巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

busidou27

武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.1.13

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

busidou

 武士道上編 一名「秘密袋」         涙香小史 訳

               第二十七回

 再び荒波の中に飛び入り、第二の岬を指して泳いで行くが、漁師櫓助の姿は見え無い。しかし彼、水に泳ぐのを職業とする者なので、波高くても溺れることは無いはずだ。先ほどは既に中尉と弥生の姿を認め、
 「牢破りだ。」
と叫んだ程なので、若し彼に先きに上陸点まで泳ぎ着かれては、グランビル市に駆け込んで破獄逃亡の事を密告される恐れがある。

 何としても彼に追い越されては成ら無いと、縄村中尉は必死に成って水を掻いていると、非常に浪が荒い上、疲れ果てて居る弥生の手が、確(し)っかりと中尉の首に掛かっているので、思う半分も進むことが出来ない。空しく気を焦(あせ)らせ、燥(いら)つく中に又も傍らの水面に浮んだのは櫓助の顔である。彼は単身で充分に泳ぐ事が出来る筈なのに、早や半死半生の有様で、
 「助けて呉れ、助けて呉れ」
と続け呼んだ。

 弥生を殺そうと企んで自ら此の場合に落ち入った者なので、素より憐れみを掛けるべき訳も無く、中尉は切ない息の中から、
 「手前は水に慣れた漁師の癖に、人の力を借りようとは不届きだ。」
と罵(ののし)ると、彼は半ば溺れて、
 「漁師でも水中で怪我をしたから助けて呉れ。友達を救おうとして足に縋(からま)られ、片足を折られたから泳げない。」
と言う。

 さては彼、泥作を水中に捨てる時、足を引き折られたのに違いないと、中尉は其の儘(まま)聞き流して又も進み、最早力の全く尽きて、其の身も弥生と共に水死しようかと思う頃、漸(ようや)く第二の岬には着いたので、自ら先ず足場を定め、次に弥生の身を引き立てようとすると、此の時水中から確(し)っかと弥生の足を捉へる者があった。弥生は息も絶え絶えな声で、

 「あれ、誰だか私を水の中に引き込みます。」
と叫んだ。死にもの狂いの櫓助であることは確実なので、中尉は又も必死となり弥生の両脇に手を入れて、腕も抜けよと引き上げると弥生の身は半ば上がり、引き続いて櫓助の頭も水際に出て来たが、何しろ濡れたる磯の上で、一歩を過(あや)まれば其の身も共に滑り込む恐れがある。到底是より上には引き上げることは出来ない。

 「コレ、悪人、放せ、放さないか。」
と叱り付けれど中々放しそうには無い。
 櫓「俺を一緒に上げなければ、共々に水の中へ引き入れて死んで仕舞う。」
と云い、如何することも出来ない。その中に中尉の身は、寸一寸に水の方に傾き、今少しで櫓助に引き込まれる事と為ったので、中尉は歯軋りして、
 「エエ、残念だ、武器の無い獄中から出て来た為ピストルも持って居無い、ピストルさえあれば。」
と言って今一足掻きで弥生共々水中に落ちようとすると、

 「中尉、ピストルは茲(ここ)に有ります。」
と従者鉄助の声、背後から聞こえると同時に忽(たちま)ち一発、耳元で轟(とどろ)いたが、其の声に驚いてか櫓助は手を放して水中に沈み、弥生の身は軽く磯の上に引き上げられた。実に中尉は其の自ら言った様に、弥生を負って空中を潜(くぐ)り、又弥生を負って水中をも潜(くぐ)った者ではあるが、今は己の手柄を顧みる暇も無く、
 「オオ、鉄助か、貴様のお陰で助かった。」

 鉄助は進み出で、
 「イヤ、私は一切の用意をして先刻から待っていましたけれど、男女二人の上陸なので、貴方では無いのではと思い、暫(しばら)く躊躇して居るうちに、貴方の声が聞こえ、誰だか水中から貴方を引き込んで居ると思いましたから、短銃を発射しました。若し貴方に当たっては成ら無いと思い、先ず威(おど)しに空へ向けて打ちましたのに、音に驚いて手を放したと見えますな。

 中「オオ、今に始まった事では無いが、貴様の機転には感心した。先ず此の婦人を介抱せよ。」
 鉄助は初めて弥生の傍に進み、疲れ果て磯の上に倒れて居るのを引き起こながら、其の顔を見て、
 「ヤ、ヤ、先日の女間諜。」
と云って驚いたが、又心附いた様に、
 「オオ、此の女を敵軍へ送り届けさえすれば、貴方の身は射殺されずに済みますネ。コレは何より有り難い。私はどうか貴方を再び敵軍へ遣らない様にと、そればかり考へて居ましたが。」

 縄「イヤ、その様な余計な事を言うな。それより俺の言い付けた一切の用意は出来ているか。」
 鉄「ハイ、馬も二匹まで買い入れ、貴方の着替えまで持って来て有りますが、唯此の女の着替えだけは。」
と言ふに、
 弥生は身疲れたとは言へ、心弱くては叶はない場合なので、自ら励まして起き直り、濡れた衣類を絞りながら、中尉に向って、
 「実に今夜の貴方の御恩はーー」
と言い掛けるのを中尉は遮り、

 「イヤ、何の恩が有りましょう。貴女を助けなければ私の身も助からない所ですもの。寧(むし)ろ私から謝するのが当然です。併し兎に角も、是から無難のの地まで立去らなければ成りませんが、貴女はまだ歩む気力が有りますか。」
弥生は少しも躊躇せず、
 「ハイ、明朝まででも歩みます。」
と、疲れも見せず答えるのは、中尉の頼もしい気心を深く感じた為と思われる。



次(第二十八回)へ

a:295 t:3 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花