巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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美人の獄 (金櫻堂、今古堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ作   黒岩涙香、丸亭素人 共訳  トシ 口語訳

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美人の獄   黒岩涙香、丸亭素人  共訳

 
            第二回

 服部は暫らく無言で考えた末、
 「私はこの事件に就いて一寸書き留めて置いた所が有りますから、取り敢えずそれだけを貴女に読み聞かして、その上でご相談致すのが好かろうと思いますが。」
 雪「ハイ、私は自分ながらも心が入り乱れて、もう茫然として居ますから、何うぞ貴方は全くの他人に話す様に、この事の本末を詳しく私に話しては下さいませんか。私と思って遠慮せず、他人と思って容赦なしに・・・私は自分でも又他人の気に成って聞き度いと思います。」

 服部「アアそれが宜(よろ)しい。では新聞紙に書いて有るままを読んでお聞かせ申しましょう。併し中には貴女にお聞かせ申すのもお可哀相な所も有ります。それも貴女のお頼みですから有りのままに読みますので、幾重にもそのお積りで。」
 雪「ハイ、宜(よろ)しゅう御座います。」
 服部は包みの中から一枚の新聞紙を選り出し、
 「サア読みますよ。」
と言って、下の様に読み聞かせた。

 ○美人の獄  この事件に付き世間の評判は、今猶(なお)少しも衰えず。特に美しい梅林雪子嬢が、拘引せられてからは、誰一人この事件に目を注がない者はいない。しかしながら読者の中には、初めからの筋道を知らない方も有るでしょうから、ここにその概略を記すと、

 「五月二十五日火曜日の夜の事である。毒殺された本人梅林安雅(やすまさ)氏はこの夜、特に四名の親友を招き小宴を開いたが、晩餐の済んだ後、不意に病を発し暫時(ざんじ)にして死去した。直ちに医師を招き、及ぶだけの手当てを尽くしたが、その甲斐は無かった。居合わす人々の驚きは言う迄も無い。それのみならず、その来合わせた医師両名の診察では、全く譽石(よせき)と言う毒薬に中(あた)ったものとの事なので、一同の驚きは更に一層増した。

 この上に又一層の驚きと言うのは、安雅氏の若い妻、梅林雪子がこの事を聞き、その傍に入って来た時、安雅氏は、未だ苦しんで居たが、苦しみながらに起き上って妻に指差し、
 「手前が毒を盛ったのだ。穴の中の鼠の様に毒を飲まされて死ぬのだ。手前が俺(おれ)を殺すのだ。」
と叫んだ。居合わす人々は聞き兼ねて、制止しようとしたが、病人は更に声を上げ、

 「イエ全く妻目の仕業です。日頃私しを憎んで居たが、今日客座敷で私に珈琲を呑ませました。その中に毒薬が有ったのです。それを呑んでこの通り中(あ)てられました。」
と叫び立てた。
 傍に有る一人は、耳を蓋(おお)い、
 「この様な事を言われては、聞く者が気絶する。」
と言うと、医師の一人は人々を鎮(しず)めて、

 「イヤ、静かに成さい。何より先にその珈琲の・・・硝盃(コップ)の中を検査するのが肝腎です。」
と言い、人々と共に客座敷へ行くと、未だその硝盃(コップ)は、呑んだ時のまま、卓子(テーブル)の上に在ったので、中に残っていた珈琲を分析してみると、果たせるかな譽石(よせき)と言う毒薬が雑(まじ)っているのを見い出した。

 依って取り糺(ただ)すと、晩餐が済んだ後、主人梅林安雅は客仁と共に客座敷に入って居た。この時妻の雪子が珈琲を持って来て、一同の客に勧めたが、飲んだ人も有り飲まなかった人も有った。最後に雪子は手ずから一杯を酌んで来て、夫安雅氏に与えたが、安雅は之を呑み、間も無く苦しみ始めた。又雪子はこの様に珈琲を勧めて、直ちにその部屋を退き、夫の苦悩を聞くまでは、再び客の前へ出て来なかったと言う。

 又安雅氏は珈琲を呑んで、間も無く苦痛を発し、床に倒れて悶(もだ)え苦しみ、大声で救いを求めたので、一同で抱き起こし様々に介抱したけれど、更に苦痛を極めた末、終(つい)に亡き人と為ってしまった。その後で警官が直ちに出張し、厳重に家内を監視し、且つ梅林雪子夫人を拘引した上、隈なく捜索を行ったが、雪子の化粧箱に在る秘密の引き出しから、小袋に入った譽石(よせき)出て来た。この譽石は袋のままであったが、少しばかり取って使った跡があった。

 元来梅林夫婦はその仲和合せず、雪子は常に何とかして夫に別れ度いと言って居たそうだ。この事件は来たる六月を以って、公判に附せられる筈である。雪子の弁護は有名な弁護士服部勤(はっとりつとむ)氏が引き受けた。
 又中毒の夜に招かれて居合わせた客仁は、春田如雲、夏川中尉、秋谷愛蘭、冬村凍烟(とういん)の四氏であると言う。

 服部は読み終わって、
 「いずれの新聞も大概はこの通りですが、是では先ず貴女に不利益な点ばかりです。併し私の最も合点の行かないのは、何故に貴女は毒薬を持って居ました。」
 雪子はこの一言に青い顔を赤して、当惑気にその眼を垂れ、何の返事も無い。

 服部「第一番にこの毒薬を無くして仕舞えば好うございますのに。」
 雪「私は全く忘れて居ました。全く気が付かずに、ハイ全く譽石の有る事さえ忘れて居ました。」
 服部「併(しか)し何うも忘れるとは奇妙ですが。」
 雪「ダッテ貴方、忘れるのも無理は有りません。とりわけ夫が死に掛かって苦しんで居る時ですもの。それを無くする為に自分の部屋に走って行かれもせず・・・。」

 服部「でも是が最も重い証拠です。」
 雪子は唯この言葉に驚いて服部の心を探ろうとする様にその顔を眺めると、服部も又雪子の心を探ろうとする様に雪子の顔を眺めるのみ。互いに言葉も無く睨み合っていたが、雪子は服部の顔に我を疑う色ありと見て取ったのか、急に悲しい相を現し、

 「貴方はもう、私を罪の有る者とお認めになりましたか。」
 服部「イヤ好くお聞きなさい。お互いに他人同士の事で、元より未だ見認(みとめ)などは附く筈が有りません。唯貴方の顔を拝見した丈では、実に天津乙女(あまつおとめ)かと思われます。恐ろしい罪が有ろうとは何しても思えません。けれども・・・けれども・・・・私がこの様に貴女の弁護人と定まったからは、貴女はもう心に在る丈の事を残らず打ち明けて、私にお話しなさるのがお為です。隅から隅みまで知り尽くした上で無ければ、充分の弁護は出来ません。」

 この言葉で、又暫し睨み合ううち、雪子の顔は益々騒ぎ始めた。服部は再び口を開き、
 『弁護を商売にしています者は、医者や僧侶にも劣らぬほど人の心を知って居ますから、何の様な事を仰(おっしゃ)っても決して驚くの、呆(あき)れるのと言う事は有りません。仮令(たと)え言い難(にく)い様な事でも、思い切って仰(おっしゃ)る事が第一のお為です。エ、貴女。」

 雪子は一層当惑げに、地に入るばかりにその首を垂れ込んだので、親切なこの弁護人は、憐れみの情に我慢ができず、充分に言葉を柔(やわら)げ、
 「仮に先ず、貴女が嫉妬とか立腹とか、言うに言われない事情が有って、一時の迷いから、我知れず珈琲の中へ譽石(よせき)を入れたものとこう看做(みな)しましょう。爾(そう)とした所で成るほど仰(おっしゃ)りにくいのは尤(もっと)もです。ハイ尤もです。尤もでは有りますけれど、それでも弁護人に話して悪い事は有りません。弁護人は生涯決して他言はしませんから。」

 雪子は漸(ようや)く口を開き、
 「ですが今までの所で、貴方は私を何の様に思って居らっしゃるかそれを先に伺い度いと思います。
 「ハイ、只今も言った通り、唯貴女の様子を見た丈では、実に天津乙女《天女》よりも清浄と思います。けれども又ご様子を見ずに新聞紙ばかり読めば・・・そうですね、何うしても・・・残念千万な事と思います。併し弁護人は、隅から隅まで落ちも無く見通して、真実の所を知るのが仕事です。決して一方だけを見て判断は下しません。」

 雪子は初めてこの人ならばと安心したのか、顔色が解けて来て、麗しい眼に再び光を現した。この様な眼、この様な目元で何うして偽りを隠すことが出来るだろう。
 雪「私は全く真実の事を申しましょう。貴方が真実と思はないかも知りませんけれど、服部さん、私は決してこの罪を犯していません。何うしてアノ硝盃(コップ)の中に譽石が入って居たのか、それさえも知りません。ハイ決して私では有りません。」

と言うその言葉の清らかなる事、その顔の爽(さわ)やかなること、その声の麗しいことは、実に天津乙女である。露ほども偽りが有りとは思われない。服部は唯聞きながら、その言葉が我が魂魄(たましい)を突き通すかと怪しむ程である。雪子は更に言い続けて、

 「私は是以上の真実(まこと)を言う事は出来ません。聞く人が真実としなければ、私は天に訴えます。ハイ私は全くこの罪を犯しません。」
 今は服部も信じないわけには行かない。宛(あたか)も心の重荷を卸(おろ)した様に発(ほ)っと一息吐きながら、
 「ハイ私は是で貴女を信じます。貴女がこの罪を犯さない事は決して最う疑いません。」

 雪子の顔は初めて晴れ渡った。
 「ではもう私を弁護する事が出来ましょう。私を疑って居らっしゃる間は、とても弁護は出来ないでしょうが。」
 服部「イヤ疑うとも附かず、疑わないとも附かず、唯あやふやで居たのです。併しこの様に堅く信じる事に成れば、真底から熱心が出て来ますから。」
 雪「私もその様に信じて下さる方には知って居る丈の事を残らず話します。」
 服部「では新聞紙に在る事柄を、間違いの無い者と認めて好う御座いましょうか。」

 雪「大抵は間違い有りません、四人の客仁の名前もアノ通りです。それに未だ、アノ小宴の事も、夫安雅が初めに五月二十五日の火曜日にすると言うのを私が二十七日の水曜日に延ばす方が好いでしょうと言いましたけれど、安雅は聞き入れず、言い出した通り二十五日としたのです。又四人の客の内で世間の人が私と唯ならぬ仲だなどと言う秋谷愛蘭さんは、私が縁附いて来た時からの知り合いで、その後絶えず親切にして呉れる人です。春田如雲さんは夫の古い友達で、夏川中尉は詳しくは知りませんが、常に歌牌(かるた)を弄(もてあそ)び、酒を好む方で、夫の為には宜(よ)い友達とも思われません。」

と是まで言って、何と無く躊躇う(ためら)う様子が見えるので、服部は待ち兼ねて、
 「それから冬村凍烟(とういん)と言う人は、」
 雪「アノ方は、私は好みません。何うも嫌いです。」
 服部「とは又何う言う訳で。」
 雪「その訳は少しもこの事件に関係の無い事ですから、話しするに及びません。・・・・」

注:譽石(ヨセキ)・・・砒素のこと



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