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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道後編 一名「秘密袋」             涙香小史 訳

               第八十八回

 南都の大川に身を沈め、溺死した者として弥生にも黒兵衛にも弔われ、縄村中尉にも悲しまれた小桜露人(つゆんど)が、溺死を免れただけで無く、此の浦岸老人の家に来ていたとは、天か運か、誠に人間の業とは思われない程の成り行きなので、此方(こなた)の三人は殆(ほとん)ど夢を見ている様に呆れ果て、又浦岸老人は其の何事なのかを理解出来ない様に話を止めて茫然として居た。

 頓(やが)て弥生は怪しがるよりも懐かしさが先に立ち、燃え残る灯火に、衰えた露人の顔を透かし見、我を忘れた様に転がり寄って、
 「能(よ)う先(ま)ア貴方は助かって居て下されました。兄さん。」
とかつて兄と呼んだ事の無い唇から、兄という言葉が非常に容易に流れ出たのは、全く天然自然の血続きは、争はれ無い者なのに違いない。

 露人は、
 「オオ弥生、妹か、妹で有るとも知らずーーー。」
と云い掛けて暫(しば)し言葉が途絶えたのは、我が妻にしようとばかりに恋慕っていた昔日の心の中が、この様な際にも未だ自ら咎められる気がする為だろう。

 黒兵衛も茲(ここ)に至って、
 「オオ、旦那様、旦那様」
と云って馳せ寄り、縄村中尉も、
 「オオ、恩人、能(よ)く助かって居られました。」
と云って擦り寄り、四人殆ど一塊の様に成って、唯再会の嬉しさに、歓極まって泣くばかりの有様だったが、ややあって縄村中尉は言葉を正し、

 「イヤ、南都の大川ではアノ通りの場合だったので、遂に貴方を助ける事が出来ず、貴方が沈んだ後で黒兵衛は幾回も水中に潜り、捜索の手を尽くしましたけれど、夜は暗くて底瀬は早く、遂に其の意を達する事が出来ず、全く溺死した者と断念(あきら)め、我々一同、今に至るまで残念の極みと思って居ましたが、真に何(ど)うして助かりましたか、又真にどうしてここまで来られました。

 露人は病み衰えて、此れに答える気力さへ無い程の状態だったが、不思議な境遇の為に一時、心が引き立って、音調も非常に確かに、
 「イヤ私は死を祈りましたが、天が未だ私を苛(いじ)め足り無いと見え、此の浮世へ再び引き戻されました。実は貴方の舟に助けられ様として黒兵衛の肩からすべり落ちた後、この身は何うなったか、僅かに底瀬へ巻き込まれ水勢に押し流された様には覚えていますが、それ以上の事は何の知覚も有りません。

 漸(ようや)く再び気が付いた時は、早や夜の明けた翌朝の八時頃です。身は川の底では無く、漁船とも商船とも附か無い船の中で、十四歳の若者に介抱されて居たのです。其の船が何の船か、きっと共和政府の溺刑の船で、私を再び拾い上げ二重のの死刑にでも処する積りで有ろうとこの様に思いましたが、問試みる気力も無く、身を横たえた儘(まま)で死運の来るのを待って居ました。

 其の中に幾分か気も確かに成りましたが、身体の過労の為か、引き続いて熱を発し、今が今まで病人で唯重くなるばかりです。今夜か明日か遅くも明後日頃までには病の為に死ぬだろうと断念(あきら)めて、イヤ寧ろこの世の苦しみを逃れるだろうと喜んで待って居ますうち、貴方がたの声を聞き、老人の異様な物語を聞き、私自身にも容易なら無い関係の有る事柄さえ聞きましたから、驚きの余り病苦を忘れて出て来たのです。

 さて私を助けた船は何であるか、親切に介抱して呉れた其の若者は誰で有るか、気分の好い折々に追々其の若者の話を聞きますと、船は当グランビル地方の漁船で、商人の為に雇われ、南都の川尻へ密航往復する者で、船が河尻へ停泊して居た所へ私が流れ行き、碇の綱へ死骸の如く引っかかったとの事で、其の時はまだ夜の明け無い時刻であったけれど、暗い中に出帆するが密航船の常で、丁度碇(いかり)を上げようとしている際だったので、其の若者が船乗り等に説き、漸(ようや)く私を引き上げたと言う事です。」

 成る程、此の話で思い合わせれば、グランビルと南都の間に、密航の漁船がある事は、腕八が此の地へ来る途中で屡(しばしば)話していた所で、彼が其の密航船に乗ら無かった事を悔いて居た事は中尉も黒兵衛も記憶して居る所だ。縄村中尉は思わずも感嘆の声を発し、

 「アア其の船の碇の綱へ流れ掛ったとは真に天運です。」
 露人は更に語を継ぎ、 
 「其れよりも更に天運と思われるのは、丁度其の船に若者が乗り合わせて居た一条です。若者が居なければ、私は綱へ掛った所で引き上げられもせず、仮令(たとえ)引き上げられた所で助けられはしないのです。

 段々若者の話を聞きますと、何(どう)でしょう、其の者は中尉、貴方にも知られて居り、特に弥生とは長い間、一緒に捕虜同様の境涯となり、一緒に南都へ連れ行かれた呂一と云う小僧です。」
 中尉も弥生も之には又非常に驚いて、一斉に、
 「エ、エ、アノ小僧呂一ですか。」



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