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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第七十九回

 何に就(つ)け彼(か)に就け困難ばかり多い旅なので、一行の進みは甚だ遅く僅(わず)かに三、四日程の道を、既に一週日費やして未だ行き尽くすことが出来ない。早く大金を手に入れたいと焦慮(あ)せる腕八は幾度か中尉に向かい、

 「この様な事ならば南都を立つ時、大川の尻から舟に乗り、波の上をすべった方が幾等優(ま)しだったか知れません。舟ならば二昼夜とは掛りません。」
と云う。中尉は、
 「その様な事を言っても仕方が無い。全客の出入を詳しく検(あらた)める此の頃の厳しさと云い、我々は公然旅行の出来無い身だから。」
と答えると、

 腕「イヤ通例の船は出帆の時、厳重に調べられますが、何の調べも受け無い漁師の舟があるのです。グランビル辺の漁師が商人に頼まれ、商品を積んで常に此の海上を往来します。勿論客を載(の)せる舟ではないからその筋の検査も無く、其の船頭達は中々親切なところがあって、頼めば無賃で乗せて呉れる事さえ有ります。」

 縄「その様な者が有るとしても、今更南都へ引き返す事も出来無い、此の上幾日掛ろうとも此の困難な旅行を続ける外は無い。」
と中尉が説くと、黒兵衛も傍らから、
 「ナニ腕八が夫(それ)ほど海が恋しいいならば何も我々に遠慮は無い事、一人で南都へ引き返し、その様な都合の好い舟へ乗れば好い。」
と言葉を添えなどし、時ならぬ笑ひに辛さを紛らす事も有り。

 南都を立ってから八日目の夜の八時頃、漸(ようや)く緑の湖の手前に在る小山を越えた。之を越えては緑の湖、殆(ほとん)ど眼前に横たわり、鏡の様な其の水は、白い朧夜(おぼろよ)の天を映し、灰色に光っていたので、中尉はホッと安心して黒兵衛に向かい、

 「サア、愈々(いよいよ)我々の旅は一段落と為った。向うに光るのが緑の湖で、浦岸老人の住居は、此方(こちら)から言えば向かい側に当たるのだ。」
と云って坂を下ると、腕八は聞き耳を立て、

 「オオ、今までは唯グランビル市を指して行くと言うだけの事でしたが、浦岸老人の許(もと)へ行くのですか。爾(そ)うでしょう、アノ老人は私の叔母薔薇(しょうび)夫人の水領の番人を勤めた男で、深く夫人に信任されて居ましたから、私も、何でも夫人の大金は彼奴(きゃつ)か老婢お律か、保田老医か、此の三人の中が夫人から頼まれて隠したに違いないと思って居ました。」
と云う。

 中尉は我が言葉が過ぎて早くも秘密を腕八に覚られようとしたのを悔やんだが、今更仕方が無いので、
 「その様な余計な事を言わずに、俺のするが儘(まま)に任せて置け、知らせて好い時が来れば、知らせて好い丈の事は知らせて遣(や)る。自分から出しゃばって余計な事を為(し)たり言ったりすると、貴様の不利益だぞ。」
と窘(たしな)めた。

 其の中に黒兵衛が、
 「エエ、此辺(こっち)来ると先日の敗軍を思い出して気色がが悪い。せめて追いはぎでも出て呉れれば、腹いせに首根っこを引き抜いて遣るけれど。夫(それ)とも腕八を捕らえて俺の力を見せて遣(や)らふか。」
と云い、馬を腕八の方へ寄せると、戯れとは知るが腕八は恐れ戦き、周章(あわてて)一方に身を避けると、黒兵衛は其の儘(まま)馬を一行の先に出し、先駆(さきが)け人の有様で進んで行くが、敗軍のはらいせなのだろう。

 湖畔を幾町(数百m)をか進むと、浦岸老人の小屋に焚く火が、先の夜見たほど明かるく無い。光が弱く何と無く陰気なのは、住む人が眠った為ででもあるだろうか。水に映る火影(ほかげ)が長く引いいているのは世に言う人魂の形に似て、無常を知らせるかと疑われ、物寂しいと言ったら言いようが無い。この様な中に、行く手に当たり忽ち一声。
 「何者だ」
と聞えるのは、黒兵衛の叱る声である。さては彼、望みの如く追剥にでも逢ったのかと、怪しく思って耳澄ますまでも無く、

 「怪しい者では有りません。」
などと詫(わ)びる声、子供の音調で、中尉にも弥生にもどうやら聞き覚えが有る声に似ていたので、両人は馬を早め其の所に行って見ると、黒兵衛は早や馬から下り、片方に馬の口を取り、片手に何人をか捕らえた所である。

 縄「黒兵衛、何者だ、誰を捕らえた。」
と云い、朧(おぼろ)に明るい夜の色に透かして見ると、捕らえられた者は非常に驚き、
 「オオ、縄村中尉ですか。好い所へ来て下さった。オヤ弥生様もご一緒に。この様な幸いな事は無い。」
と云う。

 弥生は此の声に応じ、
 「オオ、呂一か、コレ黒兵衛、此の小僧は少しも怪しい者では無い。呂一と言って永い間、私の道連れであった小僧だ。」
と云う。実に是は呂一である。彼はかってドール村の軍中で弥生と同じ輜重車(しちょうしゃ)に乗ったまま、腕八に引き浚(さら)われ、南都にまで連れて行かれて何時の間にか逃れ去ったとの事だったが、単身で既に此の所に帰って来て居た者と見える。

 縄村中尉も素(もと)より此の小僧を知っているので、
 「オオ成る程呂一だ。貴様は如何して茲(ここ)に居た。」
 呂一は心せくように、
 「その様な話は後で出来ます。夫(それ)より先ず浦岸老人の許(もと)まで早く来て下さい。老人が死に掛かっています。ハイ死ぬ前に是非弥生様や縄村中尉に逢いたいと夫(それ)ばかり言い続けて居るのです。」
と云う。

 さては老人今将(まさ)に死のうとしているのか。此の老人に死なれては大変だと一同まっしぐらに彼の小屋に馳せ附けた。



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