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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」             涙香小史 訳

               第八十六回

 恐ろしさに逃げ出そうとした私の首筋を捕えて、大尉は厳しく、
 「コレ貴様は侯爵に何と命ぜられた。早や其の命を忘れたのか。貴様の自ら見た通り決闘は何の詐術も無く公平に行われたが、侯爵の運拙(つたな)くしてこの通り斃(たお)れた。己(おれ)は素より侯爵を殺す所存は無く、剣道に掛けては遥かに侯爵に及ば無いので、自ら殺される者と覚悟していた。

 唯侯爵が病後の為か、日頃の半分も手足が利かず、足を滑らせ自分から己の剣先へ倒れ掛ってこの最後を遂げられたのは、貴様も家来の身として残念で有ろうが、己も敵ながら残念で仕方が無い。しかし既に終った事はどうしようも無い。この上は侯爵の言葉通りに此の死骸を埋めなければ成ら無い。侯爵とも言われる人の死骸を、普通の葬儀を行わずに、床下に葬るとは情け無い次第であるが、是も侯爵家の家名を保つ為には止むを得無い所だ。侯爵自らも左様に見て取った為、予め床下へ埋めよと命じたので有ろう。

 サア、貴様は早く、床を開く道具と土を掘る道具とを持って来い。己(おれ)が茲(ここ)に番して居て貴様の外には誰も此の部屋へは入れ無い。貴様は道具を持って来て戸を三度続けて叩け。夫(それ)を合図に内から戸を開けて遣る。」
ト叱り諭す様に言い付けられました。私は此の頃ヤット二十歳を越えたばかりの若者で、斯様(こん)な場合に分別は出ず、唯其の言葉に従って部屋を出て、鍬やのみなどを取り集め凡そ三十分ほども経て、其の部屋へ帰りましたが、大尉は私が出た時の通り身動きもせず死骸の傍に立って居ます。

 薔薇(しょうび)夫人も初めの通り顔を隠した儘(まま)、正体無く俯伏(うっぷ)して居られるのは或いは余りの事に気絶して居たかも知れません。私は大尉と共々に床板を開き、土を掘るなどして夜の十二時過ぎる頃に、漸(ようや)く其の仕事を終りましたが、その様な慌てた際の事なので、どの様に埋めましたか、きっと土なども充分には掛けて無かった事だろうと今以(もっ)て気に掛ります。

 茲(ここ)まで物語るのを聞いて来て、弥生は先きに老婢お律に連れられて、薔薇夫人の死骸の傍に行った時、悪人等が床を開いて、一個の死骸を掘り出だした事まで思い出し、今更の様に恐ろしさに襲われて首を垂れると、浦岸老人は是に構わず更に下の様に語り続けた。

 「私が出た後で、大尉も間も無く出て去った様子ですが、是からは大尉と薔薇夫人の間柄は全く変り、極めて真面目な関係と為りました。大尉は夫人の憐れむべき境遇を察してか、屡(しばしば)夫人の許(もと)へ慰問には来ましたが、毎(いつ)も昼の間で、其の帰りも夜に入るなどの事は無く、単に親切な友人として夫人の相談相手と為るに止まった様子です。

 夫人も又一夜の恐ろしい事件の為、浮気などの心は全く消え、唯最(も)う侯爵の死際の言葉に、夜も昼も魘(うな)される有様で、其の部屋から外へ自分の居間を移す事も出来ず、我が不義の秘密を、生涯の秘密として隠し果(おお)す為と見え、侯爵の死骸の上に寝起きして、お可愛そうな生涯を送りました。

 若し夫人と大尉とが、元々通りの交わりを続ける心が有ったなら、二人は夫婦と為る事も出来たのです。夫人の所夫(おっと)侯爵は英国より帰ったとは言え、其の帰った事は私の外に知る者は無く、全く政府から戦死者と報告せられた儘(まま)ですから、夫人は法律から言う通例の寡婦で、再び婚礼する事の出来る身分です。

 大尉も独身なので妻を持つのは容易でした。双方ともその様な望みは消えて仕舞い、陰気極まる人と為りましたが、中にも夫人は一切の情欲を金貨の方に集め、唯倹約して金を溜めるという外に何の念も無い人と為りました。

 尤(もっと)も決闘事件の有って後、幾月か経て、彼の英国で侯爵と共に捕虜と為り病院の庭で夫人の不行跡を侯爵に密告した腕八の父が放免されて帰って来て、薔薇夫人に強請(ゆすり)持ち掛けた事なども有りましたが、夫人は少しも取り上げず、その為其の者は世間に対して、軽嶺侯爵が戦死をせずに未だ生きて居たなどと言い触らしたけれど、素(もと)より信用の無い男の事なので、誰も真実とは思わず、一時は多少の噂と為ったが、其の噂も少しの間に立ち消えと為りました。

 以上の事だけは、私が侯爵から命ぜられた勤めとして、相続人である弥生様へお話申すのですが、是からは更に薔薇夫人の遺言の執行人として財産及び血筋に関する多少の事柄を申し上げます。」
と云い、暫(しば)らく心を推(お)し鎮(しず)める様子なのは弥生の素性を語り出す為ではないだろうか。



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