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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.12.28

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武士道上編 一名「秘密袋」          涙香小史 訳

               第十一回

 縄村砲兵中尉の差し出だす守袋を小桜露人(つゆんど)は怪しそうに眺めた末、
 「私には少しも見覚え無く、又其の仔細も分かりませんが。」
と疑い問うのに、縄村は詳しく説き明かそうと、
 「イヤ、この軍からグランビル市へ間道偵察に遣(や)った少女が有りましょう。先刻日の暮れる前、私は海岸の防御を巡検して、今しも其の少女が偵察している所に出合ったのです。」

 是だけ聞いて小桜は愕然とし、
 「エ、エ、それでは弥生は貴方の手に捕らわれましたか。」
 縄「アア、あの少女は名を弥生と云ふのですか。成る程名の通り美しい女でしたが、ナニ、ご心配には及びません。捕らわれずに無事此の軍へ帰りました。」
と言って弥生が此の守袋を投げ捨てる所を見た事から、之を返さんとしたが受け取らずに崖を飛び降りた事、後より兵卒が弥生を射殺そうとしたが其の狙いは違いて、第二発目は中尉自ら遮り留め、其れが為に敵へ内通の疑いをさへ受けることのなった事まで、掻い摘んで物語ると、

 小桜は唯だ、
 「左様の次第なら、私が預かり置き、確かに当人へ渡しましょう。」
と言って初めて秘密袋を受け取ったが、まだ合点の行かない所も多く、今まで弥生が子の様な品物を持っていなかった事は明らかなので、如何にして手に入れたのか、又縄村が云う所、果たして悉く真実なのか、或いは故意に私に押し隠し、其れとは明らかにしない事が有るのでは無いかなど、我にも無く疑ひを起し、暫し四辺の有様を打ち忘れる迄に考へ込んだ。

 縄村中尉は是で我が用事は終わったと、自分を守っている三人の銃兵に自ら号令を発し、此の仮営の背後を流れるボース河の土堤の陰に立ち、茲(ここ)ならば自ら己を死刑に処するに好しと、両手を背後に縛られたまま直立し、兵卒三人を僅(わず)かに二間(3.6m)離れた所に置き、先ず筒先を揃えて己を狙わせ、イザや死なんと口に、
 「共和国万歳」
を三度大呼し、
 「サア射よ。」
と将に最後の号令を発せんとすると、此方の小桜露人は、
 「万歳」
の声が耳に入って初めて我に返り、慌ただしく立ち出で来て、
 「イヤ、貴方に唯一事、聞いて置く事が有ります。貴方の姓名をば。」
と云う。

 中尉は凛然(りんぜん)として、
 「イヤ、私は名の為に死ぬのでは有りません。唯共和国の武人は名の無い者まで武人らしく死んで行くと云ふ事を自称勤王軍へ見せて遣(や)れば宜(よ)いのです。」
と云う。

 小桜は益々感じ、
 「イヤ貴方の心は爾(そう)で有ろうが、姓名をも聞かずに勇士を殺すのは勤王軍の本位で有りません。」
 この様に云う折りしも中尉が後に残した部下兵卒の発射する弾丸に違いないが、一発遠く此の所に飛んで来て、二人の間を掠(かす)めて去るのに、小桜は異様な笑みを浮かべ、

 「イヤこう言う中にも私自ら共和兵の丸(たま)に当たり何時仆(たお)れるかも知れません。之を決別(わかれ)の言葉として互いに姓名を名乗りましょう。私は半年前に勤王の為に戦死した小桜伯爵の一子、今は伯爵を継ぐ小桜露人と云う者です。」

 縄村も仕方無く、
 「では、私も名乗りましょう。共和国陸軍砲兵中尉縄村猛夫と云う者です。」
 聞き覚えの有る名なので、小桜は忽ち眉を顰(ひそ)め、
 「エ、縄村、では数十年前義勇艦隊海王号の艦長として武勇の名を残した縄村大尉の後裔ででも有りますか。」

 縄「海王号の艦長は私の祖父に当たります。」
 小桜は口の中にて、
 「実に奇遇だ。」
と呟(つぶや)きながら、忽(たちま)ち兵士に銃を卸(おろ)させ、
 「縄村中尉を、イヤ此の捕虜を射ては成らない。追って俺が大将軍と協議し、相当の処分を言い渡すから、其れまで丁寧に保監せよ。」
と命じた。縄村は怒る声で、

 「之は怪しからん。名を聞いた上で私に対する処分を変ずるとは不法です。その様な事なら決して名乗る所では無かったのだ。」
と厳しく責めたが仕方が無い。その身は既に三人に引き立てられ、仮営の横手の道を何処かへか連れ去られた。

 後に小桜露人は元の席に立ち返ったが、まだ彼の守袋の事が非常に気に掛り、忘れようとして忘れることが出来なかった。少女弥生は如何(どの)様にして此の守袋を持つ事になったのだろう。中には何を入れて在るのだろうと、取り上げては打ち眺め、打ち眺めては又思案し、果ては弥生が我にさえ知らせないで、この様な品を持つ筈は無いと思い定め、更に念の為にと思って、弥生の生い立ちを心の中に繰り返し初めた。

 そもそも弥生と露人とは今まで兄妹の様な仲であって、露人が十一歳の時、父小桜伯爵が在る日グランビル市に行き、五歳の少女を馬車に載せて帰って来て、露人に向かって、
 「是は父母の分からない捨て子で、今まで拾い主が育てていたのを、私が更に其の拾い主から養育を托せられて連れ帰った者なので、お前は自分の妹の様に慈愛(いつく)しめよ。」
と言い渡したのを初めとし、

 其の頃露人は広い屋敷に年頃の友達も無く兄弟姉妹も無く、非常に静かに育って居たので、弥生を見て喜ぶ事限りなく、無二の遊び友達を得た様に思い、更には少年の清い心に父の言葉が深く浸み入り、弥生の父母の無い有様を憐れんで、真の妹の様に労わり、果ては互いに片時も離れない程の仲と為った。

 そうと見て父伯爵は却(かえ)って心配し、多年二人が成長するに及んで、若し兄弟の様な愛が変じて男女の愛と為ったら、血筋の清い小桜家に素性の知れない子を令夫人とする様な由々しい大事に到らんとも計り難いと言って、是からは其の愛を防ぐ為、弥生を男の姿に仕立て、総て男子の様に取り扱った。だから弥生は女ながらも剣術槍術等一通りを露人共に修め、女の芸には通じて居ない所が有っても、武芸に掛けては同じ年頃の少壮男子に多く劣る所は無かった。

 この様な訳なので、其の後小桜伯爵が勤王軍に戦死し、引き続いて露人が従軍するに及んで、兄と頼める露人に分かれて独り家に踏み留まる心は無く、露人も又妹の様に弟の様に思う弥生と手を分つに忍びず、共々に勇み進んで戦場に出ている。
 それ以来幾月、戦う時には肩を並べて戦い、帰る時には手を取り結んで帰り、寒い夜中には抱き合って寝ることも有るが、二人は全く兄弟の睦まじさにして、更に男女など言う心は少しも出ない。

 或る時の敗軍に、
 「死ぬなら必ず共に死のう。一人生き残こる事はしない。」
とまで誓った事は有るが、是とても男と男との誓いにして、一点友愛の外に出ない。唯此の度、此のグランビル市を攻める事と為ってから、偵察には女の姿が好いだろうとの議が出てから、弥生自ら其の任に当り、同じ軍中に従っている女子の衣服を借り受けて出発したのだ。其の分れに臨んでも、

 露人は、
 「死ぬならば共に。」
の約束を繰り返し、そなたが若し敵に捕はれる事とも為ったら、我れ命を捨てても必ずそなたを救い出す事に勉めようと、言葉を尽くして励ますと、弥生も一方ならず力を得、欣々として出発したが、今までの男姿と違ひ、他人の着古した衣服とは言え、女姿に復(かへ)っては、今迄見えなかった美しさが俄かに現われて来て、露人は其の姿を見て、今までかって覚えなかった最愛(いと)おしの心が起こり、殆ど分かれるに忍び無い想いが有った。

 弥生が遠く立ち去るまで其の影を見送ったが、彼自ら爾(そう)とまでも気付かなかったが、多年の友愛、知らず知らず最愛(いと)し恋しき微妙の情とは成った者である。この時から今は僅かに数日ではあるが弥生の優しい女姿は絶え間なく露人の目先に在り、弾丸の行き違ふ間に在っても自ら忘れる事は出来ない。弥生が我が傍らに居ないので、何と無く物淋しさに耐える事が出来ない心地がして、自分は到底弥生と分かれては、此の世に生活する事が出来ないのではないかと、自ら怪しむまでに到った。

 この様な際なので、縄村中尉が差し出した秘密袋も気に掛って仕方が無い。若し中尉と弥生との間に、まだ中尉が我に秘し隠している事柄が有りはしないか、此の守袋も弥生の投捨てたのでは無く、実は中尉が子の様に言って我を欺き、遺身(かたみ)として弥生に贈る者では無いのかなど、日ごろならば到底起る筈の無い疑いが非常に盛んに胸に燃え、消そうとして消す事が出来ないのは最愛(いとお)しの情に伴う嫉妬と云える念にして、彼の情と共に初めて生まれ出た者に違いない。

 この様にして幾時か思案した末、終に自ら制する事ができず、
 「アア、私は父から弥生の保護を託せられて居る。弥生に渡す品物でも、不為の疑いが有る者は一応検めるのが当然だ。この身の義務だ。」
と異様なる道理を付け、震える手先で秘密袋を開いた。
 知らず、中には如何(ど)の様な物があるか。



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