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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第二十六回

 岩に砕ける荒波の、浴びせる様に弥生の身に掛かりったのは、既に上げ潮が始まったので、この所に居るのは危ういとの警報にも同じで、早く逃げろと追い立てる様な者ではあるが、人目を厭う破獄の罪人なので、眼前に二人の男が居るのを見て、容易に逃げられる者では無い。縄村中尉はもどかしそうに、

 「エエ、武器さへあればあの様な者は殺して置いて進むけれど。」
と呟(つぶや)き、更に又弥生に向い、
 「あの二人は何者です。」
と問へり。弥生は恐ろしそうに、

 「彼らは過日死亡(なく)なった薔薇(しょうび)夫人の甥とやらで、漁師櫓助、農夫泥作と言う両人です。私は故あって彼等の顔を知っていますが、彼らは薔薇夫人の遺産を探して居る者で、私は幼い頃から其の夫人の腰元お律と言う者の手に育てられましたので、彼らは何かの思い違いで私を其の遺産についての邪魔者の様に思っているには違い有りません。あの短い縄を私へ送ったのも多分彼らだと思います。」
と、心急く間にも思うだけを打明けると、此の時彼等は茲(ここ)より少し離れた崖の前を頻りに探(さが)しながら、

 櫓「不思議だ、あの弥生が確かに最う此の辺へ落ち、死骸と為って居る時分だのに。」
 泥「イヤ、矢張りお前の智恵が足りなかったのだ。俺が言った通り少女の事だから、牢を抜け出る程の大胆な心が出なかったのだ。馬鹿馬鹿しい。」
 櫓「ナニ、俺は親切めかして縄へ結び節まで付けて遣った。何でも死刑と決まった身だから、死刑の恐れに少し位の危険は忘れて逃げ出さなければ成らない筈だ。」

 泥「筈だと言って此の辺に死骸の無いのが何よりの証拠だ、お前の計略は外れたのだ。」
 櫓「何も俺一人の計略では無い。お前だって賛成したじゃないか。ナニ今に茲(ここ)へ落ちて来るよ。最う少し気を長くして待って居よう。」
 泥「待って居られない。その中に汐が込んで、磯辺が通られ無い事に成る。茲に我々が待って居なくても、愈々(いよいよ)逃げ出した者なら一人で死ぬよ。」

 櫓「死んだからと言って浪が其の死骸を持って去れば何の益(やく)にも立た無いと云う者。我々は死骸の襟に縫い込んで有る薔薇夫人の遺言書を取り出して大金の所在(ありか)を知らなければならない。」
 泥作は只管(ひたすら)帰りを急ぐ様に、

 「イヤ、襟に遺言書が入れてあるとお律婆が言ったけれど、あれは我々に弥生を助けさせる計略で有ったかも知れない。真にその様な遺言を縫い込んで有るか無いか分かった事ではない。俺はお前と違い水泳(泳ぎ)を知らないから、汐の満ちるのが何よりも恐ろしい。サア、今の間に早く帰らう。」
と言う折しも、又も一際高き浪、岩に当たり、迸(ほとばし)って彼等の身を襲うと見えたが、泥作の持っている提灯は浪に浚(さら)われたりと見え、再び認める方法も無かった。

 中尉と弥生は彼らの問答で彼らの恐ろしい企計(たくらみ)を悉(ことごと)く知り得たが、最早猶予すべき場合ではないので、崖の際を伝ってこの所を立ち去ると五間とは来ない間に磯辺は次第に上げ潮に埋まったので、
 縄「アア、此の様子では無事に平地の所へ着かれるか否かも分から無い。平地へ出るまでに、海へ突き出た崖の岬を二箇所廻らねばならいと言う事で、其の岬は干潮の時でなければ通れ無いと言う事だから、併し弥生さん、貴女は泳ぎを知って居ますか。」

 弥生は中尉に初めて名を呼ばれたがその様な事は気にも留まらず、
 「長くは泳がれませんが、沈まないだけの事は知っています。」
 中「では深い所へ行けば私の肩へ捉まりなさい。私は貴女を背負うて空中を潜(くぐ)った如く、矢張り貴女を背負うて水中をも潜(くぐ)ります。サア」
と云い、早や弥生の手を取ると、今の危険は未だ先刻空中に在った危険ほどは差し迫ってはいないが、既に中尉の人と成りを知り得たので、先刻空中にて中尉の肌に接するのを嫌ったのとはとは同じではない。

 中尉の手を枝と思って浪打ち際を渡り始めると、汐は益々上げ、浪は愈々(いよいよ)深くなって、時には踏む足を引き倒されそうになる事も有った。その度に重く重く中尉に縋(すが)ったが、漸(ようや)く第一の岬を十間(18m)ほど先に見る所に至ったが浪は既に首を没するまでに及んだので、更に中尉の肩を頼りとして片手に水を掻いて泳ぎ初めたが、二人の行く先僅(わず)か数間(4~5m)の所に当たり、水中にもがく人が有った。

 「コレ櫓助、もうもう背が合わぬ、助けて呉れ。助けて呉れ。」
と叫ぶ声が聞こえる。之に答える櫓助の声は、其の又先から、
 「泳ぎを知らない癖にこの様な所へ来たのが不覚だ。手前を助ければ俺まで海へ沈んでしまうわ。」
と言う。
 泥「では手前、自分一人で薔薇(しょうび)夫人の財産を丸取りする積りで、俺を殺す為に来たのだな。」

 櫓「コレ俺の足へ捉(つか)まって如何(どう)する、放せ、放さないか。」
 二人が水中に争うのは自業自得なので、中尉は之を憐れまず、たとえ憐れむにも其の身と弥生が無事に上陸地に着き得るや否かさえ難しい際なので、聞き流して其の横手を泳ぎ抜けようとすると、此の時半ば水に溺れた泥作の声で、

 「人殺し、人殺し」
と叫ぶのを聞く間に、又打ち来る大波は彼等両人の声をも姿をも隠してしまった。夜目とは言え、月の有る刻限で、唯雲が遮っているだけなので、中尉は間近かで朧(おぼろげ)ながらに此の様を見、
 「アア彼等に先に上陸点へ泳ぎ着かれ、若し密告でもさられては面倒だと思ったが、其の恐れは先ず無くなった。」
と云い、漸く泳ぎ過ぎて第一の岬に達し、這い登って其の上に立つと、足の下の水面から忽(たちま)ち声掛けて、

 「アア弥生と砲兵中尉、牢を破って逃げるとは大胆不敵だ。」
と叫ぶのは彼の櫓助である。彼既に泥作を殺し得たりと見え、ただ一人で必死にこの岬へ近付こうとしているので、中尉は急いで弥生を抱え、又も第二の岬を指し、汐満ちて益々荒れる海の中に飛び込んだ。



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