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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.1.16

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  武士道上編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第三十回

 馬に鞍を置いたと聞いて縄村中尉はそのまま飛び乗り直ちに弥生を我が後ろに引き上げれば、鉄助も呂一と共に乗り、二匹の馬に四人の身を托する事とは為った。
 指して行くのは何れの所だ。明日は如何なる身の上と為ることだろう。目的(めあて)と言ってもはっきりしない落人の境涯は如何ほど心細いことだろう。

 一寸先の闇の夜を小僧呂一の案内に従い一時間ほど辿ると、弥生は風の寒さと身の疲れに堪えられず中尉の背後(うしろ)で戦々(わなわな)と震い始めたので、中尉も初めのうちは、
 「弥生さん、緊(しっか)り私に迫(せ)り付いてお出でなさい。そうすれば温かですから。」
などと言って励ましていたが、やがて殆ど馬から落ちはしないかと危ぶまれる程と為ったので、何れの所でか身を焙る外無しと思い、先に立つ呂一の馬を呼び止めて、此の近くに人家は無いかと問うと、

 呂「イヤ、ここから小山へ掛かりますが、小山を越えれば其の下に緑の池と言う湖水(みずうみ)が有って、その際(きわ)に浦岸老人という番人が居ます。夜通し火を焚いていますから、其の家で少し休ませて貰いましょう。」
と言う。中尉は喜び、
 「弥生さん、最う少しですから辛抱なさい。」
と言い更に雑話で少しでも弥生の気を紛らわそうと思い、今迄の無口だったのに引き替えて、

 「コレ、小僧、緑の池と言うのは昔、軽嶺侯爵の領地内で有ったと言うが。」
 呂「爾(そう)です。此の辺は一帯に侯爵の領地で有ったけれど、薔薇(しょうび)夫人の世に為って残らず売り払い、悉く金貨に替へて仕舞ったと云うことです。唯緑の池だけは今でも薔薇夫人のもので、其の番人の浦岸老人と言うのも、素は薔薇夫人の下僕だそうです。

 縄「何故、池だけ売らずに置き、その様にわざわざ番人まで付けて置くのだろう。その池に魚が沢山居るとでも言うのだろうか。」
 呂「魚は幾等か居りましょうが、決して魚を捕るような事は有りません。先日薔薇夫人の死んだ時に、その訃音状(しらせじょう)の様な手紙を私が浦岸老人に届けましたが、其の時老人に池の魚を釣らせて呉と云いましたら、老人は顔色を変えて怒りました。

 けれど私は通り掛かる度に老人の用など足して遣り、大層老人の気に入られて居りますから、何の目にも逢ませんでしたが、外の者がその様な事でも言えば打ち殺されるかも知れません。この前も何処かの子供が池の傍に繋いで有る船へ乗ったら老人は其の子供をを酷い目に逢わせ、其の後に船も引き上げて自分の家の庭へ置いて有ります。何でも池の底に大事な宝物でも沈めて有るかと思われます。爾(さ)もなければアレほど大事にする筈が有りません。」

など、図に乗って話すうち、馬は漸(ようや)く小山の頂上に達し、其の番小屋に焚いている火が池水に映る様など非常に鮮やかに見えるので、いま少しの辛抱と中尉は又も弥生を励まし、坂を下って漸くに緑の池に達し、番小屋の前に留まると、馬の足音に驚いてか、入り口の所に現れ来たのは、年は八十にも近いと思はれる矍鑠(かくしゃく)たる一老人なり。頭は禿げて白い鬚を胸まで垂れた様、絵に書いた仙人にも似ている。中尉は之に向い、

 「我々は夜道の寒さに困って居る者だが、暫(しば)し炉の火に温(あた)らせてはもらえないか。」
 老人は咎める様に、
 「人に物を頼むのに自分の名も告げないとは。」
 縄「イヤ、私は縄村中尉と言う者だ。」
 老人は驚いて中尉の顔を篤(とく)と見詰め、
 「フム、似ているワ」
と云い更に言葉を丁寧にして、

 「昔薔薇夫人の許に来られた、海王号の艦長縄村海軍大尉の何かでは有りませんか。」
と問うた。中尉は近来斯かること、人に逢うこと屡にして、是も畢竟は我が先祖に我より名高い人が有る為と思ひ、快く、
 「その人の甥孫だ。此の辺にその人の残した「ケロン」の荘というが有ろう。今は私が其の持ち主だ。」

 老「オオ、そうですか。「ケロン」の荘は昔軽嶺家の領地と茲から一里程先で境を接していたのです。まあ入ってお温まりなさい。」
と言うので、四人上って炉を囲むと、
 老「したが貴方は何処を指し」
 縄「勤王軍の落ち行った先まで此の婦人を送り届ける積りだが、勤王軍は今アプランチに居るだろうか。」

 老人は声を低くし、
 「アブランチと言いふらせては居ましたが、実はそれより先のホントルソンの町に集まったのです。昨日から勤王軍の敗兵が沢山に茲を通り湯を呉れの茶を飲ませろのと言ひますから、私は追々聞き定めました。」
 縄「茲(ここ)からホントルソンへ成るべく追っ手などの目に触れない様に行こうとすれば、何処へ行けば好いだろう。」
 老「海岸の道を取るのが好いでしょう。若し追っ手でも来れば私が外の道を教え、迷わせて遣りましょう。併し貴方は自分が共和軍で有るのに勤王軍の所へ落ちて行くとは、」

 縄「イヤ、それは今も言ふ通り此の婦人を送り届けるのだ。」
 老人は弥生の顔を怪しそうに眺めながら、
 「では此の少女は勤王軍の方ですか。」
 縄「爾(そ)うだ、それが共和軍に捕らわれたから其れで送り届けるのサ。」
 老人は忽ち弥生に向い、
 「では貴女に願いが有ります。勤王軍の中に若い士官で小桜露人という人が有りますから、如何かその人を訪ね当て、---」
と云い出すのを聞き、

 「ハイ、小桜露人なら私も知っています。」
 老「知って居れば猶更(なおさら)幸です。その人に聞いて貰いたい事が有ります。今より十二、三年前、グランビル市から其の小桜家へ行った女の子が有りますから、其の女の子が今は如何しているか、それを聞き取って私へ知らせて貰いたいのです。」

 是は明らかに我が身を指せる者なので、弥生は忽ち驚いて、其の少女は即ち今の我が身である事を答えようとしたが、その語の未だ口を出ぬ間に、
 小僧呂「ヤ、ヤ、大変だ、斯(こ)うしては居られない。確かにラペの吠える声が聞こえます。追っ手が早や小山の上まで来たのです。」
と云って立ち騒いだ。

 一同耳を澄ます間もなく、早や犬の声、馬の足音、静かな闇を破って愈々(いよいよ)近くに聞こえて来るので、
 「なるほど、斯(こ)うしては居られない。」
と云い、縄村中尉は弥生の手を引き立てながら、浦岸老人を顧みて、
 「老人、うまく追っ手を迷わして呉れ。他日屹度お礼はするから。」
 老人も忙しく立ち、
「ナニ、お礼には及びません。その代り、貴方に言うべき大切の事が有りますから、軍(いくさ)が済めば必ず一度、ここへ尋ねて来てください。」

 縄「ヨシ、承知だ、必ず最(もう)一度尋ねて来よう。」
 老人は更に弥生に向い、
 「貴方もどうか今言った少女が何処にいるかそれを能(よ)く聞き定め、ここへ知らせて来てください。」 
 弥生は思い切って、
 「其の少女は私です。」

 老人は跳ね返らないばかりに驚き、
 「エ、エ、何と、貴女が其の少女、イヤサ弥生様ですか。なるほど、幼い頃の面影が其のままだ。」
と言う言葉の未だ終わらないうちに、中尉は弥生を引き立てて、
 「では、老人、後を宜しく頼んだよ。」
と云い、早や外に飛び出した。



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