巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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美人の獄 (金櫻堂、今古堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ作   黒岩涙香、丸亭素人 共訳  トシ 口語訳

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美人の獄   黒岩涙香、丸亭素人  共訳

 

            第四回

 服部は雪子の美しい唇頭(くちびる)より出て来るこの言葉を一句も洩らさず聞き取って、猶(な)お暫(しば)らく考えていたが、溜息と共に言葉を開き、
 「フム、実に分からない、その通り詳しく承(うけたまわ)っても未だ何うも分かりません。」

 雪子も自ずから嘆息しながら、
 「でもこの外に言う事は有りません。自分で幾等考えても、私からして少しも合点が行きませんもの。」
 服部「誰か世の中に、梅林安雅氏を殺して、利益を得る者が有りましょうか。」

 雪「何うも有り相には見えません。安雅は富豪の身分ですけれど、別に親類と言っても有りませんので、婚礼して左程月日の経たないうちに、早や遺言状を記(したた)めて、死んだ時は一切の財産を悉(ことごと)く私に呉れると言う事に定めました。」
 服部「そうすれば、梅林氏の死んだ為に利益を得るのは、唯貴女一人ですね。貴女は第一に財産を得、又一身の自由を得ますから。」

 雪「爾(そう)ですけれども、夫は随分心の広い男で、今までもう財産は私の思うがままにさせて有りました。夫を殺さなくてもその財産は、私の物も同様です。又夫を殺せば、私が一身の自由を得るには違い有りません。併し、私は幾等夫を憎み、幾等独身に成り度いと云ったところで、夫を殺してまで独身に成ろうとは思いません。仮令(たとい)この上更に十倍も二十倍も夫を憎いと思うにしても、それでも私は夫の髪の毛一本傷付けようとは思いません。」

 服部「併し貴女で無ければ他人の仕業。それも梅林氏を殺して貴女より外に、財産を得る者が無いとして見れば、是は財産の為では無く、差し当たり先ず貴女を愛する者の仕業と思うより外に致し方有りません。」
 雪「幾等私を愛するにしても、私の心を察し、私に成り代って安雅を殺すと言う、その様な人は決して有りません。有ろう筈が無いでは有りませんか。」

 服部「イヤ、貴女の心を察してと言う訳では有りません。この様な事を申すのは、甚だ失礼ですけれど、若し人知れず貴女を愛し、夫の有るのを邪魔に思い、煩悩に堪え兼ねて毒殺を企謀(たくら)むと言う様な人は有りませんか。男と言う者は、この様な事に掛けては全く平生の心が乱れる者で、特に貴女は誰が見ても心を動かすほどお美しく居らっしゃるし、若しやこの様な人が有るとは思いませんか。」

 雪「イヤ、そんな人は有りません。私は先刻お話申しました通り、初めから少しも夫を愛しませんけれど、それだからかと言って、危害を加えるような人に愛情を許す様な、我が身を辱める事は致しません。私はこの年に成って、未だ男を愛すると言う事を知りません。天が私には未だ愛の情を授けないと思われます。」

 服部「イヤそうでも有りましょうが、誰か貴女を愛して居る人は有りませんか。」
 雪「有りません。秋谷愛蘭さんは親切にして呉れますけれど、唯親切だけの事。アノ方は誰にでも親切で、愛情の為で無い事は侍婢(こしもと)を初め誰でも好く知っています。」

 服部「ハテナ益々分かりません。若しや梅林氏は誰かに恨まれて居る事は有りませんか。」
 雪「梅林を恨んで居たのは先ず私位の者でしょうが、当夜の客は申すに及ばず、梅林は他人と言争いをしたこと有りませず、それに恨みを受ける筈も有りません。」

 ここに至って服部は、顔の色がやや青ざめるほど真面目に成り、雪子の顔を眺めながら考えて居たが、重々しげに口を開き、
 服部「未だ一つ充分貴女に問わなければ成らない事柄が有ります。それは即ち貴女の化粧箱に在ったと言う毒薬の事です。これがこの事件に就(つ)いて一番大切な所ですから、之を立派に説明しなければ、貴女の言い開きが立ちません。全体貴女がその毒薬を自分で化粧箱の引出しへ入れて置きましたか。」

 雪子は少し当惑の様子であったが、
 「ハイ、私が入れて置きました。」
 服部「貴女は自分で買って来ましたか。」
 雪「ハイ、自分で薬種屋へ行き、買い入れて参りました。」
 服部「素(もと)より犯罪の為ではないでしょうが、何の目的でお買いに成りましたか。」
 雪子は宛(あたか)も少女の様にその顔を耳まで紅(あか)め、
  「ハイ、決して犯罪などと、その様な恐ろしい目的では有りません。」
 服部「それなら何う言う目的で。」

 雪子は更に恥じらいながら、
 「是ばかりは問はずに、何うかお見逃しを願います。外の事なら何なりと言いますが、是ばかりは恥ずかしくて・・・・・。」
と言いながら口籠(くちごも)るのは何故だろう。我が身の為に危ういので言う事が出来ないとならば分かるが、恥ずかしくして言う事が出来ないとは、如何なる理由だ。怪しむべき限りだ。服部は猶(な)おも雪子の顔を眺め、

 「ナニお恥ずかしい事は有りません。是を言わなければ助からない次第ですから。」
 雪子は猶(なお)も猶予(ためら)った末、
 「成る程、この譽石(よせき)が私の逃れられない証拠と為るのですね。私が夫を殺す為に、前もって買い入れて置いたなどと世の人は言うのですね。」
 服部「全く爾(そう)です。」

 雪「私は夫の死んだ時、夢にも爾(そう)は思いませんでした。若し思ったなら、充分に火に投(く)べ、焼いて仕舞う暇も有りましたのに。」
 服部「それを焼かずに置いたのは、貴女の大の手落ちです。」
 雪「でも私は譽石の有る事を忘れて居た上、又この譽石が証拠になるだろうなどとは、夢にも思いもせずに居ました。」
 服部「それは全くそうでしょうが、何しろ今と成っては、何うしてもこの証拠を、言い開かなければ成りません。」

 雪「ですが世間の人も大概分かり相な者じゃ有りませんか。若し私の腹の中に、夫を毒殺する心が有れば、決してアノ様な小宴の席などを選びません。平生人の知らない所に、その機会が幾等も有ります。それに物の本など読みまするに、毒殺などをする人は、必ず非常に難しい薬を選び、医者の目にも分からない様に、少し宛(づつ)、気長く殺す様に書いて有ります。譽石は極々(ごくごく)乱暴な薬です。私共が用いる筈は有りません。必ず是は極々へたな人のした事と思われます。それなのに、世間の人は、何故何時までも私を疑うのですか。余(あんま)り執念深いと言う者じゃ有りませんか。」

 この清い言葉に、服部は感心して雪子の顔を見上げた。服部も前から毒薬に目を附け、女がその夫を殺すのに、譽石の様な乱暴な薬を用いるのを怪しみ、それに又最も露見し易い小宴の夜を選ぶのも不思議だと、この様に疑いを起こしていた折柄、雪子の真心から発する言葉を聞き、我が弁護する議論の上に、幾分の力を添えたのを喜んだ。それにしても、雪子が何故に譽石を買い入れたのか、是の問いを突き詰めずには置けない。

 服部「如何にもそれは仰(おっしゃ)る通りです。併しそれだけでは未だ分かりません。ナニも恐れる事も恥じる事も有りませんから、貴女は真っ直ぐに誠の事を仰るのが肝心ですね。貴女、何故に譽石を買い入れましたか。」
 雪子は殆ど可哀相に見えるまでに、当惑の様子を現し、その顔に紅の潮を込み上げて来て、

 「言わば自分の愚かさからで御座いますが、実に言い難い事柄で・・・。」
 服部「イヤ随分何の悪気も無くてした事で、却(かえ)って他人には話し難いと言う様な場合も有る者です。併しこの事件では、この毒薬が要(かなめ)に成って居ますので、何しても言わない訳には行きません。」
 雪子は未だ恥じらっていて、俯(うつむ)いていたが、ややあって漸く決心した様に、その顔を揚げて来て、

 「イヤ、思い切って申しましょう。お恥ずかしい事ながら、私は他人から顔の色艶が好いの、木目が細かいのと言われるのが嬉しくて、何うかこの色艶を更に一層美しく、その上何時までも変わらない様に仕度(した)いものと、こう思って居ました所へ、古い化粧雑誌を読みますと、譽石を少しづつ水に混ぜ、毎朝之で顔を洗えばそれほど効き目の有る者は無いと、詳しく訳を解いて載って有りましたので、ツイその気に成って買って来ましたが、翌朝水に解かして見ると、何と無く恐ろしくて洗う気に成りませんから、この様な事をする者では無いと思い直して、化粧箱へ仕舞い込み、そのまま忘れた様に成って居ました。全く是だけの仔細です。是が真っ直ぐな誠(まこと)です。」

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