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bijinnogoku30

美人の獄 (金櫻堂、今古堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ作   黒岩涙香、丸亭素人 共訳  トシ 口語訳

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美人の獄   黒岩涙香、丸亭素人 共訳 

        第三十回

 丹助「だが元々私は君に話す積もりでは無かったんだ。中々金目な話だもの、畢竟(どう)せ貰うには決まって居るが、併し迂(う)っかりは話せ無い。アア、梅林雪子の身の上話しは、私にとってこの上も無い金庫(かねぐら)だ。何様(どん)な贅沢でも出来るんだ。」
と丹助の酔い崩れた容姿(ようす)に毒を含んだ目の中は、一寸見ても身震いするほど不吉な感じがしたので、伯爵もこの有様を見て、丹助の悪性なることを見抜いた。

 嗚呼丹助は実に恐るべき秘事を知っている。丹助が酔い狂っているのは、皮相(うわべ)の装いで、心の中は少しも酔っては居ないに違い無いとは、伯爵が自分の心で鑑定した所である。しかしながら、若し丹助が本当に酔っていないなら、秘事は飽くまで内心に蓄い込んで、容易に口外する筈は無い。

 酔って前後も弁(わきま)えないからこそ、うかうかと伯爵に饒舌(しゃべ)ったのだ。秘事は容易に口外しないので値価(ねうち)が有るものである。若し其の秘事が、蟻子の身の上に掛かる大切な事ならば、丹助がそれを蟻子に持ち込まずに、伯爵に持ち込む理由は無い。殊更酔い狂って玄関に倒れこむ道理もない。そう考えると丹助の秘事は、きっと蟻子の身の上に掛かることではないに違い無いとは、又仔細を知らない有田伯が、内心で推察した所である。

 それ故有田伯は、蟻子を疑う心は露ほども無いけれども、丹助が強請(ゆすり)の種子として頻りに呼び立てる梅林雪子とは、容易ならない人名であることは知って居る。雪子が七、八年前に在って、蘇蘭(スコットランド)の大疑獄と成り、一時欧羅巴の人心を動かすに至った懼(おそ)ろしい重罪事件の被告人であったことは、有田伯の記憶する所で、猶更当時有田伯は雪子を真実の罪人であるとまで鑑定し、世に怖ろしい夫人も有るものかなと、心に嫌った程なので、忘れ難い人名である。

 それを今丹助がその名を呼ばわって、蟻子を強請(ゆす)り、蟻子も常に無く之を恐れる有様は、幾等か有田伯も心に戸惑って、判断のし難い事であった。それより伯爵は蟻子と結婚して以来(このかた)、唯蟻子が世にも珍しい美人で、素性は至極順良であると言うことを知るだけで、蟻子が如何なる血統(ちすじ)から生まれ来たのかは、未だ一度(ひとたび)も聞いたことが無かったので、若しや梅林雪子が蟻子の親族か、そうで無ければ、親しい朋友(ともだち)ででも有ったのでは無いだろうかとは、又伯爵が薄々想像する所で、兎にも角にも丹助を一室に通して、その物語を聞き取ろうと、伯爵は丹助を誘い、玄関から間近い小座敷に連れ込むと、勝ち誇り気な丹助は、諸手を組み、片頬に笑みを含んで、非常に傲慢に見受けられた。

 やがて伯爵は丹助に向かい、
 伯「コレ、丹助、その方が秘密の事と言うのは何の事だか私に詳しく聞かせてくれ。又その方が貰うと言う金高は幾等だか、それも云え。」
 丹助は身を反(そ)らしながら、
 丹「エエ、私が貰う金高は此様(こう)だ。一年に二千円から四千円までの間で、私の一生涯貰うと言うので・・・。夫人(おく)さんも二千円位は呉れそうな顔付きだった。」

 伯爵はその豪欲と夫人(おく)と言う言葉を聞き咎めたけれども、態(わざ)と平気に装って、
 伯「フム、それはそれとして・・・・、ソコデその秘密な事と言うのワ・・・・・ナンダ。」
と急いで問うと、流石に丹助も顔を外向(そむ)け、
 丹「サー、その秘密は・・・・此様(こう)です。梅林雪子と言う婦人が死んだと言うのは丸の嘘で、今でも生きてピンピンして居る・・・・・。ソ、君の夫人が即ち左様(そう)だ。」
と聞いて、有田伯は余りの意外に驚き、且つ怒って顔色を変え、

 伯「馬鹿な事を言え、無礼千万な左様な事が有るものか。その方は気違いだ。もう宜(よろ)しい。その方には構わぬ・・・・。梅林雪子とは、夫に毒を呑ませた大罪人だ。私の妻は、左様な不埒なものでは無い。」
と伯爵はツと立ち上がりながら目を怒らし、拳を固めて丹助に近寄ると、丹助もその勢いに呑まれてややその身を退け、

 丹「君、貴方、怒(おこ)っちゃ宜(い)けません。殴ってはいけませんよ。私は嘘は決して言いません。本当の事です。嘘と思ったら服部勤を呼んでお聞きなさい。何で此様(こん)な事に嘘を言って来られるものですか。本当の事です・・・・。詳しく話すから聞いて御覧なさい。実は・・・・・云々(しかじか)と丹助が服部勤の書記だった時、雪子を屡々(しばしば)獄中に見舞った事から、公判の事、又雪子が安部丸子嬢と変名して米国へ渡る途中で汽船が沈んで溺死したと世の人が信じたことから、近頃新盂街(ニューボン)で図らずも死んだと思っていた雪子に出逢い、直ちに手紙を送って公園に誘い出し、吾が色情を遂げることが出来なかった為に、遂に金を強請(ゆす)った事まで落ちも無く物語ったが、伯爵は未だこれをを信用せず、

 伯「その方は愈々(いよいよ)人を馬鹿にする奴だ。辛抱して聞いて居れば、勝手な事を言い立てて、人を偽(いつわ)る不届き者め、その方が言う事が果たして真実の事で有れば、今晩この邸へ暴れ込む必要が無い筈だ。一週間経って金を貰う約束が有るのに、妄(みだり)りに人の家を騒がせる理屈がない。言う事が皆前後(あとさき)矛盾して居る。その方は気違いに相違ない。」

 丹助「イヤ、今日出掛けて来たのは、私の勢許(せいばか)りでは無い。全く酒の為だ。私は平常(ふだん)からブランデーが極く好きで、飲み度(た)い、飲み度いと思って居たが、金が無くて辛抱して居たのに、今日少し金を手に入れたから、思う存分に飲んだ所で、サー堪(たま)らない、平常(ふだん)から忘れられない雪子のことを思い出して、顔が見たさに入り込んだが、玄関番の奴等が四の五のと言って聞かないから、ツイ此様(こん)な見世物と成った次第です。嘘は言わんが過ちは有っただろう。そこはお侘び申します。ダガ決して今の事には嘘は無い。どうしても貴方が嘘だと言うなら、夫人(おく)さんをチョット此処(ここ)へお呼び成さい。直ぐに分かるから。四、五分間ほど。」

と伯爵と丹助が嘘だ真(まこと)だと頻(しき)りに言い合って居る央(なか)へ、蟻子夫人は力無げに入って来た。之を見ると丹助は勢い込んで飛び掛かり、
 丹「ヤー、雪子さん。」
と夫人の首に手を掛けようとするので、伯爵は遽(あわただ)しく両手を延ばし、片手は夫人を抱き。片手は近寄ろうとする丹助の胸先を推(お)して之を退けた。



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