巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 3.31

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百六、「三個の碧精(エメラルド)」

 一同の前に立った巌窟島(いわやじま)伯爵は、年も三十四、五にしか見えない。ローマから三百里(1、200km)の道を旅して来た人であるけれど、着物は馬車の中で着替えたと見え、全くの仕立て卸(おろし)でごみ一つ付いていない。そうして帽子、手袋、襟飾りに到るまで流行の粋を集めたもので、たとえ、このまま朝廷の宴会に出ても差し支えないほどである。

 特にその顔の青白いところまで、貴族らしい自然の容貌を一層引き立てるように見える。随分、出部嶺や砂田伯爵は人の荒を見出すのには目が早い人だけれど、寸分の欠点をも見つけ出すことが出来ず、かえって自分の方にこの人から笑われるところが有りはしないかと、急に心配になって、自分の身なりを見渡した。
 この二人にこうまで感心せられるのは社交界の入場試験に合格したようなものだ。これから二人の口で噂(うわさ)は、最も尊敬すべき人として、至る所に広がるのだ。

 先ず武之助から一々この人々の名を言って伯爵と引き合わせたが、伯爵は森江大尉の名を聞いた時我知らず懐かしそうに手を差し伸べようとして、たちまち又何気ないような様子に返って。けれど、心は親が子に引かされるようにこの大尉に引かされるところが有ると見え、何となく大尉のそばを離れかねるような趣もあった。大尉もなぜか、今まで初対面の人に対して覚えの無いほどこの伯爵には心の底から打ち解けるように感じた。もし、何の妨げも無く思う通りにする事が出来る世の中ならば伯爵はこの大尉を抱き上げて、「オオ、この広い世にただ一人の愛すべき者よ。」と叫んだかもしれない。

 引き合わせがすむと、直ぐに武之助は言った。「サア、伯爵、お約束の通り食堂の準備が出来ています。直ぐに皆様と食堂に」伯爵はこの言葉を聞き、自分が少し遅かったのを非難されたように感じたのか、「もう少し早く来着すべきでしたが、三百里の道なので色々な障害があり、それに又この国では、私人の馬車が郵便馬車を追い抜く事を禁じていますので、予定より2.3分遅れました。」

 三百里の道で二、三分遅れてさえはっきりとその理由が分かっているとは何と言う規則正しい人だろうとこれも尊敬の種になった。やがて一同は食堂に入り、テーブルに着いたが、誰もがこの伯爵が三百里先のローマから直ぐにここに来たのだろうかと言うのが第一の疑いである。猛田猛(たけだたけし)がこの疑いを代弁して、「馬車でお通しでは相当お疲れでしょう。」と遠まわしに探った。

 「ハイ、疲れないために半分は眠ってまいりました。眠るのが私の旅行法です。丁度パリーの入り口で目が覚めるような積もりで居ましたが、少し眠り過ぎてしまい、急に馬車の中でカバンを開いて衣服を着替えるやら大いに慌てました。」笑みを含んで言う様子に偽りでないことが分かっている。

 出部嶺は疑って「そう思うままに眠ることが貴方にはおできですか。」
 伯爵;「ハイ、眠気を催す一種の薬を持っていますので。」益々耳新しい答えである。
 森江大尉;「そのような薬が有れば、軍隊に用いたなら」
 伯爵;「イヤ、軍隊はいつでも警報を聞いて目を覚まさなければいけませんが、催眠役は一定の時間の経つまで中々醒めませんから軍隊には用いられません。」
 武之助は前からこの伯爵がハシシスという草を用いていると聞いた事がある。

 「伯爵、矢張りその薬はアラビアの霊草で製するのですか。」
 砂田伯も続いて、「イヤ、多分阿片の類でしょう。」
 巌窟島伯爵は一時に双方に答えて、ご両所のお尋ねが半分づつ当たっています。私が手ずから広東で選んだ最純粋の阿片とアラビアのハッシシス草の精とを混合した丸薬です。」
 新聞記者は実物を見なければ満足しない。猛田「今その残りをもしお持ちなら拝見したいものですが。」

 伯爵は笑ってポケットから何物かを取り出した。「この中にまだ六、七粒有りますが、これを飲んで眠れば心身ともに全く新たな勇気をもって醒めるのです。」
 猛田は受け取って臭いをかいだが、薬よりも、その入れた容器に驚き、「イヤ、この容器は非常に珍品ですねえ。」と叫び、手から手へ次の出部嶺男爵に渡して示した。真に得がたいものである。ほとんど鶏卵ほどの大きさのエメラルドをば中をくり抜いて、金の蓋を付けたもので、ほとんど値段を付けることは出来ない。

 「イヤ、エメラルド、エメラルドだと」、出部嶺は叫んだ。次に並ぶ砂田伯爵は家に先祖伝来の宝玉の多いのをもって、朝廷にも劣らないほど自信を持っている人である。「どれ私に」と言って受け取ったが、しばらく打ち眺めてほとんど顔色を変えた。「イヤ、これ程の良質で、これ程の大きさのものは、昔、イタリアの某豪家に三個そろって有ったという伝説を聞いた外、私さえ見たことが有りません。之は元からこの通り中を掘って有りましたか。」

 伯爵は又軽く笑って、「イヤ、私も三個そろえて持っていましたから、その中の一個を薬いれとして抉(えぐ)らせたのです。」無きずの玉を抉(えぐ)らせるとは何と言う贅沢だろう。砂田伯爵は空いた口が塞がらない。
 猛田;「この頃トルコ国王が絶世のエメラルドを得たという噂を聞きましたが。」

 出部嶺;「他の二個はどうされました。」
 伯爵;「人の命と替える為に、一個はトルコ国王に献じました。王は直ぐにサーベルの柄頭に取り付けたという事です。」
 武之助;「どの様な人の命と替えなさったのですか。」
 伯爵;「王の後宮へ売り込まれる女奴隷の中に極めて憐れむべき一少女が有りましたから。」
 さてはローマの劇場で伯爵と同じ桟敷にいて、ギリシャの皇女ではないだろうかと思われたあの美人がその一少女かもしれない。アレならば絶世のエメラルドをもって買う値打ちも有ると、武之助は一人腹の中で納得した。

 砂田伯;「そしていまひとつは」
 伯爵;「之も人の命と取替えに、これはローマ法王に献じました。」
 武之助;「それは日比野を救うためですね。」
 伯爵;「そうだったかも知れません。」
 真にこの伯爵は非常と言うよりも更に上の人であると一同はひたすらに敬服した。中でも砂田伯爵は三個そろえてこのエメラルドを持っていたとは伝説に聞いたイタリアの昔の豪家の血筋を引く人に違いない。それでは贅沢も無理は無いと、強壮の角も折れた。

第百六終わり
次(百七へ)

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