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美人の獄 (金櫻堂、今古堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ作   黒岩涙香、丸亭素人 共訳  トシ 口語訳

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美人の獄   黒岩涙香、丸亭素人 共訳 

            第十三回

 今日は是れ二十四日、公判は未だ二日の前に在る。二十一号の囚人は、今から四十八時間を出ずにその運命が定まるに違い無い。如何に定まるだろう。無罪として放免せらるとも雪子は元の雪子では無い。牢屋の汚れを身に纏(まとっ)たものとして、生涯人に斥けられ、今までの雪子はその夫と共に、パーテイーと言うパーティーへは悉(ことごと)く招かれて、社交界の女王とまでに立てられていたが、放免後の雪子は、唯一人世に捨てられ、友として頼む人も無く、空しく生涯を憂ひに沈めるに違い無い。

 況(ま)してや、放免を望むことは難しい。若し有罪と定まったなら、絞首台に上されるばかりか、後々までも恐ろしい毒婦の見せしめとして人の口端に掛かり、聞く人に身震いされるに違い無い。是を思い彼を思って、二十一号の囚人は、今日も朝から唯祈り、唯泣き、唯打ち鬱(ふさ)ぐばかり。

 昨日親切に食事を勧(すす)めて呉れた牢女は、如何しただろう。憐れな二十一号の囚人を忘れたのだろうか。牢女は、未だ忘れて居ないと見え、一個(ひとり)の面会人を案内して入って来た。アア二十一号の囚人に面会人、今まで世間に持て囃(はや)されていた雪子が、牢に下ってからは、全くこの世に忘れられたかと怪しまれるばかりで、誰一人訪(おとな)う人が無かったのに、今面会を求めるとは何人だろうか。

 見れば年若い紳士にして、美しと言うよりは男らしく、鼻高くして眼涼しく、眉の毛の秀でた、口許の締った、実に男子社会の一好男児である。牢女はこの人を後に残して退いた。雪子は面会人と聞いて飛び立ったが、又浅ましいこの有様を見られる辛さからか、我知らず両の手を顔に当てた。

 紳士も一目で早や非常に心を動かした様に、
 「貴女はーーー何うしてこの様な所にーーー。」
 雪「でも私の身は汚れて居ません。」
 紳士「素より汚れる筈が有りません。誰が貴女に罪が有るなどとーーー。」
 雪「ハイ、私の夫が指差しました。」

 紳士「梅林氏が指さしても貴女の清い事は分かって居ます。何で貴女が罪などを犯しましょう。私は梅林が死んだことよりも、貴女に指(さ)したアノ指が恐ろしいと思いました。今日は様々な手数を尽くし、貴女に一時間ばかり面会の許しを得て参りましたが、お目にかかれて何よりの幸いです。」
 雪「イエ、この御親切は忘れません。夫と懇意にして居た人も、誰一人来て呉れません。」

 紳士「イヤ、もうどちらも余りの事で、途方に呉れるばかりです。私も三度まで面会願いを却(しりぞ)けられましたけれど、お目に掛かからねば成らない事が有りますので。」
と言いながら、窓から射(さ)す薄明かりに透かし、雪子の顔を見て、余りの美しさに言葉さえも直ぐには続かず、浮世に在った頃から見れば、この様に窶(やつ)れた中に、又一層の趣きを添えた所があった。

 真実の美人は、悩むも苦しむも、泣くも笑うも、窶(やつ)れるも年取るも、美しくないと云うことは無い。雪子の様な人は、その類の美人と言うものだろう。
 雪「好くまあ尋ねて下さいました。冬村さん、貴方のお顔を見れば、貴方が外の方々と共に、死んでいく夫を抱き抱えて居らしった、その時の恐ろしい有様、恐ろしいアノ指が目に見えます。誰がアノ毒を呑ませたのでしょう。」

 この紳士は、当夜客と為って居合わせた一人、冬村凍烟(とういん)である。雪子は四人の客の中で、何と無く冬村を嫌っていたと言ったけれど、この様な場合に臨んでは、唯その親切に感謝ずるばかりである。
 冬「誰のした事ですか。それさえ分かれば、ナニも貴女にこの悲しみは掛けません。現在貴女で無い事は分かっても、本人が分からないので。」

 雪「ハイ私では有りません。誰でしょうか。実に不審で成ません。」
 冬「ハイ、私もこの事ばかり考えて居ますけれど、考える度に当夜の有様を思い出します。もうこの事は言いますまい。今日参ったのも全く外のお話です。それも、若し梅林安雅殿が未だ生きて居るならば、私は黙って居ますが、今は言い出しても罪に成りません。言わずに居る事は出来ません。」

 アア何事を言い出そうとするのだろう。雪子は唯その言葉を待つだけである。
 冬「貴女が牢の中に居らっしゃるのに、この様な事を言い出す場合では有りませんが、ハイ言い出すのは場所が違いますが、私には猶予が出来ません。場所柄を考えない者と何うかお咎めなさらない様に。」
 「何で私が咎めましょう。」

 冬村は顔に燃える様な光を現し、
 「私は貴女を愛します。私の心私の霊魂(たましい)は総て貴女を愛します。三年前に初めて貴女を見た時から、貴女は外の女と違い、私の為には命より貴いと思いました。その頃は貴女に夫が有り、私は唯心の中にその愛を圧付け(おしつ)けて居ました。貴女の為には何事も構いません。貴女が聞いてさえも恐ろしい、告訴を受け、牢の中に沈んで居るその悲しんでいる時をも忘れて、私はこの詞(ことば)を言いに来ました。」

 雪子はこの切なる言葉も、余り意外なことだったので、容易には理解出来ず、唯目を見開いて冬村を眺めながら、
 「私は人殺しの嫌疑を受け、この通り牢に繋(つな)がれ、明後日は事によっては、命までも無い身ですが。」
 冬「ハイ、貴女が困難に迫れば迫るほど、私の愛情は募ります。仮令(たと)え何の様な疑いを受けるにしろ、貴女がここに苦しんで居ると思えば、一刻も言わずには居られません。ハイ、黙って貴女の苦しみを見て居る事が出来ません。」

 雪「でも明日にも殺されるか知れぬ者を、その様に仰るのは、御冗談と思われます。」
 冬「何して冗談ーーー、貴女は最も心を励まさなければ成らない時です。世間の人が、皆貴女の罪を疑って居る間にも、真実貴女を愛し真実に貴女の清き事を信じ、貴女の為には火でも潜(くぐ)る者が有ると思えば、必ず心に励みが出ましょう。」

 雪「励みが、ハイそれは出ましょうが、出たとしても殺されるのは同じ事です。それに又、今まで貴方が私を愛するとは夢にも思いませんでした。その様な素振りもお見せ成らずに。」
 冬「ハイ、主ある者を愛しては成らないと、素振りは見せませんでしたが、片時も忘れる暇は有りませんでした。それに梅林安雅殿とは、一方ならない懇意の間である事ですので、若し今でも生きて居れば、生涯私は無言(だま)って居ます。我が愛を隠して死にます。今は貴方に友も無く身寄りも無く、広い世間に唯一人では有りませんか。私の愛に従い、私を唯一人の友とする事は出来ませんか。この愛が分かりませんか。」

 冬村の熱心な有様には、雪子も只管(ひたすら)に驚くばかり。
 「でも今まで貴方が、私を愛して居らしったとは思われません。」
 冬村「愛して居ない者が、何(ど)うしてこの牢へ尋ねて来ます。何うして貴女の前に拝みます。」
と又他事(よそごと)も無いこの有様、雪子は返事する言葉も知らず。
 「暫らくお待ちなさい。貴方のお言葉を心に落ち着け、篤(とく)と考えて見ますから。」
と言いながら目を閉じて考えていた。非常の時に非常の事、目を閉じて考えるのも無理は無い。



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