巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2010. 12. 26

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

十一、宛名は誰れ

 
 呼び出だされた友太郎が入って来るまでに、蛭峰検事補は自分の事を考えた。イヤ、考えるともなく自分の身の上が胸に浮んだ。
 尤(もっと)も胸に浮かべずには居られない状況だ。米良田家というような勢力ある貴族の婿になれば、追々出世の道も開けるに決まっている。それに妻である姫君礼子は顔も心も美しい上に、六万円(現在の2.16億円)の持参金を持っている、六万円といえば検事補の月給の何十年分に当たるのだろう。

 このような事まで忙しく腹の中で計算するのは嬉しさの満ち満ちているためである。持参金の外に、礼子の父が死ねば、その財産が二十万円(現在の7.2億円)、これも礼子のものになる。母が死んでもほとんどそれに近い財産が矢張り礼子に転がり込む。礼子の物は我が物である。ただ一つ気にかかるのは自分の父の野々内が今もって革命家か謀反人かのように世間から疑われて、それがややもすれば自分の出世の邪魔になる一事である。この一事を除けば自分の前途は晴れ晴れと晴れている。

 このような考えが未だ十分には終わらない所に友太郎が入って来た。蛭峰は慌てて自分の顔から嬉しさの色を取り除け、職務相当の真面目な面持ちを現した。
 友太郎を連れて来た捕吏の長は先ず蛭峰の傍(そば)に来て、小声で逮捕の様子を報告し、そうして、蛭峰から、その逮捕の方法が適切だったことを認められて立ち去った。後には蛭峰と団友太郎と二人の差し向かいである。

 蛭峰は先ず友太郎の顔を見てみると、全くの美少年で、少年の正直と、少年の熱心とが顔に現れている。中々恐ろしい国事犯人とは思われない。それに先刻礼子から言われた優しい慈悲深い言葉も耳の底にまだ残っているから、この人の今までにほとんど例のないほど柔らかな声を出して

 「貴方が団友太郎ですか。」
 友:「ハイ」、
 蛭;「年は」
 友;「十九歳」
 蛭:「どの様なところから引き立てられましたか。」

 友太郎は少し力をこめて、「オオ、私は、婚礼の席から引き立てられたのです。三年前から許婚になっている女と、今日いよいよ婚礼することになり、知人と披露宴をしておりますと、その席に捕吏が踏み込んで参りました。」

 なんと自分の境遇によく似たことではあると、蛭峰はまた少し同情を深くした。同情は良いけれど、ただこの同情が何時まで続くか疑問である。
 蛭;「それから、サア、もっと言葉を続けなさい。」
 団;「この他に何も続けて言う事は有りません。お聞き下されば何事でも。」

 もっとも千万な答えではある。何の意見、何の罪もないのに捕らえられたのだから、言い立てることは一つもないのだ。
 蛭;「貴方は横領者に使われたことでもありますか。」
 横領者とはナポレオンのことである。王の地位を横領したと言うことで王権党は皆こう言うのだ。

 友太郎がもしナポレオン党の者ならこの言葉に幾らか不快を感じるところだが、彼は何とも感じない。「ハイ、水兵になる願書を出したことはあります。」
 蛭;「貴方の政治上の意見は」友太郎は呆れた顔で、「何で私に政治上の意見などがありましょう。年が若くて未だ政治のことなど少しも分かりません。」

 蛭;「政治上でなくても、普段何か意見を持っているでしょう。」
 友太郎は少し考え、「ハイ、父を大切に思います。雇い主の森江氏を敬います。そうして、許婚のお露を可愛いいとお思います。これがもし意見ならば、普段の意見はただこれだけです。」

 ほとんど、あどけないほどの返事である。蛭峰は益々感心して、決してこの男は罪人ではないと思い、このようなのは放免するほうがかえって上長に賛成されて、自然と自分の出世の端緒(たんちょ)にもなり、礼子にも喜ばれると思った。

 公には長官のお褒めを得、私には美人に嬉しい顔をされるのは、決して蛭峰の喜ばないところではない。
 蛭;「貴方は誰かに恨まれてでも居るのですか。」
 友;「少しも恨まれる心当たりは有りません。」
 蛭;「しかし二十歳未満で船長にもなるというのは余りない出世ですから、恨まないまでも、羨(うらや)む人はあるに違いない。いつも良くその辺に気を付けていなければ、どの様な害に逢(あ)うか分かりません。」

 尋問ではない。むしろ相談か忠告のようなものである。
 友;「ハイ、気をつけましても、別に私を恨む人は決していないと思います。」
 蛭峰は全く友太郎の清廉潔白なことを信じた。
 「フム、貴方は全く正直な少年らしい。私も極寛大に、普段の規則からは外れますが、ソレ、これを見せてあげます。この手紙を誰が書いたか心当たりは有りませんか。」

 こう言って差し出したのは彼の段倉が左の手で書いたあの密告状である。友太郎は受け取って読んだけれど、勿論わざと筆跡を変えて書いてあるのだから心当たりがある筈がない。
 友;「誰が書いたのか少しも分かりません。」
 蛭;「しかし、この手紙に書いてある事は事実ですか。」

 友太郎は少し眉をひそめながら、「ハイ、どうしてこのような事を知った人が有りますか。全く、確かに事実に近いのです。」何という有りのままの返事だろう。
 蛭;「では、事実を有りのままに言って御覧なさい。」

 友太郎は森江氏に話した通り、船長呉氏の死に際に、ナポレオンがいるエルバ島に立ち寄って、これをベルトラン将軍に渡せと小包を託されたことを話し、船長の言葉は総て命令と聞かなければ成りませんから、私はその通りに致しました。

 そうして、エルバ島に上陸し将軍に面会を申し込みますと、なかなか許される様子はなかったのですが、もし、面会が難しい時にはこれを示せと言って、一つの指輪を渡されていましたから、それを出して示しますと、直ぐに一室に通されましたと言って、面会の一部始終をを述べ、最後に至り、森江氏にさえ明らかには言わなかった秘密を吐いた。

 「船長の言葉にはこの小包を渡せば多分将軍からパリへ送る手紙を託されるだろうから、直ぐにその手紙を持ってパリに上京し、直々に宛名の人に手渡しせよ、決して何人にも、見せたり又聞かせてはならないと言われました。果たしてその言葉の通り、面会の終わる時に、将軍から手紙を託されましたので、私は今日、婚礼が終わったら、明日、直ぐにその手紙を持ってパリに立つ積もりでした。イヤ、今もそのつもりです。」
 
 蛭峰は呟いた。「アア、貴方は知らないうちに国事犯の道具に使われかけたのです。勿論、貴方に罪はありません。直ぐに放免の手続きをして上げます。」もとより直ぐに放免されるとは思っていたが、友太郎は真実安心した。「貴方のご親切は肝に銘じます。」
 
 蛭:「将軍の渡したその手紙と言うのは多分パリで誰かと何事かを打ち合わせるものだろう。その手紙を私に渡しなさい。」
 友:「もう捕吏に取られました。その貴方のテーブルの上にあるその手紙がそうです。」
 蛭;「オヤ、そうですか。パリの誰に宛てたものか知っておかないと」
 蛭峰は呟いてテーブルからその手紙を取り上げて宛名を見た。

 もし、雷が頭上に落ちても蛭峰はこうまでは驚かないだろう。かれは宛名を見て全く震え上がった。どうだろう。「ヘロン街十三番地にて、野々内殿とある。野々内とは自分の父なのだ。

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