巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 3.28

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百三、「伯爵の巴里乗込」

 土牢に捕らわれて、心地よさそうに眠っているとは、見かけに寄らない大胆なところがなくてはならない。もっともパリーの紳士の教育は、どの様な恐ろしい場合にも気を引き立てて愉快そうに身を保つというのに主眼があるので、たとえ土牢の中にいても、はたまた断頭台の上にあっても、やはりこの風を装って居なければならない。そうでなければパリー紳士とは言われないのだ。一つにはこのような教育のためであろうとは言え、何しろ一同は武之助の眠っている様子には感心しないわけにはいかなかった。

 先に立った鬼小僧は、この寝顔をかき消すのは惜しいというように、しばらく武之助の顔を眺めた末、「子爵、子爵」と揺り起した。武之助は手を伸ばし、次に目をこすり、鬼小僧の顔を見て、まだ眠そうな声で、「オオ、誰かと思ったらやはりあの追いはぎ殿か、もっと寝かしておいてくれれば良いのに、丁度ブラシャノ侯爵の宴会でダンスをしている夢を見ていた。アア、肝心なところで起された。」と言いながら時計を出して眺め、「まだ一時半ではないか。夜も明けないのに何で起した。」

 鬼小僧;「喜ばしい吉報をお知らせする為です。貴方の身が自由になりました。直ぐにこれで帰って良いのです。」
 武之助はまだ眠む気が消えない。「ナポレオンが言ったじゃないか。吉報の為ならば決して俺を起すには及ばないと。エ、誰か身代金を持って来てくれたのか。」

 鬼小僧;「イイエ、そうでは有りません。見受け金よりも有力な、私の恩人が来られたのです。」
 武之助;「恩人とは誰だな。」と言いながらようやく頭を上げて眺め、「オオ、毛脛安雄君、必ず君が来てくれるだろうと僕は全く安心していた。君の親切はどんなに感謝してもし足りないよ。」
 安雄;「イヤ、僕では無い。巌窟島伯爵(いわやじまはくしゃく)だよ。今夜、ここに来てこの通り君を救うことが出来たのは全くここに居られる伯爵のお陰だから。」

 武之助は伯爵の名を聞いて、「エ、又も伯爵の恩になったのか。」と言いながら跳ね起きて、鬼小僧が持っているランプの明かり透かして見、「オオ伯爵、貴方がローマに居合わさなければ、このたびのローマ滞在は、何から何まで失敗に終わるところでした。」と言って真に感謝にたえない様に、鬼小僧の後について直ぐに土牢を出て、伯爵の手を握ろうとするように自分の手を差し出した。

 伯爵はその手を見て、非常に困ったように身を震わせた。敵(かたき)の片割れと握手する事は、心が咎めて許さないのだろう。けれど、しばらくして仕方がないと思ったのか、やっと手を差し出した。武之助はこれに気付かずに、熱心にその手を握り締めながら、ただその手の石のように硬くしてかつ冷ややかで、全く血管が通っていないようなものを握っているように感じたのは、後になって思い当たる時が来るまで、少しではあるが怪しんだところである。

 安雄の方は確かに伯爵が握手をためらった様子を見て取った。そうして何か子細が有るのではないだろうかと気づかった。しかし、この夜はこれだけで何事も起こらずにここを引き上げたが兎に角伯爵の親切と勢力とは深く武之助の心に印象を残した。

 さて翌日になって、昨夜の礼として直ぐに伯爵の部屋を訪問したが、伯爵はひたすら武之助の眠っていた勇気を褒めて、自分の親切はなるたけ些細な事のように言い消そうと勤めている。天晴れ紳士たる心栄えはこの一事にも見えているから武之助は益々心服の念を深くし、是非とも一度はパリーに来て我が父母にも、親しく礼を言わせる機会を与えられる事を希望した。

 武之助の父母と聞き、伯爵は、どの様に、またどれ程、心を動かしたか知れ無い。けれど日を経るに従って武之助のこの切望は次第に伯爵の心を動かしたと見え、いよいよ武之助がこのローマを立つ時には、伯爵からかたく武之助に約束した。それは、来る5月の二十一日午前十時半を、一分も違わずに伯爵自らパリーヘルダー街の子爵野西武之助の玄関を訪ねるということである。そうして武之助から伯爵への約束は、丁度その日のその刻限には社交界の有力な人を我が家に集め、来着次第に一緒に箸を取る様、食事の用意まで整いておくというのであった。

 アア、5月の二十一日、これが巌窟島伯爵のパリー乗り込みである。パリーに乗り込んでどの様な活劇が演じられるだろう。神より外に知る人は居ない。この約束が出来た後で伯爵は深く神に感謝した。実に何年何ヶ月、ただ一つの大いなる目的を達しようとする為に、この想像も及ばないほどの苦心をして、夜も昼も少しの油断もなく奔走し、計画し、世界の果てから果て、社会の隅から隅まで、材料を集め、準備を尽くし、今はようやく目的の戦場のパリーへ乗り込むまでに押し寄せた。

 これ等の過ぎ去った後を顧みれば、伯爵自ら自分の力で出来た事とは思わない。ひとえに神の助けとして真から感謝するほかは無い。更にこの上、神の力を請い願って、鬼人の外はなし得ないほどの大仕事をし終わらなければならない。ひたすら伯爵が神に祈るのは当然と言うべきことだ。

 武之助がパリーに立つのに臨み、伯爵は安雄に聞いた。「貴方はパリーに帰りませんか。」と、安雄は心密かにこの伯爵の勢力を恐れる事になった、この伯爵のパリー行きは決して自分の身に幸福とはならないと信じた。「ハイ、私は当分ベニスに留まっています。」と彼は答えた。そうしてその言葉のとおりにした。

第百三終わり
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