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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」              涙香小史 訳

               第八十一回

 中尉は枯れ木の様に崩(くづ)れ折れる老人の肩に手を掛け、其の首を挙げさせて、
 「是れ老人、気を確かに持たなければ了(いけ)無い。是非とも聞き度い事が有って故々(わざわざ)私が来たのだから。エ、老人、お前は弥生嬢に逢い度いと言って居たそうじゃないか。弥生嬢も一緒だよ。茲(ここ)へ来たよ。」
と耳の傍に居て気を引き立てるが、老人は未だ見掛けほどは衰えて居ない気丈な声で、

 「イヤ御心配には及ばん、少し骨が折れる丈の事で、猶(ま)だ少しの間は生きて居ます。」
 自ら生きて居るとは言え、誠に危ない命で、何時絶え入るかも知れ無いので、余事は捨て置き、早く大金の在処(ありか)だけを聞こうと思い、
 縄「老人、、私と弥生嬢は薔薇(しょうび)夫人の遺言の事に就(つ)いて来たが、お前が夫人から大事な秘密を任されて居ると言う事なので---、」

 浦「ハイ、私が弥生嬢に逢い度いと思ったのも其の事です。肝腎の夫人の遺言状は何(ど)うなったか分から無いけれど、幸い私が其の文意を知っています。夫人自ら私へ読み聞かせ、之を守り袋に入れ、死んだ後で相応の人の手に届く様にして置くから、お前は斯(こ)う斯(こ)うして呉れと詳しく言い含められましたが、丁度戦争の騒ぎの時に夫人が亡くなられて仕舞いましたから、袋へ入れた秘密の遺言も何(ど)う成った事ですか。」

 縄「ナニ、其の袋は夫人の定めた通り弥生嬢の手に落ちて今は私が預かって居る。中の遺言書も読んだのだから何も永いこと言うには及ば無い。唯遺言状の目的とする夫人の遺産が何処に在るか、それをさえ言って呉れれば。」
と迫(せ)き立てると、老人は衰えた顔にも非常に嬉しそうな笑みを浮かべ、

 「アアこの様に安心した事は無い、何も彼も皆間違っただろうと思う事が、一つも間違わず、悉(ことごと)く定め通りに運んだとは、中尉よナニこうなれば、爾(そ)う急ぐ事は有りません。私にゆっくりと話をさせて下さい。私も最(も)う死際ですから心に在る丈の事を残らず話し、胸に秘密の無い様に、自分の気を軽くして死に度いと思います。永い話で其の順序を考えなければ成りませんから、まあしばし静かにして。」
と云い、ズッと落ち着いた様子である。

 斯る際にも周章(あわ)て惑はず、この様に心を取り静める所を見れば、如何(いか)にも大事を託するに足る剛毅の人で、夫人に秘密を任されたのもこの様な人である為だろう。
 縄「だが老人、お前の気持ちは何(ど)うだ。大丈夫か、その様な長い話が出来るか。」

 浦「大丈夫です。丁度話の終る頃が命の尽きる頃だろうと思います。若し半ばに魂(こん)が尽きればナニ話を縮めます。」
と云うので、中尉はやや安心し、更に其の身を扶(たす)け起こして、最(いと)も安楽な様に低い台を腰に充行(あてが)いなどすると、老人は炉の傍の棚に有る瓶(びん)を指差し、

 「先ず喉をを濡(しめ)らさせて下さい。」
と云い、中尉が取って與(あた)えるのを待ち、壜の口から其の儘(まま)に飲み込むのは何か興奮の作用のある飲み物と見え、微(わず)かに酒精の匂ひを洩らした。
 ややあって
 「アア是で気分も好く成りました。」
と云う。一息継いで語り出すのは、

 「イヤ思い出しても余り好い心持ちは致しませんが、薔薇夫人の身の上には仲々の秘密が有ります。私も悉(ことごと)くは知りませんが、それでも私の外には私ほど知った者は有りません。何も死んだ人の秘密を、好んで人に告げ知らすのでは有りませんが、是が私の努めです。ハイ、夫人の死んだ後では、物の道理の分かる人に、是非とも話さなければ成らない事に、私は言い附けられて居るのです、其の外に更に大切な仕事も有り、其の仕事は貴方がたにお頼み申して置かなければ成りません。」
と言って非常に重々しそうに前置きして、

 「先ず最も古い事から申しますが、薔薇夫人の身はグランビル市の漁師の娘で、仲々侯爵家の奥方と成られる素性では有りませんが、唯器量が好かった為、軽嶺侯爵に見初められ、奥方として迎えられたのです。其の時に薔薇夫人の為に仮親と為ったのが小桜伯爵で、今何処にどうされて居るか分から無い露人様の祖父様です。

 其の以前から軽嶺家と小桜家は余ほど親蜜で有ったと見えます。斯様(かよう)な訳ですので、薔薇夫人は非常に侯爵には愛せられましたが、少しも侯爵を愛する心は無く、唯侯爵夫人と云う立派な身分に成り度いと云ふ心ばかりで侯爵の妻に成って居たのです。身に充分の素性も無く、爾(そう)して好かぬ人の妻と為ったのですから、夫婦の間に間違いの起こるのは無理も無く、特に夫侯爵は海軍の士官を勤め、留守勝ちの身で有りましたから、間も無く夫人には密夫が出来、話すのも恐ろしい程の大間違いとは成りました。」



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