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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道後編 一名「秘密袋」              涙香小史 訳

               第七十二回

 黒兵衛が現れて来たのに、腕八は驚き恐れ一方へ飛び退いた。縄村中尉は之に引き替え非常に安心した様子で、
 「オオ能(よ)く無事に茲(ここ)へ来られた。俺は再び舟を漕ぎ出そうかと思って居た。併し小桜氏は遂にーーー。」
と云い掛けると、黒兵衛は悄然とし、

 「オオ、露人様は終にその死骸が分から無い。俺は十四、五回も水底に潜(もぐ)り入り及ぶだけ捜したけれど、如何(どう)しても見当たら無い。尤も当人が全く死を決して沈んだから今更何とも仕方が無い。俺は余り忌々(いまいま)しいから、せめては露人様を助けると云う約束で俺を欺いた腕八でも絞め殺して、此の腹を癒(いや)そうと思って茲へ来たのだ。」
と云い早や逃げようとする腕八の首筋を捕らえ、足許に引き据えた。

 腕八は苦しい息で、
 「許せ、許せ、俺は何もお前を欺きはし無い。小桜氏を助ける為及ぶだけ力を尽くし、一々約束通りにした。それなのに小桜氏が死んだのは俺の落ち度では無い。」
 十人力と云われる身も黒兵衛の力に遭(あ)っては、殆ど身動きさえもする事が出来無い。

 黒「何だと、俺たちを欺か無いだと、好し好し、爾(そ)う言うならば確かめる。全体貴様等の戴(いただ)く共和政府は人を殺すのに何の取調べも尋問も用い無いけれど、俺はその様な理不尽な事はしない。全体貴様は何処(どこ)を以って約束を守ったと云うのだ。」

 腕「約束通り俺の尽力でお前と小桜氏を船の客室(キャビン)へ入れて遣った。」
 黒「云うな、云うな。客室へ入れたのは、俺と小桜様を其の中で殺す積りであったのだ、俺は何も客室へ入れてくれとは頼みはしない。小桜様を助けて呉れと頼んだのだ。然るに貴様が客室へさえ入れば窓を破って逃げられると云ったから俺は其の言葉を誠と信じ、喜んで客室へ入ったが、見れば破れ船の客室中で最も狭く最も堅固に出来た一室で、斧を振り回す余地さえ無い。唯幸いメーソンの気が変わり死際の婚礼などと云う非道の考えを起こしたから其の室から引き出された様な者の、若しメーソンの気が変わらず貴様の定めた通りにすれば、俺も小桜氏も客室の中で嬲(なぶり)殺し同様の目に逢う所だ。何でも貴様の目的は賄賂の大金を欺き取り、爾(そう)して俺を殺す積りで有ったのだ。」
と厳重に言い渡すと、

 腕八は最早言い逃れられ無い所と縄村中尉を呼び、
 「中尉、中尉、如何(どう)か私を助けて」
と言って四苦八苦の声で呼ぶと、中尉は今迄黒兵衛の為すが儘(まま)に任せ置いたが、初めて口を開き、

 「オイ黒兵衛、俺に免じて暫(しばら)く其奴の命を助けて呉れ。」
 黒「何で貴様に免じて。」
 縄「イヤ俺から腕八へ報酬すべき事が有る。其の報酬が済ま無いのに其奴を見殺しにしては報酬を惜しんで人一人殺す様にも当たるからさ。」
 黒「その様な事情が有るなら暫く其の報酬が済むまで命を貸して置いても好いが、報酬とは何の報酬だ。」

 縄「此奴が俺へ対しては約束通り弥生嬢を助けたから其の報酬だ。」
 黒「何だ腕八が弥生嬢を助けただと、嬢様は露人様と括(くく)り合わされ水の底へ投げ込まれて、俺が直ちに続いて飛び入り、御両人(ふたり)を抱き上げて来なかったなら嬢様は如何(どう)して助かっただろう。」

 縄「イヤサ貴様が助けたのは無論の事だ。併し腕八の舟が居なかったならば、貴様も重荷に耐え兼ねて終には弥生嬢を水中へ捨てるに至る所で有っただろう。」
 黒兵衛は此の語を聞き、全く其の身が一時は弥生を捨てる外無しと決心した事を思い出し、少しも我が心を飾ることが出来ない性分から、
 「フム、成る程、それには違いない。俺は嬢様を捨てて露人様だけを助けようと思っていた。アノ時に、爾(そ)うだ貴様が腕八の舟に乗り遣って来なければ、嬢様は死んで居るワ、爾(そ)うすれば幾等か此奴の手柄も無いでは無い。」
と言って漸(ようや)く納得する様子だったが、やがて頷(うなづ)き、

 「好し、命だけは許して遣る、その代りサア先刻俺から贈った賄賂を返せ、」
 腕八は金と命とどちらが大切であるかを急には判断する事が出来ない程の欲深い男なので、猶(な)お縊附(しめつ)けられている苦しい息で、
 「アノ金は俺が自分の働きで稼いだ金だ---。」
 黒「俺から欺き取ったのを、自分の働きと云い稼ぎと云うのか、その様な事を云うならばコレ斯(こ)うだぞ。」
と、首を握っている手を引き締めると、中尉は又も言葉を添へ、

 「黒兵衛、貴様は意地悪が過ぎる。既に命を助けて遣ると云った以上は男らしく助けてやれ。爾(そう)して外の話は、後で腕力を用いずに穏やかにするが好かろう。
 黒「ナニ此の野郎は腕力を用いずに話の届く男では無い。俺は自分が一身なら是位の金は欲しくは無いが、差し当たり梅田嬢を養育しなければならない。其の養育には金が要る。」
と云う。

 中尉は梅田嬢と云う名を聞いて、成る程黒兵衛がかって戦死した梅田士官とやらの一女だと言って愛らしい少女を砲車に載(の)せて己(おのれ)の食料をすら分けて之に与えて居た事を思い出し、其の鬼の様な姿の底に仏の様な慈悲(めぐみ)の心を包んでいることを感じ、

 「それでは最もだ。腕八その金を返して遣れ。ナニ、返さなければ己(おれ)も力を添えて貴様の首を引き抜くぞ。」
と云うと、腕八は仕方が無く、先刻黒兵衛から受け取った腹巻をそのまま黒兵衛に返した。黒兵衛はは之を得て、

 「フム命冥加(みょうが)な奴だ。」
と云って突き放すと、腕八は命を拾った嬉しさよりも金を取り返された腹立たしさに、何か此の恨みを晴らすべき工夫は無いかと、空しく四辺を見廻して居たが、丁度そこへノソリノソリと彷徨(さまよ)って来たのは、先に放って捨てた猛犬ラペである。腕八は直ちに此の犬に恨みを移し、

 「エエ、己(おのれ)さえ以前の通りならば己(おれ)がこの様な目に逢いはしないのに。」
と呟(つぶや)きながら足を上げて之を蹴ると、ラペは全く狂犬と為ったのか、養われた恩を忘れ無い其の本性を失って、酷く腕八の足に噛み付いた。



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