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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」             涙香小史 訳

               第六十三回

 小桜露人を客室(ケビン)へ入れずに、他の罪人と同じく船底へ叩き込もうと云うメイソンの言葉には腕八只管(ひたすら)に当惑し、空しく前後を見回すと、一方には乱暴な黒兵衛が早や斧の柄に手を掛けて暴れ出そうと身を構えている。何とか此の所を滑らかに調和しなければ今までの計略が全く水の泡に帰してしまう。だからと言って急には思案も浮かばないので、兎に角も一時メイソンを騙(だま)そうと腕八は其の前に立ち、

 「コレ同僚、その様な事は如何(どう)でも好い。此の川風の寒いのに酒が無くて凌(しの)がれるか。一杯飲んでからの相談にするのが好いだろう。」
と云い、早や火酒(ブランデー)の瓶(びん)を持って来て、杯をメイソンに差し付けると、
 メ「己(おれ)は一杯遣って来たが。」
と云いながらも酒飲みの癖として、酒を侑(すす)める人に不機嫌な事は出来ず、
 「では呑んだ上の事に仕ようか。」
と云って杯を受け取ると、腕八は心の中に占めたト呟(つぶや)き、

 「イヤ少しばかりの酒は直ぐ川風に醒めて仕舞う、仕事の済むまで体を温かにして置くには日頃の二、三倍は呑まねば了(いけ)ない。」
と言ってメイソンの息継ぐ暇も無い程に引き続けて酒を注いだ。
 この様な間に腕八は忙しく考え廻し、小桜露人を助けるとの約束は唯黒兵衛の持って居る金貨を巻き上げるためで、其の金貨さえ我が手に入れば小桜の一命は如何(どう)でも好い。寧ろ彼を黒兵衛と共々に亡き者とするのが後々のためだ。

 だからと言って黒兵衛の金貨を巻き上げるには、約束の幾らかは実行し、小桜を船の客室へ入らせるだけには運ばねば成らい。金貨は客室の入り口で受け取るべき約束なので、何としても、メイソンから特別に小桜だけをケビンへ入れるべき指図を得るのが肝腎だ。彼は船長と同じく前後も知ら無い迄に酒に酔えば指図の権、自ずから我が身に移るが、爾(そ)うで無ければ事は甚だ困難だ。如何(どう)したら好いかなど様々に思い廻らせ、酒も火酒瓶(ブランデーびん)を取り、
 「サア、酔え、酔え」
と云い差し出だすと、メイソンは手振りで押し留め、

 「待てよ、腕八、爾(そう)酔っては指図も出来ない。先ず役目だけ済ませて置いて、其の上で緩々(ゆるゆる)呑もう。サア先刻己(おれ)が言った通り此の囚人から順に二十人だけ船底へ入れて仕舞え」
と云ひ又も小桜露人に指さすのは生酔い本性違わずとの譬(たと)え通りだ。腕八はなかなか返事も出なかったが、一方には再び黒兵衛が斧の柄を握って、イザと云えば立ち上がる勢いを示して居る。腕八は苦しくも一思案を廻(めぐ)らせて、メイソンを少し離れたる所に連れて行き、

 「コレ同僚、お前の様に船底船底と言っては大事な面白み無くして仕舞うでは無いか。船底へ詰め込んで一思いに殺して何の面白みがある。様々に苦しめて彼等の藻搔(もが)く様や泣く声を肴にして酒を飲むので其れで水遊会と名を付けて有るじゃ無いか。」
と残忍極まる事を以ってメイソンの心を動かそうとするのは所謂「人に由り法を説く」者で、腕八の究極の知恵である。

 「其れはそうだが最う別に面白い殺し方が無くなったからサ。」
 腕「所が有るよ、ソレ彼方に斧を持った大きな男が居るだろう。」
 メ「フム、居るよ。那(あ)の剛(こわ)らしい船大工か。」
 腕「爾(そ)うサ、彼奴(きゃつ)め何者か分から無いが、全くは囚人の中の一人を助ける積りで、アノ様な姿をして此の船へ乗り込んで居るのだ。」
 メイソンは怒ろうとして、

 「爾(そ)う分かって居れば何だって此の船へ乗り込ませる。」
 腕「其れがこっちの計略よ、初めから話さないと分から無いが、彼奴(きゃつ)は先刻桟橋の所へ来て、己(おれ)に幾千両の賄賂を遣るから船大工の積りで船へ乗り込ませろと言い出した。お前も知っての通り、今までも度々有る例だから己は其の賄賂を巻き上げて、爾(そう)して彼奴(きゃつ)を他の囚人と同じく殺して遣ろうと思ってーーーー」

 メ「待てよ。賄賂は己(おれ)にも分けるだろうな。」
 腕「其れは無論サ、山分けサ。」
 メ「ヘン、この野郎、自分一人で旨(うま)い事をする積りで居たのか、爾(そ)う行か無い事に成ったから仕方無く己に打ち明け、無論山分けサなどと体の好い事を云うぜ。しかし先(ま)ア山分けなら我慢出来る。其れからどうした。」

 腕「だから彼の偽大工と彼の目指している囚人とを俺に全然(すっか)り任せて貰い度い。」
 メ「任せたなら如何するのだ。」
 腕「実は俺が彼に向かい、貴様と目指す囚人とを上等客室へ入れて遣るから其の斧で客室の窓を切り開き、其処から水へ飛び込んで逃げて仕舞えと云い付けてある。爾(そう)して賄賂は上等客室へ入る時に俺に渡せとこう約束して有るのだ。」

 メ「爾(そう)して若し本当に客室の窓を切り破って彼奴(きゃつ)と其の囚人とが逃げて仕舞えば如何(どう)するか。」
 腕「大丈夫だよ。俺は最う客室の中で如何しても窓の破れ無い極堅固なのを見つけてある。彼が其の中へ入り窓を破ろうとしているうちに船は段々沈むから、彼がアノ大きな体で客室の中で暴れたりもがいたり、又罵(ののし)ったりする様を外から聞いていれば随分面白いぜ。今迄に無い酒の肴だ。俺はたとえ賄賂が無くともアノ様な頑丈な奴を客室へ閉じ込めて、丁度落し穴に落ちた獅子が怒り狂う様に怒らせ狂わせ度(た)いと思って居た。それを先から賄賂を出してしようと云うからこれ程面白い事は無いだろう。」

 メイソンは初めて合点し、
 「フム、面白い、面白い、賄賂などは如何でも好い。彼奴(きゃつ)が暴れ狂うなら本当に見ものだろう。遣っつけて見ろ。」
と云い、茲(ここ)に非常に邪悪な相談は纏(まと)まった。



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