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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」            涙香小史 訳

               第二十九回

 厩(うまや)に行くと小僧呂一の痛く恐れるラペとやら言う犬は見えない。呂一は喜び、
 「アア、有り難い、主人がラペを連れて行ったのだ。」
と言ったが、又驚いた様に、
 「大変だ。貴方がたは早く逃げなければ了(いけ)ません。ラペは大層鼻が利く犬で、五里も先に居る馬の臭いを嗅ぎ分けますから。荷車などの道に迷った時、何時でもラペを捜しに出します。今夜も多分主人が市長に密告し、手下の者を引き連れ、ラペを案内に立てて貴方がたを追い掛けると思はれます。」

 縄村中尉は此の注意を受けなくても心が急ぐ際なので、早速厩を検(あらた)めると、馬は唯二頭あるのみ、二頭では足りないが、仕方が無いので、之を引き出し、先ず家の表に出ると、鉄助は炉辺より身を起こして出て来て、
 「先刻買い取ったのが二匹です。」
 縄「是では足りないが、外に馬は一頭も居ないから仕方が無い。」
 鉄「イヤ、足りますよ。私は呂一と相乗りしますから、貴方は弥生さんとやらと相乗りなさい。」

 中尉は弥生を抱(いだ)き合って崖を降り、抱き合って水を潜(くぐ)り、又相擁して馬に乗り、幾里とも先の分からない旅をすることは、日頃ならば何と無く遠慮の心催されることであるが、必死の場合なので遠慮などしては居られず、直ちに炉辺に行こうとすると弥生も一通り身を焙(あぶ)ったと見え、自ら立って来たので、中尉は馬の不足の為、相乗りの外無いのを説き、猶(なお)も、

 「弥生さん、是から無事に貴女を勤王軍の居る所まで送れば、私は其の士官の誰にでも、逢った人に貴女を渡し、爾(そ)うして私は立去ります。全体言へば大将軍に引き渡すのが至当ですが、私も一刻も早く自分軍に帰り司令官に今までの身の行いを説明して、其の上で国家の為に貴女の軍と闘はなければ成りません。其れ故貴女を大将軍の許まで連れて行く事は或いは出来無いかも知れませんから。」
と断れば、弥生は悲しそうな中にも一種の決心を以って、

 「イヤ、今迄でも、既に貴方へ一方ならないご厄介を掛けました。此の上は未だ勤王軍の居る所まで連れ行って戴いては余り貴方へ縋(すが)り過ぎます。却って私の気も済みませんから、どうか此処で私をお見捨て下さい。殊に馬も不足ゆえ、私も一人ならば敵の疑いも受けないように忍んで勤王軍の居る所まで行かれましょう。」

 中尉は気の軽い人成れば、此の様な際にも我知らず冗談の様な口調を発し、
 「如何して此の美しい貴女と茲(ここ)で分かれる事が出来ましょう。」
と言へば、弥生は忽ち顔の色を青くして驚くので、中尉は急いで、
 「イヤ、今のは冗談ですよ、最(も)う冗談などは言いません。サア、馬に乗りましょう。案じるより産むがが易いと言ふ様に、存外容易に小桜露人君に行き逢うかも知れません。」

 露人の名には、青くした頬を赤くして、
 弥「露人は最(も)う生きては居ないでしょう。」
 縄「ナニ、生きていますよ、私が貴女の大将軍の営に捕らわれて居る中に、露人君は黒兵衛とか言う強そうな従者の肩に掛けられて崖から降りて来ましたが、傷は急所を外れて居ると言うことでした。」
 弥生は露人に分かれて以来初めて彼の消息を聞き、深く何事をか感じたと見え、

 「アア、無事に大将軍の営まで帰りましたか。」
と言って後は暫く無言である。中尉は更に、
 「いずれにしても、勤王軍の落ちた先まで行けば誰か士官に逢いましょうから、その人へ貴女を引き渡し、爾(そ)うしてお分かれ致しましょう。」
 弥生は何となく悲しく、両の目を涙に潤ませ、
 「ハイ、それが生涯のお分かれと成るかもしれません。」

 中尉も好い気持ちはせず、
 「ハイ、貴女と私は敵同士ですので、再び逢うなら戦場で逢うのでしょうが、その時は互いに命の取り遣りですから、今の様に斯(こ)う話などはして居られないでしょう。是も武士の習いだから致し方有りません。」
と言い、此方も暫し黙然としていたが、又考えて、

 「イヤ、貴女の軍は既に全く破れ尽し、何処へ行っても私の軍が充分手を廻して居ますから、事によると貴女は再び捕虜と為るかも知れません。イヤ、無益に貴女を威(おど)かすのでは無いのです。唯其の時の為に申して置きますが、今度捕らわれれば、女の事ですから、必ず南都の獄へ送られて、他の捕虜と同じく残酷に刑せられる恐れが有ります。其の時には必ず牢番へ私の名を告げ、縄村砲兵中尉に伝えてくれと仰(おっしゃ)い。私はどの様な手段を尽してでも必ず貴女を救って上げます。」

と誠意を以って言い聞ける此の予言、若しも他日に当たる事の有りはしないかと思うと、弥生も心細くて仕方が無い。又も涙に潤む眼を上げて何事をか言おうとすると、此の時鉄助と呂一が左右から、
 「サア馬に鞍を着けました。」




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