雪「その罪は何の様な事で。」
 女「一人は自分の産んだ赤ん坊を殺した罪で、死刑に成ったが。」

 雪子は思はず身震いして、
 「赤ん坊を殺して、先(ま)ア、その様な邪険な事を。」
 女「そう、余り邪険で事実だとも思われない程だけれど、それでも充分な証拠が有ったとやらで、英国第一の弁護人が弁護したけれど助からず。」
 雪「その女は恐れて居ましたか。私の様に。」
 女「アア恐れて居たよ。子を殺すのは恐ろしくない程の女でも、我が身が殺されるのは、恐ろしい者と見える。」

 雪「今一人は何(ど)うした女です。」
 女「今一人は毒を飲ませて人を殺したと云う罪で。」
 雪「エ、エ、毒を呑ませてーーー。その女は恐れて居ましたか。」
 女「アア恐れて居たともネ。」
 雪「矢張り弁護人が附きましたか。」
 女「弁護人は附いたけれど助からなかった。」

 雪「誰に毒を呑ませたのです。」
 女「初めは自分の伯母に呑ませ、次には父に呑ませ、その次には夫に呑ませたと言う事で。」
 雪「でも伯母さん、私ほど年の行かない女ではないでしょう。私は未だ二十一に足りませんよ。」

 女「そうだねえ、両方ともお前よりは年上で有ったが。」
 雪「私も夫に毒を呑ませた罪ですが、世間では私を罪人だと云いますけれど、全く私には罪が無いのです。決して覚えが有りません。それをこの様な牢などへ入れるとは、余りの事だと思います。」
と云いながら、声を放って泣き伏せた。

 牢女も雪子に罪無しと思うのか、
 「可哀相に。」
と呟(つぶや)きながら抱き起すと、雪子はまだ涙に咽(むせ)んだ声音(こわね)で、
 「私は是ほど恐ろしい事は知りません。今までは殺人と云う事は聞いても、人などを殺す様な邪険な世界とは、全く別の所に住んで居る様に思って居ましたのに、それが今は、我が身の事に成り、アア恐ろしい、何(どう)すれすれば好う御座いましょう。」

 女「罪が無いのに、間違って罰せられる様な事も無いだろうから、更にこの上とも、神様に祈るが好い。唯恐ろしいと言っても、及ばない事だ。」
とこの様に慰める折しも、牢を守る人の足音が聞こえて来たので、牢女は周章(あわて)て立ち、
 「今頃こうしてここへ来るのは、規則に背くのだけれど、余りにお前を可哀相に思うから逢いに来たのだ。アノ足音は番人だろう。見つかっては叱られるから、又折を見て来ましょうヨ。その様に泣かない方が好い。食べる物もたんと食べて身体を丈夫にして置くのが第一だ。」

と親切な言葉を残し、牢女は怱々(そこそこ)に立ち去った。後に雪子は又も泣き臥(ふ)すばかりだった。



次(第十三話)へ

a:165 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花