巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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美人の獄 (金櫻堂、今古堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ作   黒岩涙香、丸亭素人 共訳  トシ 口語訳

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美人の獄   黒岩涙香、丸亭素人 共訳 

            第三十四回

 蟻子が急に倒れたのは、病客の物語を聞き、遠くその心に思い起こす事が有って、驚いたからである。転寝(うたたね)の夢ではないかとも思ったのに違い無い。更に語り出すだろう病客の語(ことば)を聞けば、蟻子が驚いた事の原因(もと)を知る事ができるだろう。やがて病客は語を継ぎ、

 病「それが私を悪事に導いた大原因(おおもと)です。私はその婦・・・婦人の顔が見たい許(ばか)りで、朝に行き、バ・・・・晩に行き、外の事は一切打ち捨てて仕舞ったのです。ウ・・・・陽(うわべ)では唯その婦人の夫と交際が親密なので、シ・・・・繁々(しげしげ)通う様に見せ・・・・掛けたけれども、私の内心では、肝心な友達の方は、何うでも構わない考えで・・・・、

恋しい婦人と睦まじく話を為(し)たり、マ・・・・又は遊び戯れるのが楽しみで・・・・段々日を経るに従って、ワ・・・・私の情欲が・・・ツ・・・・募って来て、或る日、人の居なかったのを幸いに、ソ・・・・その婦人の袂(たもと)を引っ張って、私の意中を話そうと為(し)たけれど、ソ・・・・その時婦人は強(ひど)く憤(いきどお)って、私を諭(さと)し注意したことが、ホ・・・・骨身に透るほどに感じました・・・・。

 そう成って来ると・・・・私の情欲は益・・・・益々烈しく成りまして・・・・ア・・・・アア、あの婦人に夫と言う邪魔者がア・・・・有るからこそ私の・・・・私の思いが果たされないのだと恨み出して、ソ・・・・それから後は、日一日とその夫である私の友人が憎く成って、我慢が出来なく成りました。アア思えば私の心の迷で有りました。

 寧(いっそ)の事、キャ・・・・彼奴(きゃつ)を殺したらば婦人は私(わし)の自由に成るだろうと考えたのが、ソ・・・・抑(そもそ)も悪事を目論んだ・・・・発端で有ります。併しその殺す手段に就(つ)いて私は非常にク・・・・苦心を致しました。
 一度は短銃で密(そ)っとウ・・・射ち殺して遣ろうかとも考えたが、イヤイヤ短銃は音が烈しい。若し人に聞き付けられては一大事だ。

 それよりか寧ろ短刀で、彼奴の胸を刺し殺した方が穏やかだろうと思い、・・・・思い直して見たが、それも宜(い)けない。キャ・・・・彼奴(きゃつ)としても、決して唯殺される気遣いは無いゾ。・・・・何(ど)れも跳ね廻るから、是非私と一時は戦わなければ成らない。非常に騒がしく成るから・・・・得策では無い。

 アア・・・・何か善い手段は無いだろうかと頭を痛めて・・・・・考えましたが、フ・・・・不図思い付いたのが毒薬の事で、ウ・・・・甘(ウマ)ーく之を飲ませりゃ、音もせず騒ぎも無く殺せるから、これがダ・・・・第一番の良策だと決心しました。・・・・けれどもこの土地でその毒薬を買ったらば、若しや発覚の手掛かりに成りやしないだろうかとキ・・・・気遣って、態々(わざわざ)蘇蘭(スコットランド)からこの龍動(ロンドン)まで買いに来ました。

 ソ・・・・その毒薬の譽石(よせき)を・・・・その後は衣嚢(かくし)《ポケット》に入れて置いて、唯善い機会を狙って居ましたが。」
と病人は重い頭(かしら)を少しく横に向けて、四方をジロリと見廻したので、聖僧と医師は、その枕辺に座を占め、瞬きも為(せ)ずに、その顔を見詰め、蟻子は片隅に頭を垂れて物語を聞くことに余念がないので、病人は少し息を休めて、再び語を重ね、

 病「丁度三月のことでありました、その・・・・その婦人の宅で友人が四、五名集まって、夜会を催した事が有ります。私が罪を犯したのは、正しくその晩の事で・・・・・、夜会が終わって、私が恋慕う婦人が、皆へ珈琲を注いで出しまして、今一つ空の硝盃(コップ)が卓子(テーブル)の上に残って居ました・・・・。

 必ず婦人はそれに珈琲を注いで、自分の夫に与えるのだろうと考えたから、人の気付かないように、衣嚢(かくし)から譽石を取り出して・・・・密(そっ)とその虚(から)の硝盃(コップ)へ入れましたが、案に違わず、婦人は毒の有る事も心付かずに、珈琲を注ぎ、夫の前に置いて、自分の居間へ入りました。

 ・・・・やがてその硝盃(コップ)を手に取って、譽石の混じった珈琲を飲みましたのが、ナ・・・・何を隠しましょう、梅林安雅と言う私の親友です。・・・・飲むや否やアッと叫びながら仰向けに倒れ、血を吐いてそのまま其処(そこ)で死にましたが、ソ・・・・その時誰一人私を疑う者は有りません。唯ーーー、唯可哀相だったのが妻の雪子です。私が恋慕う雪子で有りました。・・・・・でした。

 罪も科(とが)も無いものを・・・・・唯平常(ふだん)夫婦の間が睦まじく無かったので、運悪く化粧箱の引き出しから譽石が出・・・・・出たのとが証拠と成って、公判にまで廻され、甘(うま)く刑は免がれれたものの、ソ・・・・・その恥辱(はずかし)さの余りに、土地に居られなくなり、名前を変えて、米国に渡る時、フ・・・・船が沈没して死にました。・・・・・夫殺しの汚名を雪(そそ)ぐ暇も無くて死にました。

 仮令(たとえ)私が・・・・・私の手を下して殺しませんでも、私のせいで婦人も死することと成りましたので、コ・・・・この私は梅林夫婦を殺したのも同然で・・・・・この上も無い大罪人です。・・・・責めて私が今死に臨んで、この罪状を懺悔致し、汚名を蒙(こうむ)って死んだ、・・・・雪子の潔白を世に示さなければ、私は人・・・・人間では御座いません。この冬村凍烟(とういん)は畜生に劣ります。・・・・・ドウゾ貴方等(がた)は、この様にお聞き取り下された上は、一時も早く各地の・・・・・新聞、雑誌に投書して、雪子の無罪潔白を、世の中へ知らして下さいませ。」

と雪子は今だ生存して、間近く自分の側(かた)えに在り、自分の病気看護をしている蟻子であることを悟らず、瘦せ落ちた目の裡(うち)に涙を浮かべ、誠の色を顔に現わして、その罪科(とが)を懺悔する冬村凍烟は、話が終って死に果てた。

 嗚呼一時欧州の人心をさえ激発した、梅林安雅毒殺の下手人は不幸な美人雪子に非(あら)ずして、雪子を慕っていた安雅の親友、冬村凍烟であったことは、今に至って明白となった。嗚呼、世に美人を妻とした者には不幸が多い。安雅は妻故に親友の為に毒殺せられた。

 嗚呼世に美人として来る者は薄命である。雪子は自分を慕った冬村の為に、死に勝(まさ)る苦難(くる)しみを受けた。その不幸は哀しいものだった。その薄命は憐れであった。
 古人が言った言葉に、
 「人が将(まさ)に死のうとする時に話す言葉は真実の事だ。」
とは、今のこれ等の場合を指しているのに違い無い。

 この時、蟻子に数年その身に付き纏(まと)っていた汚名が取り除かれて、一点の穢(けが)れをも残さず、清浄潔白の身と成ったので、その喜びと嬉しさとに涙を流すために、聖僧の袂(たもと)に縋(すが)り、少しの間は言葉も発しなかった。



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