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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」              涙香小史 訳

               第五十八回

 弥生は露人と獄中に面会した翌朝、毎(いつ)もの如く神に祈りを捧げつつ有ったが、又この所へ腕八が入って来て死刑の場へ引き出された。
 嬉しい、死んでこの世の苦痛を逃れることが出来る時が来たと、却(かえ)って喜ぶ程だったが、死ぬ事が出来る時が来たのでは無くて、実は責め苦しめる為に引き出されたのだ。他の囚人が死刑となる恐ろしい有様を見させて弥生の心を動かし、袋の秘密を吐かせようとする腕八の最後の手段である。

 この朝は一天薄く曇り、吹く風に異様な寒さが有った。何と無く身震いさせられる様な陰気な日で、恐ろしい死刑に又一種の物凄さを添えているようだ。刑場は獄からそれ程遠くは無い広場に在る。広場の中央に足踏み開いた様に立つ柱は仏国名物の一にも数へられる首切り台にして、上には鋭い刃が懸かり、下には様々な装置が備え付けられている。

 其の四辺(あたり)には死刑執行人を初め其の手下及び獄の役人などが並び、更に其の外は一隊の兵士が銃を肩にして警備している。死刑の執行はこの時まで日々既に一ヶ月の余も引き続いているとは云え、市民は無惨な有様を見るのに飽きず、非常に多くの人が集い来ている。首切り台の方に向かって爪先立っているのは必ずしも人の殺されるのを面白いと思うだけからでは無い。

 親の死体を見失うまいとする子も有るだろう。親友の刑せられるのを悲しんで見届け様とする人もあるだろう。なので群衆の騒がしい声の中には泣く声、咽(むせ)ぶ声様々で、その傷ましい事は言いようが無い。この様な中にもこの日最も人の噂に登り、永く憐れを留めたのは貴族メテリー家の娘四人である。

 姉は二十一歳、次は十九歳、又次は十八歳、第四女は十六歳で、この四人、この日を以って殺され様としている。其の罪をを問うと、勤王軍の落ち武者を匿(かくま)った事があるだろうとの容疑で家の主は一ヶ月前に刑せられ、其の罪は生き残る四女にまで及んだものだ。メテリー家四人姉妹の死刑とは後々まで言い伝えられていて、今もまだ世の人の知る所であるが、この四人に次て最も人の憐れみを引いたのは弥生である。

 「アノ様な美しい囚人を。」
と云い、
 「アノ様な若い女を。」
と言う声は、刑場の一方に立っている弥生の姿を見る人が皆発した所であったが、弥生自らは今更悲しむ所も無く、口の中で神に祈りながら、身動きもせず立つ様は石を刻んだ美人像にも似ていた。

 当時仏国(フランス)の政府は所謂共和政府で貴族を憎むこと甚だしく、同じ死刑を行うにも平民を先にし、貴族の囚人は後に廻し、充分他の無惨な死に様を見せしめて心に恐れを抱かせ、其の上で之を殺す定めだったので、四人姉妹も最も後に廻された。

 そもそもこの姉妹は捕らわれてから既に一月余を経たが、囚人教戒の為に雇われる僧侶ベナードと云う人が、その妻と共に深く之を憐れみ、典獄(監獄所長)に頼んで己の家に連れて行き、客分の様に取り扱い、一方では頻(しき)りに其の放免される事に尽力し、既にこの朝もその僧侶自ら共和政府の代表者市長カリアーの許に行き、たとえ今日一日だけでも此の姉妹の死刑を延ばして欲しいと頼んだが、市長は一言の下に叱り附け、どうしてもと言うなら汝も共に死刑にすると云うので、僧侶は非常に落胆し、力なく帰って来たが、自ずから姉妹に向かって、死刑の時が来たと言い聞かすことは出来ず、妻に其の事を頼んだが、妻も泣く泣く姉妹の部屋に行き、四人に別々に唇礼を與えた末、

 「貴女がたは最後の時と為りました。」
と口篭りながら言い出すと、四人は直ちに其れと悟り、中でも長女は立ち上がって、私共は何の罪を犯したと認められているのでしょう。捕らえられたまま尋問さえ受けませんので、何の言い渡しも無く、爾(そう)して此のまま殺されるのでしょうか。女ながらも余りの不当に服す事が出来無いと、腹立たしさに是だけは言ったが、後は唯死刑の恐ろしさに四人顔を青くして部屋の真ん中に抱き合って固まった。

 僧侶の妻は涙と共に、
 「市長カリアーが如何(どう)しても聴(き)か無い相です。」
此の方もやっと是だけを言い終わると、市長カリアーの名は当時鬼の様に恐れられる所であったが、四人も是までと思い、再び一語をも争わず、直ぐに膝を折って神に最後の祈りを捧げたが、何(いず)れも信念の固い身だけに、祈り終わると少しの未練も無く、更に声を揃えて賛美の歌を歌い始めた。

 この様な所へ死刑執行人の助手、早や四人を引き立てようと入って来たが、十六歳になる第四女は指輪を抜いて僧侶の妻に與(あた)え、
 「是が形見の記(しる)しです。私共は直ぐに天国で逢いますから心に恨みも憎しみも有りません。」
と云い又も賛美歌を歌いながら引き立てられ、一筋の縄に四人繋(つな)がれ刑場へ出たが、刑場で弥生の立っている前を通ると、四人は弥生をも同じ死出の途連(みちづ)れと思ったか、目礼して過ぎると、弥生も静かに目礼を以って答えた。此の様を見て満場涙しない人は無かった。



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