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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」              涙香小史 訳

               第五十六回

 弥生に別れて獄室の外に引かれて行く小桜露人の心の中は如何(どの)ようであるだろう。彼何もかも断念(あきら)めて唯死刑をのみ待っている身で、一度弥生が未だ生き存(ながら)えている事を聞き、面会までも許されたので、切(せめ)ては形ばかりの婚礼をして、夫婦と言ふ名を帯びて共に死にたいと、其れを唯一つの望みとし、

 此(こ)の望みさえ叶ったならば、此の上無い幸福であると、深く喜こんだのは少しの間で、忽ち弥生の口から他に愛情を許した人があると聞く。その人は我が敵にして弥生とは唯一朝の知り合いである。如何(いか)にその人と共に死生の境を辿(たど)ったとは言え、我が身としても弥生の為には命を捨てようとした事は幾回あるか知れ無い。

 幼い頃から同胞(はらから)も及ば無い親しさで誰の目にも末は夫婦と思われる程の仲だったのに、其の望みが成し遂げられないとは如何(どれ)ほど恨みに思う事だろう。而(しか)も露人は弥生に向かって恨みがましい一語をも発せず、却(かえ)って弥生がその人と末永く幸福に世を送る事を祈り、我が身が生き存(ながら)えていては、弥生が生涯晴れて其の人と添うことさえ出来ないだろうと、我が身を殺して弥生を助ける事に決した。この様に憐れむべき境涯が又と世に有ろうとは思われ無い。

 しかしながら弥生の方にも、心の中には露人よりもっと切無い所があっる。露人が立ち去ると共に気絶して、撞(どう)と床の上に倒れたが、露人は室(へや)の外から此の音を聞き、
 「アレ、弥生が」
と打ち叫び、再び室(へや)の中に馳せ入ろうとする様に、堅いその戸に縋(すが)り付いたが、腕八は慌ただしく之を制し、

 「ナアニ、余(あんま)り話しが過ぎたから、心の弱い女の身だけに、気絶して仆(たお)れたのでしょう。冷たい床板の上だから、放って置けば朝までに自然と息を吹き返えしますよ。」
と云い、無慈悲に露人を押し退けた。露人は之に抵抗する力も無く、半ば精神錯乱の有様で四、五間(7~8m)引き立て去られたが、又気を取り直し、先に思い定めた様に、己れは死んで弥生を助ける道を求めようと、腕八に向かい、

 「貴方は或る人から私を助けよと頼まれて居るのでしょう。私を殺してその代りに弥生を助けて下さい。弥生を助けさえすればその人が必ず私を助けたと同様の報酬をしますから、イヤ、其れよりももっと報酬を多くする様、私がその人へ手紙を認(したた)め、それを貴方に渡しますから。」
 腕八は先に露人を説いた時とは打って変わった程冷淡な調子で、

 「イヤ、たとえ貴方を助けて呉と頼んだ人があるとしても、私はその人が弥生嬢の為には報酬を出さないと思います。」
 露「いずれにしても私は最(も)う、助かる心は無く、死刑を受ける決心なので、貴方が私を助けて報酬を得る道は有りません。」
 腕「では私も断念(あきらめる)丈です。弥生嬢を助けても報酬が手に入る見込みは無いのですから。」

 露「爾(そう)言わないで如何(どう)か弥生だけを助けてください。弥生を助けて縄村中尉に逢わせれば、必ず両人から袋の中の秘密を知らせますから。」
 腕八は既に露人が袋の秘密を知らない事を見て取ったので、彼から何事をも聞く必要は無く、
 「イヤ、静かにしなければ牢番に聞き咎められます。」
と云って、背後の方を指さした。露人も振り向いて見ると、成る程背後から少し離れて先程腕八と共に其の身を護送する様に弥生の室(へや)まで連れて行った牢番が、非常に静かに従って来つつ有る。仕方無く口を噤(つぐ)んだが、再び何事をも言い出す機会が無く、其の儘(まま)元の牢屋に元の様に閉じ籠められた。

 露人を閉じ籠め終わって腕八は牢番にも別れ、己が宿を指して帰りながらも、更にあれこれ思案して、
 [フム、如何(どう)も袋の秘密は誰も知って居る奴が無い。弥生を救い出して縄村中尉へ渡し、其の報酬として袋の秘密を聞き取る一方しか無いかも知れない。併(しか)し縄村中尉は中々手強い相手だから、中尉が弥生に付いて居れば、俺は如何(どう)しても遺産の半分しか取ることが出来無い。半分よりは丸々取り度(た)い。

 如何(どう)にかして弥生を助けずに旨(うま)い工夫は無いだろうかか。待てよ。今の話では弥生は中尉を愛して居るけれど、露人を愛しては居ない。恋人が出来れば恋人より外の人へは何もかも隠すのが女の常だ。其れだから弥生は露人に何事をも話さ無いのだ。話さ無いけれど実は秘密を知って居るかも知れ無い。好し好し、明日になり、最(も)う一度手段を施して見よう。」
と思い出した様に呟(つぶや)くのは如何(どの)ような手段であろうか。



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