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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」         涙香小史 訳

               第十八回

 二言と無い武士の誓いとは言え、一旦敵に約束して帰ったが為に、その約束を堅く守り、又も敵軍に引き返して射殺されようとは、人情に有るまじき振る舞いなので、市長は呼び止め、
 「縄村中尉、貴殿の行いは更に合点が行かない。本当に敵軍へ帰り、再び敵の捕虜と為る積もりか。」
 縄村中尉は敢て勇気を衒(てら)うなどの心は無く、極めて静かな音調で、

 「無論です。無論敵軍に帰るのです。」
 市「其れは何の故に。」
 縄「敵の大将に約束した為です。」
 市長は余りの事に嘲笑(あざわら)い、
 「ヘン、今時その様な約束を守る馬鹿が有る者か。」
と言うと、中尉は概然として、

 「市長、私は徹頭徹尾勤王軍を国家の賊と思い、之を憎む念は一歩も貴方に譲る者では有りませんが、唯其の大将や士官などが堅く貴族の徳義を守り、命を軽んじて言葉を重んじ、少しも卑劣の行い無く、真に古の武士の風を守って居るには実に感心致します。我々共和軍の中に一人も勤王軍の様に武士らしい魂を備えた者が無いかと思へば憤慨に堪(た)えません。私は如何(どう)あっても此の約束を守り、彼らに射殺されて、共和軍の中にも武士の道を重んずること決して勤王軍に劣らない者が有ると云う事を知らせて遣らなければ為りません。」
と熱心に言い切ると、

 市「フム、帰って射殺されたなら、敵は共和軍にも此の通りの馬鹿が有るかと手を打って笑うだろう。」
 中尉は怒りを催して、
 「貴方と私とは全く意見が反対です。云えば云うだけ益々衝突するばかりですから、最(も)う何にも云ません。私は私の信ずる所を行う丈です。唯最(も)う一度伺い度いのは、貴方は敵が私を放って帰したのに、其の好意に対して此の少女を敵へ放ち返しませんか。」

 市「断じて返さぬ。」
 縄「然らば私の運も是まです。市長去らば。」
と別れを告げると、市長は先に既に狸田軍曹の密告に依り此の中尉をば、敵へ内通する者と疑っていたので、今この様に中尉が再び敵へ帰ろうとするのを見ては、其の疑い又燃え起こり、大喝一声、

 「お待ちなさい。」
と言へば、先ほどから余念無く此の問答を聞いて居た悪人腕八は、中尉が今もなお秘密袋を身に持っていると思うので、中尉の立ち去るのを見て、宛も薔薇(しょうび)夫人の大金貨が羽が生えて飛び去るのを見る様に驚き、市長の声を幸いに直ちに其の行く手に立ち塞がった。中尉は又声を鎮めて、

 「何事です、市長」
 市「イヤ、貴方の振る舞いには、疑わしい廉(かど)が有るので、貴方を出して遣る事は出来ません。」
と言葉まで改まった。
 縄「出して遣る事は出来ないと言っても、私は共和国の陸軍士官です。貴方に束縛される筈は有りません。」
 市「イヤ、共和国の士官でも此の町を防御の為派遣されたのに、怪しむべき挙動が有れば市長たる私が貴方の逃亡を防がなければ為りません。達て抵抗すれば、捕縛します。」

 中尉は笑って、
 「ハハ、捕縛する外は無いでしょう。私は敵で射殺されるのが武士の道と思いますから、手足の動く中は抵抗して敵軍へ帰ります。たとえ捕縛した所が番人の隙が有れば必ず逃げ去ります。逃げ去って約束通り敵軍に射殺されなければ軍人としての私の名誉は立ちません。」

 此の言葉を聞いて、保田老医は真実感心した様に、
 「アア、昔ローマにはレギュラスと言う武士が有って、敵軍に捕らえられ、一旦敵から講和の使命を託せられて帰ったけれど、其の使命が届かない為、味方の引き止めるのも聞かず、再び敵軍に還(か)えり、爾(そう)して敵に殺されたと云い、千古の美談として今までも伝わって居るが、真に中尉は今の世のレギュラスだ。」
と声に顕(あらわ)して嘆賞すると、中尉は之を聞き、

 「イヤ、私の所為は、昔のローマとは違い、今の世には間違った行いかも知れませんが、幼い頃からローマ史流の教育を受け、心が斯(こ)う固まっているから致し方有りません。」
と謙遜した。市長は直ぐにも中尉捕縛の命を発っする様子だったが、何しろ士官を捕縛する事は容易な事では無いので、なお一応調査して内通の証拠を握っての上にしようと思い直した様に、

 「中尉、一言問いますが。貴方は昨日崖の辺で、此の少女から密書を受け取ったと云うが事実ですか。
 縄「密書では有りません。此の少女が守り袋の様な者をを落としたから其れを拾ったのです。拾って渡そうとしたけれど、少女が受け取らずに逃げ去りました。」

 腕八は傍より之を聞き、老婢お律が言った事が全く真事(まこと)であるのを知り、密かに喜ぶこと限り無し。
 市「密書で無いと云ったとて言葉だけでは信じられません。愈々守り袋なら、ドレ私にお見せなさい。」
 縄「見せることは出来ません。」
 市「密書だから見せる事が出来ないのでしょう。」
 縄「イヤ、昨夜射殺されると思いましたから、敵の副将軍小桜露人(つゆんど)と言う者に向かい、この守り袋は此の軍からグランビルへ出張した少女の落とした品だから其の少女へ還(か)えして呉れと云い、預けて仕舞いました。」

 此の語を聞いて、さては彼の袋、既に此の中尉の手には無いのかと、腕八は失望し、保田老医と老婢お律はやや安心すると、一人市長は全く密書である為、中尉が斯(こ)の様に言做(いいな)す者と認め、最早猶予する場合では無いと思い、
 「宜しい。貴方の挙動を詳しく私が記述して陸軍本部へ報告しますから、追って軍法会議で処分するでしょう。其れまでの所、逃亡を防ぐ為捕縛して牢に入れます。」
と云い更に腕八に向かい、

 「縄村中尉を直ぐにベントの獄へ送れ。」
と言えば、腕八は何の猶予も無く直ちに中尉を縛して去った。
 次に市長は又も部下を呼んで之に少女弥生を渡し、
 「此の女は外の囚人と共に憲兵へ引渡し、刑場へ送るから其の用意を整へ、護送憲兵の帰って来るまで獄に入れて厳重に保監せよ。」
と命じた。

 部下が心得て引き立て行くと、老医もお律も今更の様に驚くと、市長は非常に冷淡に老医を顧み、
 「是から貴方の家へは安心して大事の捕虜を置く事は出来ません。」
と苦い一語を吐いて去った。
 アア、弥生は死刑、縄村中尉は軍法会議、之が共和軍と勤王軍との、勇士と勇婦の運命かと思えば痛ましいこと限り無し。



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