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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道上編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第五回

 少女弥生を遮って老婢お律は戸に耳を当てて、外の廊下の静動を聞き澄ますと、情けない、確かに人が遥か彼方から歩み来る足音がする。お律は震え上がって、
 「愈々悪人が遣って来た。最早逃げるにも逃げられない。」
と狼狽(うろた)へ廻るのも無理はない。この様な場合に臨んでは、流石に弥生は六ヵ月来従軍して、危険な幾戦場を踏んで来た身だけに、驚き騒がず、キッと決心した態度で、

 「ナニ、律や、此の戸を開けて走り出よう。」
 律「飛んでも無い事を仰(おっしゃ)る。戸の外は唯一筋の廊下ですから、捉えられるに決まって居ます。悪人奴等(めら)、私が彼等を出し抜き此の屋敷へ忍び入ったと知れば、直ぐに捕らえて何(ど)の様な目に逢すかも知れません。」
 弥「イヤ、私は短銃(ピストル)を持って居る。若し妨げれば斯(こ)うだぞと短銃(ピストル)を差し附ければ、悪人も怯(ひる)むだろうから、その暇に逃げて行けば。」

 律「イエイエ、一旦認められたら逃げても駄目です。貴女を町役所へ密告すれば勤王軍の軍の破れとなるは勿論、爾(そ)うで無くても後で私が酷い目に逢わされますよ。」
 云う中に足音は、戸に耳を当てなくても聞こえる迄近づいた。お律は何事をか思い附いた様に、嬢様、貴女は朝まで立った儘(まま)で身動きもせずに居られますか。」

 非常に難しい難題だが、
 弥「和女(そなた)の為とならば、何時迄も。」
 律「それでは私と共に寝台の背後(うしろ)の押入れに隠れましょう。其の中に立って居れば、朝までには悪人が眠るか立ち去るか致しますから無事に逃げられる時が来ますよ。」
と云い、身早く弥生を引き立てて押入れの中に入ったが、此の事若し瞬きする間も遅れたら、忽ち見つかるところであった。

 二人の隠れると殆ど同時に、戸を開けて此の室に入った一人があった。お律と弥生は押入れの戸に幾個と無く穿(うが)たれた虫食いの穴から覗いて、室の様子を良く知ることが出来た。入って来たのは漁師櫓助で、彼は道具を包んだ袋を肩に掛け、手には提灯を携えていた。

 先ず室中を見廻して、薔薇夫人の寝台に張り廻した白布の幕を初め、其の他ともに異常の無いのを見、漸く安心はした者の、何しろ仲間を出し抜いて、この様な陰事を企てる恐ろしさと、広い屋敷に薔薇(しょうび)夫人の死骸と差し向かいと為る気味悪さなどに、度胸が十分には落ち着くことは出来ない様子で、夜は寒いけれど前額から汗を流し、総身も戦(おのの)いている様子だが、ようやく心を鎮めたか、提灯を床に置き、袋を開いて槌、斧、其の他幾種類の道具を出した。

 押入れからこの様を見るお律は、もしやこれらの道具を以ってこの押入れを開く気ではないかと怪しみ且つ恐れたが、其の間櫓助は床の焦げ黒ずんた所を検め、その板の端に行き、鑿(のみ)で之を脱(はず)し、更に槌を挙げて叩き毀そうと始めたが、半ば朽ちる床とは言へ昔の建築である為か、それとも幾百万の大金貨を隠すほどゆえ、特に堅固に作ってあるからか、容易には破れもしない。

 叩いては又叩くうち、初めの恐々だったのに似ず、果ては大いに焦(じ)れた様子で、癇癪の力を出し、続け打ちに打ち叩いて、自らその音に耳が塞がるばかりなので、此の時背後の戸を開き又忍び入る一人があったが、櫓助は其の足音にさえも気が付かず、強く背後より我が肩捕らえられて、初めて驚き、殆ど飛び返るばかりに振り向いて、

 「ヤ、ヤ、泥作か。」
と怒り叫んだ。然り、肩を捕らえたのは全く泥作である。彼も怒る声で、
 「一人で俺を出し抜くとは怪しからぬ。」
 櫓「お前だって出し抜く気で約束の時間より早く来たじゃ無いか。」
 泥「黙れ、茲(ここ)で喧嘩すれば腕力は俺が強い。俺が勝つに極まっている。サア、彼是云はずに其の床を開いてしまえ。俺も一緒に手伝うから、その代わり儲けは山分けだぞ。」
とて茲に初めて約束整ひ、泥作も同じく提げて来た袋から似寄りの道具類を取り出した。

 櫓「お前は表門から入って来たのか。」
 泥「ナニ、表門の鍵は、お沼を安心させる為渡して遣ったから、俺は裏門を乗り越えた。」
 櫓「俺もよ。だけれど働いて居るうちにお沼が表門から来るかも知れない。爾(そう)なると面倒だからお前は表門へ行って、鍵だけでは開かない様に内から閂(かんぬき)を差し込んで来なよ。」
 泥「その様な事を言って俺を出して遣り、其の後で金貨だけ独りで攫(さら)って逃げようとしても其の手は喰わぬ。」

 櫓「ナアニ独りで攫(さら)う事がどうして出来る。凡そに見積って見な。薔薇夫人が四十年からも倹約し、一切の身代を売り払って溜めた金貨だ。少なくても五百万以上はある。此の床下には一杯に満ちているぜ。其れを独りで担げるものか。早く表門へ往って来なと言うのに。」

 泥「ナアニ、表門からお沼が来ても俺は少しも恐ろしくは無い。アノ様な女の一人二人、グズグズ言やア絞殺しても知れた者だ。」
 櫓「お沼は俺だって恐(こわ)くは無いが、来る位なら息子の腕八を連れて来るに違い無い。腕八は十人力も有る乱暴者だぜ。」
 腕八と云う名を聞いては泥作も聊(いささ)か驚き、

 「其れは知って居るよ。だがナニ腕八は昼間の調練に疲れ、今頃は居酒屋へ入って居て、酔い倒れて眠って居るワ。酔いが醒めるまで来る気遣いは無い。それともお前が表門へ自分で往けば好い。」
と欲と欲との争いで、到底決せず。終に表門の用心は捨て置いて、先ず床を開くこととなり、二人必死の力で、槌を揮い始めたが、床の段々毀れるに連れ、塵埃り立ち昇って、押入れの中にまで入って来たので、老婢お律は升(そ)を吸い込んでくしゃみを催し、堪(た)えようとしても堪(た)えられず、口に手を当て固く押さえて非常に術無(せつな)くも声を洩らすと、櫓助泥作は、忽ち聞き耳を立て、

 泥「何だか声がしたぜ。」
 櫓助は恐ろしさに我慢できないと言った小声で、
 「何だか女の声だ。白布の後ろから聞こえた。」
 泥「夫人の死骸が生き返ったかナ。」
と両人顔を見合すばかりだったが、こうしてばかりは居られないと見てか、

 泥「愈々生き返って居るのなら二人で撲り殺して仕舞おう。保田老医が先刻既に死んだ者と見届けて立ち去り、其の上死亡届けまで済んで居るから、殺しても誰も疑ふ者は無い。」
 櫓助は震える声で、
 「其れは爾(そ)うだ。ではお前殺しねエ。」
 泥「己独りでは厭な事だ。一緒に遣ろう。サアお前が先ず幕を推し退けて見なよ。夫人が寝台の上へ起き直って座って居るかも知れぬ。」
 櫓「イヤ、お前に遣って貰はう。」
と言って互いに譲り合い、唯立ちすくむ儘(まま)、動くことも出来ない有様だったが、此の時又も戸を開いて此の室に躍り込んだのは、長(たけ)六尺も有る大男で酒気粉々と匂えるは今しも二人が噂した十人力の腕八とやら云う男である。

 二人は更に驚いて、
 「ヤ、ヤ、腕八」
と一斉に叫んだが、腕八は酔った眼に両人を等分に睨み、
 「何だ、泥棒奴等、俺を出し抜き二人で薔薇夫人の大遺産を掻き攫(さら)う積もりで。」
 櫓助は謝(わ)び入る様に、
 「爾(そう)じゃ無い。お前の来る迄に床だけ開いて置こうと思ふて。」

 腕八は嘲笑ひ・
 「フム、床の下から金貨が出れば、手を附けずに直ぐに俺を迎へに来ると云ふ親切だったのか。其れならば許して遣る。サア仕事しろ。仕事を。」
と云ったが、二人はまだ死骸の生き返ったのを気遣い、立った儘動きもしない。
 腕「手前等は何を恐れて立って居るのだ。」
 泥「何だか死骸が生き返ったかと思はれるから。」
 腕八は無造作に手を延べて寝台の幕を排(ひら)き、夫人の死骸に指(ゆび)指して、

 「ソレ見ねえ。チャンと死滅(くたばっ)て居るじゃ無いか。俺も手伝うから其の空いている道具を貸しねエ。」
と云ひ、一丁の斧を取り上ぐるに、二人は死骸の異常無きに、さては今しも女の声を聞いた様に思ったのは全く何かの間違いだったかとやや安堵はしたけれども、更に又腕八に獲物を丸鳥にされるのが気遣はしく、

 泥「だが腕八、獲物は三人等分だぜ。」
 腕八は悪事に慣れたる男だけに、
 「その様な事は、云はずとも極まって居らア、三つに分ければ後々まで苦情が無く、互いに隠し合うから安心だ。」
と云い是で又も床破りに取り掛かったが、三人の力で漸く其の板がハガレたので、泥作先ず提灯を翳(かざ)してその下を覗き、
 「有るぞ、有るぞ袋に入れて。」
 櫓「成るほど、ズックの大きな袋だ。」

 腕八は 
 「ドレ」
と云い、自ら大将の位置に立って、二人を押し退け、それを鷲掴(づか}むみに引上げようとすると、袋は年数の為に朽ちて、中の重みにバラバラと破れ、中の物はその儘落ちたので、腕八更に透かして見て、大胆不敵の根性にも似合わず恐れ叫び、
 「ヤ、ヤ、ヤ、黄金ではなく骸骨だ。こやつは気味が悪い。長剣(サーベル)に刺し殺され、骸骨の癖に勲章を附けて居るワ」
と言って飛び退いた。




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