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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」            涙香小史 訳

               第三回

 老婢(ろうひ)のお律に従って来たこの少女は何者だろう。姿が優しく顔の美しさはこの辺に住む町人風情の娘では無い。必ず由緒ある血筋を受けた者に違いないとは一目見た様子で察せられる。だがその衣服は令嬢などの纏(まと)う物では無い。百姓の子でも着る様な粗末な布にして多少は着古した皺目も見え、又その顔の色にしても白くはあるが、戸外の荒い仕事にでも荒れたのか、殆ど男の顔の色艶にも似ている。

 いずれにしても嘗(かっ)て化粧など施した顔とは見えず。あたら天然の美しさに何の手入れをも施さず、荒れるが儘(まま)に捨て置いたものである。若し一通りの化粧でも施せば、如何ほどの美人と成る事だろう。殊にこの少女、年の十七か八かに見えるにも似ず、世間の子の様に、年頃の娘に有り触れている恥じらいなどの様子は少しも見えず、お律に対する振る舞いもその衣服(みなり)と同じく何の飾り気も無いのは、女にして今だ女心の生じていない為に違いない。

 お律はやがてこの少女と共に家の中に歩み入り、廊下の暗い所に到り、携へて来た忍びの灯火を初めて開くと、少女は物凄きまで荒れた四辺(あたり)の様子などを眺めて、怪しさに我慢が出来ないように、
 「律や、何で私をこの様な所へ連れて来た。」
 律「ナニ、嬢様、イヤサ弥生様、訳が無くては故々(わざわざ)お連れ申しません。」
 少「サア、その訳を聞かせてお呉れ。」
 律「イヤ、爾(そ)う緩々(ゆるゆる)はして居られません。私の推量通り悪人等は今し方立ち去りましたが、彼等は薔薇(しょうび)夫人の大金が此の家に隠されて有ると思うから、今に必ず帰って来ます。彼等に目附(めっかっ)ては危険ですよ。殊に貴女は少女とは言へ勤王軍の一人ですから、若し露顕(みあらは)されては猶(なお)の事。」
と非常に気遣(きづかわ)しげに言う中にも前後を見廻した。

 さては弥生と呼ばれるこの少女、遠からずこの町へ攻め寄せて来る勤王軍の一人にして、誰より先に唯一人この町に入り込んだ者なのか。共和政府の下に在って、勤王の為革命の軍を起こすのは一揆の如きものなので、その中には百姓も有り、樵夫(きこり)も有り、貴族も有れば、女子も有り、この様な少女が交わっているのも怪しむには足りないが、爾(そ)は言っても大胆な事に違いは無い。少女弥生は猶(なお)満足出来ない様子で、

 「ナニサ、私の身は捕らわれようと殺されようと許(もと)より覚悟しているけれど、唯大将軍から間道偵察と云う命を蒙り、女だけに敵の疑いも受けないだろと言って一人この土地へ入り込んで来たのだから、如何かその事だけ仕果(しお)せて無事に勤王軍をこの土地に入り込ませ度いと思うのサ。その役目の済まないうち、訳も知らずにこの様な所へ来ては、大将軍に済まないからだ。」

 律「ハイ、それだから猶更(なおさら)グズグズして居られません。この町の人々は何れも共和政府の味方で、その中にも今に茲(ここ)へ帰ってくる櫓助や泥作はこの頃義勇兵の一人に加えられたのを大将軍にでも出世した様に思い、少しのことまで直ちに共和政府の役人へ密告する奴等ですから、彼等に捕らはれない様にしなければ。」

 弥「それにしてもこの家に入る用向きが分からなければ。エ、律や、ナニ和女(そなた)には幼い頃、子の様にして育てられ、五歳の年に私が小桜伯爵に引き取られて後も。矢張り和女を母のように思って居る私だから、何も和女を疑いはしないけれど、事の訳だけは聞いて置かなければ。

 律「ナニ、ご心配は有りません。この家は軽嶺家ですよ。薔薇(しょうび)夫人の住居(すまい)ですよ。」
 少女弥生はまだ合点が行かず、
 「薔薇夫人とは何だか聞いた名前の様だが、」
 律「その筈です。私が五十歳も仕えて来た主人です。貴女を育て上げてくれと言って私へ託したのも薔薇夫人ですもの。」

 さては此の少女、薔薇夫人の娘ででも有るのだろうか。聞くところによると、昔薔薇夫人の若かりし頃、その夫侯爵の留守毎に、夫人の許(もと)へ尋ね来る海軍の士官が有った。縄村大尉と言って義勇艦隊の一隻「海王」号と言う船の艦長となり、勲功を以って名を挙げた人であるが、世間では薔薇夫人と深い交わりの有る様に言做(な)されていた。夫人の品行許(もと)より厳重であるとは言ひ難く、下賤の家に生まれた身だけ、随分様々の非難も有ったので、たとえ夫人の身に隠し子が有ったと言っても深く怪しむには足りない。

 そう言う事ではあるが、この少女弥生は必ずしも、夫人の子ではないようだ。お律の言葉振りでも爾(そ)うとは聞こえない。
 弥生は益々怪しむ如く、
 「オヤ、私を薔薇夫人から託されたの。」
 律「ハイ爾(そ)うですけれど、その事は決して口外するなと夫人から硬く口を留められて居ましたから、今まで貴女にも言いませんでした。」

 弥生はもしやとの疑いで、
 「では和女(そなた)、私の生みの母親を知って居るのだろうネ。」
と迫(せ)き込んで問うのは、自ら我が母が何者なのかを知らず、我が身が誰の子であるのかをも知らないと見える。

 律「イイエ、私は唯爾(そう)言って薔薇夫人から貴女を託された丈の事ですから、貴女の母御が誰だかは存じません。丁度薔薇夫人の一人娘松子嬢と言うのが長の患ひで亡くなられた後で、夫人も痛く悲しみに沈んで居ましたから、私も詳しくは聞かず、その後、事の序(ついで)に問いましたけれど、その様な事を問うには及ばないと厳しく叱られました。併し薔薇夫人が貴女の母御でで無いことは確かです。その時夫人の年が既に六十を越して居ましたから。」
と説き明かせば、弥生は痛く失望の体にて、

 「では何故、私を五歳の年に小桜伯爵へ渡したのだろう。」
 律「それも私には分かりませんが、小桜伯爵は軽嶺家と昔から交際のある家です。」
 弥生は産みの母さえ知らぬ我が不幸を、この時切に感じたと見え、深い嘆息の声を洩らして、
 「私の母様はその時早やこの世には居なかったで有ろう。この世に居れば自分の娘を爾(そ)う人に渡しはしない。今までも私にその身を知らさずに居りはしない。」

 お律も流石に気の毒の思いに堪(た)えず、
 「私しは全く知らないから申し様も有りませんが、若しや小桜伯爵が知っては居なかったのでしょうか。」
 弥「知って居るか知らないのか、私へは何にも云わぬよ。先年勤王の戦場で深手を負って帰った時も、其の死に際に私を呼び、和女(そなた)は親の無い孤児だから己の息子小桜露人と共に国王を頼りにせよ。勤王の為尽くしさえすれば、世は再び国王の世になるから、その時にはどの様な夫でも持たれると言い、更に何だか言いたそうに見えたけれど、そのまま息を引き取ったの。それゆえ今年勤王軍には、露人さんに従って私は誰より先に加わったのさ。爾(そ)うして昨日の夜、この地へ着き、久し振りで和女の家を訪ねると、好いところへ来たと言い、大事の用事が有るから待てと言うから和女(そなた)の言葉に従って、一日待ってここに来たが、その用事が何事だか今以(も)って分からないから、其れを聞かなければ、この上深く進まないと言うのじゃないか。」

 親知らぬ身の不幸は嘆いても仕方が無いと思ひ直して、さらにこの様に目の前の用事を問うものだろう。
 お律は壁に聞かれるのさえ恐れる様に、其の声を幽(かす)かにして、
 「実は薔薇(しょうび)夫人が一個の秘密袋を日ごろから首に掛けて居るのです。爾(そう)して我が身の死んだ後では之を弥生に渡して呉れとくれぐれも私が頼まれ居るのです。其の袋を夫人の肌身からじきじき貴女へ受け取らせなければ、硬く請合った言葉(こと)も有り、私が夫人へ済まないのです。」
と初めて異様な其の目的を説き明かした。





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